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教会の聖女 #1


この物語の始まりは暑い日だった。

俺は暑いことが嫌いだ。

なぜなら長い舌がだらしなく出てしまうからだ。

息遣いも荒くなる。臭い息が鼻にかかる。

そんな口元をしたジャーナリストが書く記事を誰が読みたがるか?

いっそのことこの長い舌を切っちまうか。

いいや。この姿のすべては俺の個性だ。

嗅ぐ。

地を這う。

舌を垂らし、ネタを欲して垂涎する。

満を持して牙を立てる。

それが自分流の”ドギースタイル”ってワケだ。



スタッグステイトの街は暗くなることを知らなかった。

夜になるとこぞってバーやカジノ、娼館の明かりがつき始め、カタギでないものたちがそこに通う。

路地裏では各国の”バックドアの番人”が営業マンの顔つきで商品取引をする。

時々、悲鳴も聞こえる。誰かが連れ去られるとき特有の喧嘩の声だって聞こえる。

だが誰も止めはしなかった。

何故ならこの街には法律がないからである。

街の始まりは、世界の中心にある分岐点"スタッグフレーションステイト”としての機能を果たすことだった。

しかし、各国の新興勢力の嫌がらせに遭い、企業や組織の誘致に失敗、街の責任者は北の帝国へと逃げてしまった。

残った街の抜け殻には行き先を失った人々が勝手に住み始め、法律がないのをいいことに好き勝手を始める。

文字通り、あらゆる世界の”停滞物”がそこに溜まり始めたのである。



それでも街には影ができる場所がある。

市街地から離れるとそこには”ラット”という店があった。

古いウェスタン映画の撮影セットような木造3階建て、入り口には安っぽい小さな看板が申し訳なさそうに付けてあった。

店には大きなテラスがあり、色・形の様々なパラソルのついたテーブルが各所に置かれてある。

街灯からの明かりだけしかなく薄暗くもあったが、それが逢引にはちょうどいい場所として機能しているようだった。

ここには出っ歯でやけに耳の大きい小さな店主がいる。

ドギーはここの親父と知り合いだった。

だから店先で何も飲まずに、この地域に似合わないカップルの痴話喧嘩を聞いていても何も文句は言われない。

しかし、鼻の効くドギーはボロ店特有の”獣臭”が苦手であり、新聞を読みつつも鼻先が動くのを止めることができなかった。

「なぁ頼むよ。援助するからさあ。」

「なにさ、みんなに言ってんだろ、そーゆーこと。」

「そんなわけ無いじゃないか。」

早くしろよと言わんばかりにドギーは新聞の経済欄を穴の空きそうなほど注視していた。

目的は手前の赤毛のチビ親父の証言である。

二人の関係を証明する一言。

東の国で手に入れたボイスレコーダーが上着の内ポケットにあることを確認した。

既にスイッチは入れている。予備のカセットはない。

「頼むよ、大事なお客さんなんだ。長く付き合ってきた関係でね、妻も大事にしてるんだ。」

「また奥さんの話して、喧嘩でもしたいのかね?」

「違う、違うよ!コニーリア!それは違う!」

ドギーはその名前を聞いて目を見開き、新聞を一気に引き下げた。

我慢していた舌の露出が一気に解放される。

綺麗な茶髪のロングヘアをした美女がそこにいた。

頭頂部付近からは見覚えのある長い耳が伸び、服の上からでも分かるほど胸が大きく、足元のミニスカートからはスラッとした美脚が伸びていた。

長い耳さえ無ければ人間にほぼ近い姿をしている。

間違いない、”ウサギと人間のハーフ”、娼館”ウォーターリリィ”のコニーリアであった。



世界には多くの種がいる。

コニーリアは一般的に”ミックス”と呼ばれる種だった。

複数の血が混じっている”混血”。世界の半分以上はこの種であった。

混血もいれば”純血”もいる。

ピュアと呼ばれる、北の帝国”ウォール・オブ・テミス”に住む大多数の種だ。

ピュアはミックスに比べ、主な特徴として高い身体能力を持つ。

そのため、非常に強い選民思想を持ち、帝国にはピュア以外の居住を禁止する"ナーフ・ロウ”という規律すら存在した。

選民思想は帝国だけではなく他の地域にも広がり、ミックスの概念は”劣った種”であることが普通だった。

霊峰を後ろ盾とし、周りを白い巨大な壁で囲んだ帝国の出で立ちがその共通認識を大きく広めたのだった。

犬と人間のハーフであるドギーはこの帝国をフラット・ウォールと呼び、選民意識を特に嫌っている。

その嫌悪が、ますます彼をスタッグステイトに留まらせていた。



