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たとえこの選択を悪と言われても

作者: 高瀬 暖秋

 


 穏やかな木漏れ日の差す森の奥地に、私と彼女は佇んでいた。


「いいかい、エナ。竜っていうのはね、とっても悪い生き物なんだ。

 炎を吐いては人を黒焦げにするし、大きな口で人を食べてしまう。竜が生きている限り人は永遠に繁栄出来ない。

 だから、竜は人の天敵で、人は竜を憎む。それこそが自然の、いや、世界の摂理なんだ」


「……せつり? よく分からないけど、エナもお母さんから聞いたよ。竜はとっても凶暴な生き物だから、絶対に近付いちゃいけないって。

 ……でもね、お母さんはこうも言ってた。竜はしんぴてきなそんざい? だから、特別な力があるって。だから、私はアナタに会いに来たの」


 そう言った彼女の表情は明るく、幼い顔に華やかな笑顔を咲かせる。

 けれど、そんな笑顔とは裏腹に、彼女の命はもう長くはもたなかった。


 □□


 我々……いや、もう残る竜は私だけだが、竜という存在は人のために生まれて、人のために死ぬ。


 その爪牙で肉を裂き、その炎で肉を焼き、人々を殺めて、憎まれる。

 そうして人間の憎しみが同じ人間へと向かないように、同じ人間同士で殺し合いが起きないように作られた世界のシステム、それがこの私――竜だ。


 当然、人間から憎しみを向けられた結果として、次々に仲間たちは息を引き取っていった。

 残る竜は私だけだ。私が死ねば、世界には人間同士の憎しみで溢れる。


 故に、私は時折人間の世に姿を現し、精々村をあぶったりする程度で止めて、あくまでこの身惜しさで生き永らえてきた。


 今日もいつものように、人々に恐怖を与えて身を潜めるに適した樹海に帰ってきた、そんな時だった。


 上空から見下ろした自分の住処に、一人の少女が横たわっていた。緑色の髪をした、可愛らしい少女だった。

 けれど、その脚はあらぬ方向に折れ曲がり、肩は外れ、擦過傷と流血。

 もはや、生きているのも不思議だった。


 その小さな体に、どれほど大きな意志があるのか。

 気になった私は、命が消えゆく彼女への最後の情けとして、竜の秘術を用いてその苦痛を取り除いてやった。


 そして、問うた。どうしてこんな場所にいるのかと。


「お母さんがね、病気なの。それでね、アナタに会いに来たの。お願い、お母さんを助けて?」


 少女は竜が不思議な力を持ち、その力で母親を救えると信じて、私のもとへ訪れた。

 小さい体で、こんな樹海の奥深くまで、その命を燃やしながら。

 その道中の険しさは、少女の今のあり様を見れば容易に想像出来た。


 けれど、それは無理な話だった。

 確かに私には特殊な力がある。だが、それはあくまで、誰かを傷つけるための力に過ぎなかった。


 幻影を生み出す力の応用で、痛みを消すことは出来る。

 炎を吐き出す力の応用で、冷え始めている少女の体を温めることは出来る。


 けれど、そんな力では少女の母親を救うことは出来ない。

 言わずもがな、目前で息絶えようとする少女を救うことも。


 結局、少女は私の話を聞き入れてはくれなかった。

 どれほど理由を話そうと、お母さんを助けてと言い張って聞かなかった。


 いや、もはや私の言葉を理解するだけの意識が無かった。

 もはや、霞む視界で捉えた私の姿に、最後の懇願を口にする気力しか残っていなかった。


 だから、私は彼女に、最後の情けをかけた。


「ああ、わかった」


 その頼みを承ったと、そう告げた瞬間、彼女は今までになく幸せそうに微笑み、息を引き取った。


