異世界転生したけれど、進路選択に迷っています
「そう言えば若様、来月で成人でございますね」
部屋の窓際に飾っている鉢植えに水をやりながら、使用人は、白々しくも、思い出したようにそう呟いた。
来月で成人を迎える僕に聞こえるようにわざとそう言っているのだろう。成人を迎えると屋敷を出て行かないといけない僕にすれば、考えたくないことを意識させるものだ。
貴族の三男として何不自由ない暮らしを捨て、少々の餞別をもらって外に出て行く。
この屋敷の外の世界は残酷で、人々は選民思想や貧困といった苦境の中で生きている。
しかしながら、僕に限ってのことではあるのだが、生きていくこと自体に正直なところ不安はない。何をしても大成するだろうし、歴史に名を残すことくらい容易いことだろう。
有体に言ってしまえば、僕は転生者で、この世界に転生させてもらう際に父なる主神から能力をいただいている。前世では人間関係には恵まれず、能力としても泣かず飛ばずの人間だったから、全ステータスを最高値に引き上げてくれ、世界を僕に優しくしてくれと僕は願った。
結果的に、生命力や魔力をはじめとする全てのパラメータが常人の数千倍という能力で、前世を生き抜いた知識も据え置きだという。更に世界のあらゆるものは僕に優しく、ゲームになぞらえれば一番簡単な設定だとの言葉を主神から賜った。
街に出て冒険者として生きていけば前人未到の地へ至ることができるし、商人であれば国家を買収するくらいには稼げる。研究者となればこの世界の真理をかいま見、領地経営を買って出れば楽園を築くことが可能だと、主神にはお墨付きを得ている。
眩暈のするような話だったが、転生してからこれまでの日々を振り返れば決して嘘ではないと僕は実感しているし、実際そうなるのだろう。
僕は手元の小説から顔を上げ、溜息混じりに使用人に答えた。
「そうは言うけどね……。僕は君が期待するような、そう、物語の英雄みたいな存在に、なんて、なるつもりはないよ」
彼女は驚いたように振り返り、僕をじっと見つめてくる。この手の話題をいつも無視する僕が、まさか返事をするだなんて思ってなかったのだろう。
「君がどう思うかなんて知らないけれどね、僕は何も望んでいないんだ。ただゆっくりと、少しの稼ぎと、そうだな、多少の驚きをもって生きていければ、それで良いと思っている」
紛れもない本心を口から吐き出し、ぬるい紅茶を飲み下す。
神話に名を連ねるような英雄、吟遊詩人の歌に名を残すような勇者、須らく物事を俯瞰する賢者。いずれにもなれるであろう僕は、それらを心底望んでいなかった。
「若様」
その言葉に納得していないのか、使用人は非難するような目つきで僕に諭し始めた。
「若様に期待し、希望を見ているのは私だけではございません。この屋敷のすべて、いえ、この世界のあらゆる人々が若様の一挙手一投足を見て、感激し感動したいのです。差し出がましいようではありますが、私はそう考えております」
なるほど、その言葉は彼女にすれば紛れもない本心なのであろう。熱のこもった口調で言い切り、僕を見据えながら反応を待っている。
しかしながら、それは僕からすれば勝手な言い分で、嫌気が差すものでしかない。話はもう終わったとばかりに右手を空に振り、視線を読んでいた途中の小説に落とした。
彼女は明らかに落胆している素振りであったが、僕は構わずに物語を読み進めていく。
小説の内容は冒険活劇もので、冒険者が今まさに巨竜と相対している様子を描いていた。巨竜は傲慢で、人間なんて吹けば飛んでいくような存在としか思っていない。街を滅ぼすなんて些細なことで、人間を喰らうことも躊躇しない。
そんな巨悪を討ち果たす勇者の、この世界の誰もが夢見る、圧倒的な活力に満ちた雄々しき英雄譚。
前世では憧憬を胸に、幾度と無く空想した物語の主人公の姿は、しかして今の僕の心には熱を与えず、それどころか昏い影を落とす存在でしかなかった。
この世界に生を受け始めた当初、僕は生気に満ち溢れていた。見たことも無い内装、聞いたことも無い人々の容姿、触れたことも無い言語体系。そのどれもが僕の胸を焦がし、狂喜乱舞をしては世界に祝福されたように感じたものだった。