「おい、コニーリア。そいつは何だ。」

暑そうに舌を出し、向かい合って座る二人の前に立つと、息遣い荒くドギーは言う。

「あら、ドギー。ハーフでも発情期ってのがあるのかい?。」

「黙ってろよ。手前の赤毛ホビットとの関係は何なのか聞いている。」

「失礼な!私はピクシーとのハーフだ!」

ホビットかピクシーかなんていう事はもはやどうでも良かった。

世界各国に店舗を持つ高級ブティック『アット・ナイト・カフェテラス』の女社長ニーム・トロタノワの夫が浮気をしている。

これだけでどれだけ会社から報奨金が降りるのか。

「オーケイ分かった。ピクシーの兄貴。こいつとは色恋か?」

「何でお前に言わなきゃならないんだ!」

「まぁ落ち着けよ、俺はブン屋だ。奥さんのこともある。媚びを売っといて損はないと思うが。」

ここにまともな新聞社があるかと赤毛を振りながら言いつつ、頭が冷静になったのか、要件は何だと言い出した。

「コニーリアと恋愛関係にあるか、と聞いている。」

「何言ってるんだ、私には妻がいる。」

「当然だ。分かった上で聞いてるんだこっちは。」

客だよと小声で言うと机に置かれた水滴だらけのジョッキを手に取り中身を飲み干した。

「コニーリア。お前何頼まれていたんだ。」

「お金よこせ。したら言ってやる。」

「時々、店を利用してやるよ。」

「これ以上客数はいらないね。これからは”質”の時代よ。」

人間に近い姿をしているくせにカタコトの娼婦は、頭の耳を前後に揺らしながら言った。

ドギーは出した舌を引っ込め、これ以上はらちがあかないと大きくため息をついた。

「分かった。少しやるから教えてくれ。」

「横流しだよ。プカの仲良くしてるお客さんね。」

プカとは手前の赤毛のことらしかった。

もうここまでで十分だった。ただの接待依頼。金にはならない。

ポケットに入っていた札を一枚取り出すと机の上に置いた。

「コニーリア。今からこいつと付き合わねえか。」

「何いってるね。これ以上”首が痛くなる”のはごめんよ。」

コニーリアは首の前部をさすりながら言った。

よく客の前で言えるなという顔をし、ドギーは二人から離れた。

さっきの言葉は何だと言い争う声が聞こえたが、おそらくコニーリアは平気だろう。

大きくため息を吐くとドギーは店の中へ入って行った。



「また失敗かい、ドギー?」

前歯の出た口元をキシキシと言わせながら、店主のキヌゲは笑う。

「失敗じゃないなら、リリィでヘネシーでも飲んでるよ。」

水滴の滴るビールジョッキを飲み干すと、外のテラスはいつからセントラルパークになったんだと言った。

「帝国のと一緒にするなよ、ありゃシャルの趣味だ。」

シャルとはキヌゲの妻で猫と人間のハーフである。

キヌゲが西方の猫王国にマタタビを売りに行った際、あらゆる猫に襲われているところを助けてくれてくれた人物でもある。

貴族の生まれらしかったが、家の厳しい規律が嫌で、キヌゲとともに逃げ出した。

ネズミが猫と結婚したと聞いて、ドギーは面白いジョークだと大笑いし、どこに惚れたのかをシャルに聞いた。

素直なところよという返事に、さらに大笑いする。

とんだ大儲けだが、まぁちゃんと言うことは聞いといたほうがいいなとキヌゲには言っておいた。

「デートスポットにしちゃ、安い酒だな。」

「昔行った帝国の公園をえらく気に入ってるらしい。」

「ま、不倫カップルの逢引には便利だ。」

不倫でもいいのよとシャルが奥のキッチンから出て、そのまま客へ料理を持って行った。

「それよりよ、記事はどうなんだ。上手く行ってるのか。」

「何だいきなり。」

「ツケが残ってるぜ。相棒。」

なるほどと言いつつ、ドギーはもう一杯ビールを頼んだ。

「でかいヤマがないんだ、最近は平和すぎる。」

「また”ドギースタイル”でいけばいいじゃねぇか。」

「女のケツばっかり見てるとよ、夢に出るんだぜ。鏡を見れば、てめえの目が”アレ”になってやがるんだ。」

キヌゲは洗っていたジョッキを落とすと、店に響く大声で笑った。

「でもよ、稼ぎはそこそこあったんじゃねえか?」

ドギーはネタがないと、社の別部門であるポルノフォトライターをやっていた。

東の国からカメラが導入されてから様々な人種のポルノフォトの需要があがったのだった。

新聞記事よりもネタが探しやすく、報酬も良い。

しかし、あらゆるところを探し尽くすドギーの姿勢を見て、スタッグステイトの人間は、”盛りのついた”犬がポルノフォトを探していると言い、大笑いした。

