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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

πとrとhとkと

作者: 次元つぐ

 1


 変態レズと呼ばれながら生きてきた。

 改めて考えると、私の親は少し変だ。いや、かなり変かもしれない。実の子を変態レズ呼ばわりとは。別に嫌われたりしているわけじゃない。ただ、私の母は無神経でガサツなのだ。

 母がなぜ私をそんなふうに呼ぶのかといえば、私が女の子の太ももフェチだからだ。幼稚園に通っていた頃から、同じクラスの子の太ももをさすったり、膝枕をしてもらって喜んだりしていた。

 親からずっと変態レズと呼ばれていた私は、その意味などよくわからないまま、幼稚園で自らそう名乗っていた。私自身が自分をそう呼ぶので、周りの子たちも、そんな意味なんてもちろん知らずに同じように呼び、それが小学生になってもずっと続いた。中学年辺りともなってくると、さすがに言葉の意味もわかってくるようになっていたはずだけど、変態レズというのは、いつしか持ちネタというか、私のキャラのようなものになっていた。そのおかげで、私はいろんな子にべたべたすることができた。そんな状況が、中学二年になった今でも続いている。

 今日も今日とて、友達の美由にセクハラをしようとしていた。英梨と話をしている美由に、後ろから静かに近づく。それからタイミングを見計らい、両脚の間に頭を突っ込み、体を持ち上げて勝手に肩車をした。驚いた美由が小さな悲鳴を上げる。

「おいっ、ふざけんな! 危ないじゃん!」

 落ちないように私の上でバランスを取りながら、美由が怒る。これはけっこう危ないので、小柄ながらも割と足腰がしっかりしている、美由のような限られた相手にしかできない。

「だって肩車は美由ぐらいにしかできないもん」

「はあ? 知らないよ、そんなの。いいから下ろしてよ、普通に危ないんだけど」

 太ももの感触をもっと楽しんでいたかったが、しょうがなく下ろす。あんまりふざけすぎるのも良くない。少し物足りなく感じた私は、ターゲットを英梨の魅力的な黒タイツに変えようかと、ちらりとそちらを見やるが、ガードが固すぎて諦める。

 私は去年の体育祭以来、肩車をすることにハマっていた。組体操で肩車をやることになったとき、私は率先して支え役をやった。女子の太ももに顔を挟まれたかったのだ。果たして、私の企みはうまくいった。初めて美由を肩車したとき、落ちないように力んで硬くなった筋肉と、それを覆う弾力のある肌を首や顔で存分に味わいながら、私は恍惚とした。ああ、これはヤバい、と思った。頭がくらくらして倒れそうになったことは誰にも言ってない。

「だいたい、望未、あんた、冷え性で手冷たいんだから触んないでよね。夏場ならひんやりして気持ちいいけど、今はまだ寒いときあるし」

「へえ、気持ちいいんだ……?」

 私はニヤニヤしながら、からかうように言う。

「何その言い方? ち、違うし、別にそういうのじゃないし……」

「え? そういうのって何? ちょっとよくわからないなあ……お姉さんにちょっと詳しく教えてよ、ぐへへ」

「う、うるっさい、この変態レズが!」

「変態レズとツンデレが仲良く喧嘩する二年一組は今日も平和です……」

 美由と話していたテンション低めな英梨が、その場の状況を端的に言い表す。

「誰がツンデレだ!」

 と、ツンデレが気を取られている隙に、私はその太ももに手を伸ばす。「ひんっ」という鳴き声を聞いて私は満足する。



 2


 長谷川さんたちが騒いでいる様子を見ながら、わたしは少しいらいらしていた。人をいきなり肩車する長谷川さんは、周りのことをあまり考えていなくて危険だし、藤岡さんは、急に変なことをされて怒るのはわかるけど、変態だのレズだのといった言葉は、人前でそうそう口にするものではない。長谷川さんのあだ名やキャラはだいぶ前からのものらしいけど、これまで親や先生は何も注意してこなかったのだろうか。