 情けない話だった。

 数多の憎しみをその背中に背負い、人間に憎まれ続けた竜が、たった一人の少女から憎まれるのが、どうしても恐ろしかったのだから。


 □□


 以来、私は人間の姿に変化へんげして、樹海を出た。

 目的は彼女の母親に彼女の最後を伝えること。

 母親の病は治せないが、彼女が亡くなったと伝えることが、彼女へ嘘を吐いた私なりの贖罪だった。


 彼女の住んでいた村を見つけるのは、そう難しいことではなかった。

 そもそも少女の足で歩ける距離などたかが知れている。

 樹海から最も近い村を訪ねれば、そこに彼女の母親は居た。


 その姿を前にして、一度も止めずに歩いてきた私の足が止まった。


 ――病に伏している、どころの話では無かった。


 痩せこけた四肢に、絶えず繰り返される短い呼吸。

 肺を患っているのか、息をしているだけでも苦痛に顔が歪んでいた。


 あんな状態の母親に彼女のことを告げれば、間違いなく母親は死ぬ。

 おそらく、母親がまだ生にしがみついているのは、娘の帰りを待つが故だろう。


 だが同時に、悲しい話だけでは無かった。

 私の見立てでは、母親はまだ生き永らえる。

 樹海で得た植物の知識を用いれば、まだ母親は持ち直すことが出来る。


 だが、問題もある。

 突然見ず知らずの者に看病すると言われても、怪しまれて断られる可能性がある。

 そう、例えば、母親のそばにいても怪しまれない、身近な存在に変化すれば……。


 その時私の頭によぎったのは、悪魔の手段だった。

 最善を為すための、最悪で最低の手段だった。


 けれど、母親を救うため、私はそれを為した。


「ただいま、お母さん」


 □□


「ただいま、お母さん」


「お帰りなさい。ルシルちゃんに迷惑かけなかった?」


「うん、大丈夫だよっ! それよりもほら、見て見て! きれいなお花積んできたの。あのね、呪術師の人がこのお花は病に効くって言ってたの! お母さんにあげる!」


「あら、ありがとう」


 私がエナに変化してから、もう一か月が経とうとしていた。

 母親の調子はまずまず良くなり、歩けるようになるにはまだ遠いが、僅かに血色がよくなってきた。

 このまま治療を続ければ、きっと年を越す頃には完治するはずだ。


 そう考えると、私の心は無意識に弾んだ。


 ただ、峠を越えるまでは安心は出来ない。

 可能な限り様々な薬を調達する必要がある。


 故に、私は母親が寝静まった夜に、樹海へとたびたび出向いた。

 少女の姿では樹海まで向かうのも一苦労だ。かといって竜の姿になるわけにもいかない。

 樹海に向かう時だけは、かつて出会った人の姿に変化した。


 その日も、夜が更けてきた頃に私は樹海に出かけていた。

 滅多にお目にかかれない貴重な薬草を見つけて、やや興奮気味になっていた。

 夜も明けそうで、そろそろ家に戻らないと怪しまれる、そんな幸せな危惧をしていた。


 そんな愚かな私の目に映ったのは、母親の住む村から煙の立ち上る光景だった。


 村が焼かれている、そう気が付いた時にはもう遅かった。

 全力で村まで疾走して、その地獄を見た。


 立ち上る炎。

 崩れる木造の家屋。

 耳をつんざく人々の悲鳴。


 呆然と立ち尽くす私に、村に火をつけたらしい盗賊が斧をもって襲い掛かった。


 私はそれらの全てを無視して、母親の待つ家へと駆けた。


 熱など竜に通用しない。

 木片などでは肌に擦り傷を作ることさえ叶わない。

 誰かの悲鳴も、振り下ろされる斧も、私を止めることは出来ない。


 どうして、どうしてこうなった?

 なぜ、今まで一度も無かった村への襲撃が行われた?