次第に”ドギースタイル”とあだ名がつき、街中の人間がそう呼んだ。

「変態扱いされる代わりに、だ。」

「それでもいいじゃねぇか。飯が食えて寝るところがある。この街じゃ贅沢な願いだ。」

そう言われ、ドギーは黙り、ビールを飲み始めた。

しばらくすると、喧嘩を終え、不満顔のコニーリアが店に入ってきた。

キヌゲがあわてて声を出す。

「コニーリア!親父さんが恐いから客引きはよせ。」

メシ食うだけだよというとコニーリアは奥の男たちが座っているテーブルに向かって行った。

ドギーはビールを飲み干すと、また来ると言い、机の上に札を一枚置いた。

出口付近のテーブルには、大男たちにナンパされているシャルがいた。

シャルはドギーを見つけると、もうちょっと飲んで行けばいいのにとドギーの背中に一声かけた。



街灯の立ち並んだ通りを抜け、路地裏に入ると急に暗くなった。

細い道を歩き続け、酒に潰れて寝ている人間か分からぬ老人をまたぎ、さらに奥へと歩き続ける。

道のどん詰まりに来ると大きな木製の両開きドアが現れた。

ドギーはその扉を開けると、真っ暗なロビーへと足を踏み入れる。

建物中央は吹き抜けになっており、壁際に上階へ続く階段があった。

ブーツの音を鳴らしながら、ドギーは3階で止まり、二つある部屋の内の一つの鍵を開けた。

中に入ると、シャワーの音とその音に負けない音量の鼻歌が聞こえてきた。

ドギーはベッドの端に備え付けてあるクローゼットを開けると、中に上着とシャツを投げ入れる。

ベッドに座り、ブーツを脱ぐとおもむろにベッドに横になった。

天井を見つめながら次の記事の構想を始めようとする。

ちょうどそのとき毛量の多い黒髪を拭きながらベルが風呂場から出て来た。

「おーう、帰ってたのかよ。」

特徴的な重い足音を出しながら、ベルはドギーの寝ているベッドの向かいのベッドに座った。

「相変わらず太い足だな。こいつは見惚れる。」

「太いのは”足”だけじゃないんだぜ?」

そう言うとベルは腰を小刻みに振り、高い声で笑った。

ベルリネッタはドギーのルームメイトであり、運送会社に勤めている。

馬と人間のハーフだが、上半身が人間の、下半身に馬の特徴がはっきりと現れた珍しいタイプである。

脚の筋肉が太く特徴的だが、運送屋で働き、上半身にも筋肉をつけたことでバランスの取れた体躯となっていた。

また顔が美形であるため、とにかく女から言い寄られることが多く、女癖が悪い。

彼は毎晩のように素性の分からぬ女との逢引をするため、外出することが多かった。

その点トラブルに巻き込まれやすく、以前この部屋に女が来た際は、自慢の脚力で窓から1階へ脱出してみせた。

「今日は珍しく部屋にいるんだな。」

「何言ってるんだ。俺にとって風呂は準備前にするものさ。一日の終わりにするものじゃないぜ。」

「だろうな。”花屋”のニオイがするぜ。」

「いい香水だろ?この間もらったんだ。」

そう言うとベルは座ったまま、ベッドに広げてある黒地に花柄の刺繍のついたシャツを羽織った。

そのまま紺色のスラックスも履き、おもむろに立ち上がると風呂場へもどっていった。

ドギーは起き上がると、クローゼットの中の上着を探り、手帳を取り出した。

手帳後部のページを開き、最近メモを残したページを探しながら、ベッドに腰掛ける。

大小様々な走り書きが通り過ぎていく中、一つの走り書きを見つけた。

”スモール・プールの殺人犯の正体は”

走り書きのすぐ下には”不文律?”と書かれてある。

その走り書きを見るや否や、ドギーは手帳を閉じた。

一瞬の静寂の後、整髪料で髪をオールバックにしたベルが風呂場から出てきた。

オールバックとは言っても、その毛量が多いせいか馬のたてがみのように見える。

「行って来るぜ、兄弟。お前もたまには遊んでこいよ。」

そう言うと、ドアを勢いよく開いて出て行く。

彼の蹄が叩く階段の音がアパート中に響きながら、徐々に遠ざかっていった。

ドギーはゆっくりと立ち上がり、窓側にある共用机に向かうと、鍵のかかった抽斗を無理やり開けた。

中には、タバコとマッチ箱が入っている。

山に生えた煙突から煙の出ているイラストが薄く汚れ、タバコはしばらく吸われていないようだった。

タバコを取り出すと、すぐに火をつける。

窓際で煙を燻らせている間ずっと、ドギーは懐かしいニオイを感じていた。

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