 わたしは席を立って彼女たちのところに向かう。

「ちょっと、あなたたち」

「何、北山さん?」

 いまだ何やら騒いでいた長谷川さんがこちらを向いて訊く。

「長谷川さん、あなた、いきなり後ろから肩車なんてしたら危ないでしょ。それに、人の体をむやみに触ったりするのもやめたほうが」

「そうだぞ、この変態レズめ」

 藤岡さんが合いの手を入れるように言う。

「私と美由のコンビなら大丈夫だよ。去年、体育祭の練習でも、散々股開いてもらったしね」

「変な言い方すんな!」

 また二人の漫才が始まる。わたしは少し呆れながら言う。

「藤岡さん、あなたもあなたよ」

「え?」

「いきなり妙なことされて怒るのも理解できるけど、その、へ、変態だとか……レ、レズだとか、あんまり言うものじゃないと思う」

「え……いや、でもそれって、半分こいつのあだ名みたいなもので……」

「そうそう。それにもともと自分で言いだしたことだし」

 悪口を言われていると思っていた相手から何故かフォローが入る。これではまるでわたしが悪者みたいだ。

「そういう問題じゃなくて……」

 わたしはそこで口ごもった。何と説明すればいいのだろう。そうした言葉について、どうしてそれを口にしてはいけないのかということを改めて説明するのは、難しいことに気がついた。それに、ただでさえ口に出しにくい言葉に関して、今更詳しく言うのも、なんとなく恥ずかしかった。今まで誰も注意しなかった(のかどうかわからないけど)理由がわかった気がした。

「と、とにかく、あんまり、変態とか、そういう言葉は口にしないほうがいいと思う」

「えー、本人が別に気にしてないのに」

「たしかに、そうかもね」

 長谷川さん本人が抗議する中、意外なところからわたしに同意する声が上がる。長谷川さんと藤岡さんの二人と一緒にいながら、黙って事の成り行きを見ていた大西さんだった。

「正直、私もどうかと思ってたんだよね、最近。私たちももう中二なんだしさ、大人にならないと」

 独特の空気感を持つ大西さんがそう発したことで、その場はどこか妙な雰囲気に包まれた。長谷川さんも何も言わない。

「あ、うん……、でも、それはともかく、英梨もさっき望未のこと、変態レズとか言ってたよね」

「え、そうだっけ」

「そうだよ」

 わたしが突っ込みたかったことを藤岡さんが代弁してくれた。



 3


「ちょ、っと……、やめてよ、本気で怒るよ」

 私がいつものように触れようとすると、美由はそう怒った。

 北山さんに注意を受けてから、私は少しやりにくくなった。それまでと同じように、私がふざけて触ろうとすると、美由は嫌そうにした。今までも抵抗する素振りはあったけど、それはなんというか、あくまでポーズのようなもので、そこまで嫌がっていなかったと思う。もしかしたら、それは私の勝手な思い込みなのかもしれないけど、とにかくこれまでと対応が変わったのはたしかだった。

 でも、美由は本気で嫌がるというよりは、やっぱり北山さんの目を気にしているように見えた。私がべたつこうとすると、一瞬、周りに目を走らせ、その姿があるかないか確認しているようだった。

 考えてみれば、スキンシップという名のセクハラを注意されたのは私で、美由は変態レズなどといった言葉は口にしないほうがいいと言われただけだ。美由は私が変態行為をして北山さんにまた注意されないように、私のためを思って、あえて適当な距離を取ってくれているのかもしれない。

 実際、美由はこんなことも言った。

「私は北山さんに言われて思ったの。たしかに、そろそろあんたを真人間にしないといけないって」

「これは調教プレイですね、わくわくします」

 英梨が真顔で口にする。

「ああ~、美由との調教プレイなんて、考えただけでぞくぞくする」

「だから、お前、そういうところからだぞ! っていうか英梨も変なこと言うな!」

 英梨の言葉に私がふざけて便乗すると、美由が声を立てた。

 こうしたやり取り自体はこれまでとあまり変わらなかったけど、お触りのチャンスはやっぱり減ってしまった。私のキャラクターやネタとして通っていたことが、通用しなくなってしまったのだ。

 北山さんが私たちを注意するのを見ていた子もいるだろうし、美由が私を更生させようとしている様子を見て気づいた子もいるだろう。あくまで冗談事として笑って許されていたことが、受け入れられなくなっていた。私は他の子たちにもいろいろ手を出していたけど、他の子も美由と同じような感じで、そういったことはやめようという雰囲気になっていた。