 結論は至ってシンプルだった。


 ――私が、竜が姿を消したからだ。


 私が母親を救うことに夢中になって、世界に憎しみを植え付けていなかったから。

 人々の憎しみが人へと向いた。


 ……全て、私のせいだった。


「お母さん!?」


 辛うじて原型を保っていた家の扉を開け放つと、室内に炎が巻き上がった。

 竜の秘術でそれらを鎮火し、寝台に横たわる母親に駆け寄った。


「……ああ、良かった、もう一度アナタの顔を見れて」


 母親は言った。アナタの顔を見れて良かったと。

 樹海に行くときだけに変化する、エナとは違う私の顔を見て。


「……どうして」


「自分の子供の顔を覚えられないわけないでしょう。私の大切な、二人の子供の顔を」


 呆然とする私を見て、母親は言葉を続けた。


「……私はここで死にます。歩けもしない私を連れていては、アナタも死んでしまう。だから、私を置いてアナタは生きなさい」


「私の力を使えば二人とも助かる! だから、そんなことは言うな!」


「生き永らえて、アナタの足かせになってまで生きようとは思わないわ。第一、私はもう一か月前に死んでる命だもの。だからお願い、ここで私を死なせてくれないかしら?」


 そう告げる母親の目をみて、悟ってしまう。

 結局私はエナの代わりにはなれず、母親の心の中には今もエナが居るのだと。


 そして今、母親はエナのところに行こうとしているのだと。


「……ズルい。そんな言い方されたら、私は……」


「ごめんなさい、そして、ありがとう」


 嬉しそうな笑顔を浮かべるその顔が、かつてのエナの表情と重なった。


「色々、聞かせてもらってもいいかしら? 私の子供たちの話」


「……もちろん」


「エナは、どんな風に死んだ?」


「アナタのように、笑っていた」


「そう、あの子らしいわ」


 母親はそう言って、ふふと笑った。


 その仕草が、私の心を酷く絞めつけた。


 歪んだ私の顔をみて、母親は言葉を続ける。


「アナタは、これからどうするの?」


「……竜としての役目に戻る。もう二度と、こんな悲しみは味わいたくない」


 私が人として生きてしまったから、こんなに悲しみが溢れてしまった。

 私が人として生きてしまったから、こんなにも別れが悲しくなってしまった。


 ……もう二度と、こんな思いはしたくない。


「もっと、素直になっていいのよ?」


「……え?」


 ふとかけられた声に、私は顔を上げた。


「アナタは、人間が大好きなんでしょう? アナタのお役目ってのが何なのかは分からないけれど、アナタがしようとしていることはわかるわ。アナタは自分が傷つく代わりに、人間を助けようとしてる」


「――――っ」


「でも、無理はしなくていいのよ? アナタがしたいことをすればいいの。誰も、アナタを責めたりしないわ。……アナタはきっと、アナタを責めるだろうけど」


 母親は、そう言って私の頭を撫でた。

 慈愛の込められた眼差しで、私を見た。


「さあ、生《行》きなさい」


 その言葉を最後に、私は母親に背を向けた。


 振り返らず、家の扉をくぐる。

 竜の秘術を解くと、鎮火していた炎が再び息を吹き返した。



 ――炎が、母親を包んでいく。



 □□



「なあ、あんちゃん。見ない顔だが、この村の人か?」


「……ああ」


「そうか。じゃあ、名前を聞かせてくれ。一体誰が生き残ってるのか、生存確認してんだ、今」


「……名前」


 母親は死んだ、愛娘の後を追って。

 炎に抱かれて、死んだ。


 彼女は私に言った。生きろ、と。

 生きて、やりたいことをすればいい、と。


 そう考えて、ふと疑問に思った。

 私はなぜ、あの時エナを救ってやろうと思ったのだろう。


 脈絡のない、唐突な疑問だったが、答えは存外早く出た。

 当たり前だ、答えは私の胸にあったのだから。


 ――うらやましいと思った。


 人として生きて、人として誰かを愛して、誰かに愛されていた彼女が。


「私の名前は――」


 そして、同時に思い出す。

 母親は、私を子供と呼んだ。

 二人の子供と言った。子供たちのことを聞かせてと言った。


 ならば、私が名乗る名前は一つだった。


「エナ」


 母親の子供の名前は、一つだけなのだから。



 □□



 以来、私は旅に出た。

 竜としての役目を放棄して、人間として旅に出た。


 竜は死んだ。

 人々の憎しみは同じ人間に向けられる。

 いさかいが起こる、争いが起こる、戦争が起こる。


 けれど、たとえこの選択を悪と言われても、


 ――私は人として、ここに生きるのだ。




ご読了ありがとうございました。

感想評価等いただけると嬉しいです。


反響があってもなくても、世界観が同じ話を何話かあげる予定です。

また読んで頂けると幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 途中なんとも泣いてしまいました、とても悲しかったですが、読むことが出来て良かったと思います。
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