しかしながら、そんな衝撃は長くは続かなかった。
育児用のベッドの四方、恐らく乳幼児の落下防止用に取り付けられた柵から身を乗り出して壁の装飾を近くで見ようと、柵に手を掛けた時にそれは起こった。確かに両手をついたと思った次の瞬間には浮遊感が生まれ、僕は床に叩きつけられていた。
その瞬間には何が起こったか分からなかったが、ベッドが修理される度に同じことが数度身に振りかかるのを考え直してみると、常人の数千倍である僕の筋力は、木組みであったとはいえ、柵なんていとも簡単に粉砕してしまったのだろうと理解した。
その考えに至った僕は、我が身に恐怖を覚えた。
手加減をしようとしても、数千分の一までの微量な力の入れ方は難しく、幼児の頃の僕はあらゆるものを粉々にしてしまう。数年もすれば流石に力の入れようは分かったのだけれど、それまではただの破壊魔でしかなかった。
そんな破壊の権化にも周囲の人は優しかった。使用人たちには当然のことであったのかも知れないが、両親は跡継ぎでもない三男の僕を溺愛していたし、兄や姉も両親の寵愛を受ける有り様に嫉妬するどころか僕の世話を焼く立場を取り合っていた。
僕はまたそのことに違和感を覚えてしまい、端的に言えば不快であった。幼児にしては明らかに異常な筋力、俊敏性、理解力を有していた僕なんて、客観的に見れば怪物や化生の類であろう筈なのにも関わらず、世界は依然として優しかったのだ。
不快感を抱えながらも数年を過ごし、自由に動けるようになり始めた僕は、屋敷からの外出を繰り返した。僕のことを知らない場所に逃げ出したかった。
人々が一歩を踏み出す間に数百から数千歩先を進む僕にとっては、屋敷からの脱走は苦にもならないものだった。両親が付けた護衛が、僕を見失った処罰として責め苦を受けていたことを知っていれば、そんな愚かなことはしなかっただろうと今は思う。
とは言うものの、外の世界は目新しく、驚きに満ちていた。異国情緒あふれる街並みは前世とは大きく異なっていたし、街を覆う守護壁から外界を眺望すれば、自然豊かな森林や平野に生きる不可思議な生物たちの営みを楽しむことができた。
露店の果実を盗み食いしながら街を散策し、荒廃した街外れに向かうことにはちょっとした冒険心をくすぐられた。石畳の道を跳ねるように歩き回っては、屋敷での無聊を慰めていた。
僕の今のお付きである使用人も、元はスラム街から拾ってきた少女である。その頃の僕は、とにかく屋敷の外部のものを取り入れたくて、孤児たちを攫っては教育を施す真似をしていた。あらゆるものを与えられた僕にとって、救われない子どもたちを囲うことが正しいことだと勘違いしていたのだ。
ちなみに、後で知ったことではあるが、下賤である彼ら彼女らに対しても、僕の財産であるとして屋敷の連中は優しく接していたらしいから、やはり考えが足りていなかったのだろう。
さて、十を数えるような年齢にもなると、この世界の仕組みがよく分かり始めていた。前世とは全く違う知識を蓄えた書物を読み漁って取り入れたこの世界の常識を基に、また僕の生活は大きく変貌し始めた。
仮にこのような動きをした場合にはこのような結果になるであろうという予測を、主神から授けられた知力で行うと、それは最早、予知や予言といった精度を持っていた。
この「予知」は無意識下でも行われているのか、あらゆる事象とその結末が網膜に焼き付くように動き出した。チカチカと明滅するように、数分から数十年先の未来が脳内に浮かび上がる。僕の知らない物事や外的要因でさえも、論理的に空白を埋めては、また新しい結末を描き出す。
処理限界を迎えた僕は、耐え切れなくなって吐いた。
幾度となく嘔吐し、胃酸しか出なくなるような日々を続けた。僕をいたわる周囲の優しさに対して、倦厭するどころか殺意すらも覚えるようになった頃には、徐々に吐き気も治まり、網膜に映る栄達や惨劇の様子を他人事のように処理できるようになった。
どうやら適応力や処理能力も大幅に引き上げられた結果であり、つまるところ僕は慣れてしまったのである。
そしてまた、僕は人間ではなく前世で言うところの魔物の類なのだと痛感した。