 きっと、これまでがおかしかったのだ。せめて小学生のうちに終わっておくべきだったのかもしれない。おかげで私は、友達との接し方がわからなくなってしまった。

 これまで、私は体の触れ合いを中心にしてコミュニケーションを取っていたことに気がついた。太ももや胸やお尻に触れるようなセクハラだけでなく、普通に話をしようとするときにも、肩や腕などによく手を触れていたのだった。

 北山さんに言われてからも、しばらく私は懲りずにボディタッチなどを繰り返していた。でも、拒否されたり、美由からの調教もあったりして、だんだんと大人しくなり、体に触れることも少なくなっていった。そして、それにともない、周りとちょっとした距離を感じるようになった。話をする機会などにあまり変わりはなかったけど、やっぱりどこかしっくりこないというか、物足りなさを感じた。




 4


 わたしが苦言を呈してから、長谷川さんは変わってくれたようだ。はじめはあまり効いていないようだったけれど、藤岡さんのお世話や周りの協力もあり、徐々に良い方向に向かっているように見えた。

 しかし、気にかかることもあった。長谷川さんは大人しくなっていくと同時に、元気もなくなっていくように思えた。大人しくなることと元気をなくすことは、似ているようで違う。普通にしている様子を見ても、どこかしょんぼりしているような印象を受けた。

 少し胸が痛んだ。わたしが何もしなければ、長谷川さんはきっと今でも明るくしていただろう。もっと普通に、楽しそうにしていただろう。

 しかしそれは、あの破廉恥な行為やキャラ付けや呼び名があってのものだ。ああいったことを見逃すことはできない。個人的にも、学級委員という立場的にも。

 それでもやはり考えてしまう。わたしがしたことは正しかったのだろうか。

 長谷川さんと話をしようと思った。

「長谷川さん、ちょっといい?」

 休み時間、わたしは彼女を教室のベランダに呼び出した。二人でベランダに出ると、教室の中の音は遠くなり、わたしたち以外に誰もいないそこは、静かだった。

「最近はあまり変なことはしてないみたいね。わたしの言ったことを聞いてくれたの?」

「え? いやあ、なんていうか、ほら、美由の調教が厳しかったり、他のみんなからも拒否られたりしちゃってさあ。ほんとはもっとべたべたしたいけど、なかなかできないっていうかねえ」

「調教って……、まあいいわ。その、あれ以来、なんだか長谷川さんの元気がないように見えて、もしかしたらわたし、悪いことしたんじゃないかと思って」

「ええー? 北山さんは何も悪いことなんてしてないでしょ。注意されたあのときは、ちょっとふてくされたり、今は他の子にあんまり触ったりできなくなって寂しいのもたしかだけどさ、これまでがおかしかったんだよ、きっと。英梨も言ってたけど、私たちももう中学二年だしね。だから、別に北山さんが気にすることじゃないよ」

 わたしはそれを聞いて安心した。やはりまだ少し責任は感じるものの、自分のしたことは間違いではなかったのだと思った。

「そう? 良かった。ひょっとして、何か償いでもしないといけないかと思ったから」

「償いなんて、大げさだなあ。北山さんて真面目だよね。正義感強いっていうか。だからこそ学級委員なんてやってるんだろうけどさ」

「全然そんなのじゃないよ、それこそ大げさ。独り善がりなところあるし、たまに空気読めないし。もしかしたら、今度のことだってちょっとそんな感じかもしれないし」

「そんなこと言ったら、私だって似たようなもんだよ。美由から聞いたんだけど、私に体触られたりするの、実はほんとに嫌がってた子もいたらしくてさ、それにずっと気がつかなくて。私、お母さんのこと無神経でガサツだと思ってたけど、やっぱり自分もその血を受け継いでるんだなって思ったよ」

 彼女は一度言葉を切った。わたしたちは手すりに凭れながら、二人とも外を眺めて話していたが、そこで彼女はわたしのほうを向いた。

「北山さんのおかげでやめられたし、気づけて良かった。むしろ私は北山さんに感謝しないといけないくらいかもしれない」

 長谷川さんの真面目な様子を初めて見た気がした。こんな顔もするんだな、と思った。

 わたしはまた、そうじゃない、と言って、彼女の言葉を否定しそうになったが、素直に受け取ることにした。そこで違うと言ってしまえば、彼女の気持ちそのものを否定してしまうように思えたからだ。自分は謝らない癖に、相手からの気持ちは受け取るというのは、ずるいだろうか。

 長谷川さんが真剣そうにしていたので、逆にわたしは少しおどけてみることにした。

「そう、そうよ。わたしが長谷川さんに謝ることなんて何もなかったんだわ。むしろそっちこそわたしに感謝すべきだったのよ。土下座して感謝しなさい」

 わたしがそう言うと、長谷川さんは静かに「はい」と答えて、おもむろに膝を床に突きはじめた。まさか本気でそうするとは思わなかったわたしは狼狽える。

「えっ、ちょっ、今のはちょっとした冗談で、そんな、ほんとにそんなことする必要なんてないわ」

「いいよ、それくらいのことをしてもらったんだよ、私は」

「ええっ?」

 あたふたしながらも、彼女が両手を突こうとするのを止められなかった。が、

「――なーんちゃって」

 と言いながら、タックルをするように、急に彼女はわたしの下半身に抱きついてきた。

「なあっ⁉」

 不意を衝かれたこともあって、わたしはバランスを崩し、尻餅をついた。脚のほうを見やると、すらりと長い手足を持ち、わたしよりも一回り高い背丈の彼女が、太ももにしがみつき、頬を擦りつけている。内ももに短い髪が当たってくすぐったい。こそばゆさや恥ずかしさや何やらに体が震えた。ひっ、という声が漏れ、空いていたほうの足で、思わず長谷川さんを蹴りつけた。「ぐえ」という音を発し、彼女はわたしの脚から離れた。

「な、きゅ、急に何するの」

「痛あ」と言いながらわたしが蹴ったところををさすりつつ、長谷川さんが立ち上がる。

「あ、ごめん、つい……。でもあなたが急に抱きついてきたりするから……」

 わたしも謝りながら身を起こす。

「何だろう、なんか、急に北山さんのことが愛おしくなって」

「なっ……」

 顔が火照るのが自分でもわかった。彼女に見られたくなくて、不自然にならないよう、顔を隠しながら外を向いた。

 落ち着け。あくまでこれは彼女のキャラクターの一環だ。そうだ、これは、今まで彼女が藤岡さんや他の子たちにやってきたことと同じだ。だいたい、男子から言われたならともかく、同じ女子から言われて何をどきどきしているのか。

 ふと考えると、わたしはこれまで、長谷川さんから他の子たちのようには手を出されたことがなかったことに気がついた。今が初めてだった。わたしは何故だかちょっと嬉しくなった。

 いやいや、何を考えているのだろう。

 わたしは少し落ち着きを取り戻し、再び彼女のほうへ向き直る。

「というか……あなた、改心したんじゃなかったの? さっき言ってたことは嘘だったの? これじゃ、ちょっと見直しかけたわたしが馬鹿みたいじゃない」

「嘘じゃないよ、北山さん。ただ、人はそう簡単に変われるものでもないんだよ。ここのところ、みんなとあんまり触れ合えなくて、欲求不満でね。北山さんなら許してくれるかと思って。 それとも、やっぱりこれも無神経でガサツだったかな」

 ふざけたり、真面目な顔になったり、彼女の言葉をどこまで真剣に取っていいのか、よくわからなかった。けれど、言葉の後に見せた微笑みには屈託がなく、少なくともそれだけは信じてもいいのかもしれないと思った。

 彼女は、自分が笑ったときの顔がどんなものか、知っているだろうか。

「わたしは大丈夫よ、別に。つ、償いもしないといけないと思ってたわけだし」

「よし」

「何が『よし』なの」

「北山さんから言質を取ったよ」

「言質?」

「私がセクハラしても許してくれるって言ったよね?」

「はい?」

 真面目にしたと思ったらすぐこれだ。彼女には本当に呆れさせられる。

「長谷川さんて、無神経でガサツなだけじゃなくて、ついでに馬鹿なの?」

「そうだよ」




 5


「あんた、今度は北山さんに変なことしてたでしょ」

「バレたか」

 二人で話しているところを美由に見られていたらしい。

「『バレたか』じゃないよ。せっかく、最近は私が監視したりして、大人しくしてたと思ったのに。ちょっと目を離したら、今度は今まで手出ししてなかった子にちょっかいかけるなんて」