思春期である僕はまた、性的興味についても考えるようになった。
あらゆることが可能な能力を有している僕は、完全犯罪だって容易なのである。いや、肉体や精神的な内部要因を除いても、貴族という支配階級の持つ権力や義務を考慮すれば子を為すことなど赤子の手を捻るようなものであった。
さりとて、僕はそのようなことをしたいとはまるで思えなかったのだが。
僕の形質を十分の一、否、百分の一でも受け継いだ子が生まれた場合、それは常人を大きく逸脱した能力でもって誕生するのだろうと考えてしまったからだ。
控えめに言っても化け物であり、忌避の対象に他ならない。故に僕は子孫を残さずに今代で終焉させようと心に固く誓ったものである。
それから現在に至るまで、空虚な日々を過ごした。他者への影響も鳴りを潜め、自室に引きこもる毎日だ。自分から動きを起こせば、この世界は大袈裟に祝福しては賞賛してくるのであるから、僕にとっては堪らない。
十数年前、考えなしに主神に願った僕への呪詛を吐く日々である。何回も自殺を試したものの、世界に護られている僕の試みは最終的には失敗する結果に終わる。
この世界の人々は依然として変わらず、僕のことなどまるで理解していないのにも関わらず、優しく包み込むような理解を示している。
気付けば自室から退出していた使用人の、先ほどの言葉を考える。
あと一月も経てば僕は引きこもりを辞め、社会に関わっていかなければならない。可能であれば働かずにどこかで野垂れ死にしたいものであるが、それは叶わないことだと既に気付いている。
そうなると、如何に社会に影響を与えずに過ごす方法を考えなければならないのだが、どの職業を選んでも悲惨な結末に終わるのだと僕の「予知」が告げている。
英雄や勇者として名を馳せれば、我が身の確保のために国家間の戦争が起こり、人々の生活は荒廃するらしい。低級の依頼だけをこなしても、上役に目をかけられるなどして結果は変わらないようだ。
智者や賢王として国家や領地を繁栄させれば、人々は堕落して発展性や創造性を失い、僕の去った後に滅亡の危機を迎えるらしい。無駄な研究や労働に時間を費やしても、結局は良いように曲解されて繁栄に向かってしまうとのことである。
小市民として農民や商人としてか細く生きようにも、大いなる偶然が起こった後に、現人神として祭り上げられることとなり、前述したような結果に収束していくことも視えた。
洞窟や山奥に隠居して世捨て人となる道を選んだとしても、栄光や栄達からは逃れられないことも確認したし、作家や芸術家、鍛冶屋みたいな何かを生み出す職業なんて考えるまでもない。
改めて僕の与える影響は大きく、暫しの黄金時代を生み出した後に、最終的には人々の成長を阻害してしまうらしい。全知全能たる主神は何を考えて僕にこのような能力を授けたのだろうか。
手詰まりになってしまった僕は、発想を逆転させてみることとする。
どのような選択肢に進んでも、大仰に、大袈裟に影響を与えることは疑いようも無い。
であるならば、人々にマイナスの影響を与える存在になればどうか。読み進めた小説の巨竜のように、生命を軽んじ、人間を冒涜するような存在となったとすれば。
人々が団結し、僕という化け物を討ち果たす物語。
人間の英知と勇気を持って、創造力と発展性と協力体制を武器に、僕という巨竜に相対する人間賛歌。
なるほど、これは良い案のように思える。
何をするにしても連綿と続く人々の歴史を邪魔するのならば、どうせなら後世に繋がる一石を投じた方が遥かにマシだ。
来月を迎えたら、世界の果てを目指そう。人間のいない土地から、静かに悪意の手を伸ばしていこう。気付いた人たちに警鐘を鳴らしていこう。
――嗚呼、愛すべき人々よ、苦しみに喘ぎながらも希望をその手に掴み取りなさい。
我は全ての能力の果てに在る者、あらゆる現実に絶望した化け物であり、この世界と全知全能たる主神に祝福されし怪物である。
武器を鍛え、修練に励み、智恵を絞り、世界中と手を取り合わねば、我に一太刀浴びせることすら夢物語であろう。
だからこそきっと、君たちは軽々と予想を上回り、「魔王」を討ち滅ぼしてくれることだろう。
僕が前世で恋焦がれた、物語の英雄たちのように。