「嫉妬してんの?」

「そんなわけあるか」

 軽口はあまり通用しなかった。

「こう見えても、私だっていちおう努力してるんだけど」

「そもそも、努力して治すようなことじゃないんだけど」

「厳しいなあ」

 やっぱり嫉妬でもしているのだろうか。

 美由の言う通り、たしかに努力して改善するようなことじゃないのだけど、私にとってはそこそこシリアスな問題でもあった。といっても、それは思春期男子がエロ本やエロサイトを禁止されるぐらいの深刻さにすぎない。……ん? だとしたら、それはかなり重大な危機なのじゃないだろうか。同年代の男子にとって、エロコンテンツを禁じられるというのは、どれほどの苦痛なのだろう。…………それはどうでもいいか。

 もしかしたら、ボディタッチ禁止というのは、自分で考えている以上に身に応えているのかもしれない。なにせ十年以上も変態レズとしてやってきたのだ。女の子の体に触れられないことから欲求不満が生まれるだけでなく、アイデンティティを半分持っていかれてしまったようなものでもある。

 北山さんは、私に償いをしないといけないと言っていた。

 償い。なるほど。

「北山さんから許しを貰ったんだよ」

「許し?」

「お触りOKの許しをね」

「はあ? あの北山さんが? 噓でしょ。どうせまた、あんたが勝手に適当なこと言ってるだけでしょ」

「まあ、だいたいはそうなんだけどね。それにしても、やけに強く否定するなあ。まさか本当に嫉妬しているのかしらん?」

「ほざけ」

 シンプルにして、女子中学生がするのはどうかと思われる罵倒。嫌いじゃない。

「北山さんが許可するわけないと思ったからちょっと驚いただけ。でもどうせ適当なんでしょ」

「嘘、というほどでもないかもしれない。実際、怒られた、っていうか蹴られはしたけどね。でも、思ったよりは怒られなかったし、向こうも満更でもなくもなくもなかった的なアレというか」

「結局どっちよ。まあいいわ、あんたの言うことをどこまで信じていいかわからないけど。あの子、微妙に空気読めなかったりして、それで友達少なそうだし、仲良くしてあげたらいいんじゃない」


 美由に言われたからというわけでもないけど、それから私は北山さんとちょくちょく話をするようになった。同じクラスになって一か月以上経ちながら、それまで私は彼女とあまり話したことがなかった。お互いが属するグループというやつが違ったのだ。

「長谷川さんて、冷え性なのに夏服に替えるの早いのね」

 衣替え期間に入ってすぐに半袖になった私を見て、北山さんは言った。

「夏みたいに暑い日もあるけど、まだときどき肌寒かったりもするから、わたしはまだ替えないけど」

「私、冷え性だけど暑がりでもあるんだよね。今日はちょっと暑かったから半袖にしたけど、また寒くなったら冬服着るよ。……ていうか、なんで私が冷え性だって知ってんの?」

「え、だって前、藤岡さんが言ってたから」

「いつ?」

「ちょっと前。そう、ちょうどわたしが、教室で騒いでたあなたたちを注意したときだったかな」

 ああ、あのときか、と思い出した。

「そんなどうでもいいこと、よく覚えてたね」

「どうでもよくないわ。学級委員として、クラスの子のことは、どんなことでもちゃんと把握しておかないといけない」

「そんな、漫画とかアニメの真面目キャラみたいなこと……。でも、北山さんのそういうところとか、健気さ? みたいな感じこそが、愛おしいんだなあ」

 私はまた、軽はずみに言う。

「あなたは、またそうやって適当なことを言って……」

 北山さんは少しそわそわした様子をしながらも、この前のようにわかりやすい反応はしなかった。彼女にも、私の適当加減はもうわかってしまっているらしい。

 けれど、それとはまた別に、何かを躊躇うような素振りを見せた。彼女はゆっくりと口を開く。

「……この際というのも何だけど、前からちょっと気になってることを訊きたくて……長谷川さんて、小さい頃からずっとあんなふうに呼ばれてたみたいだけど……その、本当に女の子が好きなの?」

 まったく予想していなかった問いに、言葉がすぐには見つからなかった。そんな質問は想像できるはずがなかった。そんなことは、私自身がこれまで考えてみたこともなく、たった今、初めてぶち当たったからだ。本当に女の子が好きなの?

「あんなふう、って……?」

 面食らっていることをごまかすために、半分上の空のようになりながら、わかりきっていることを訊き返した。

「いや、だから、その、へ、変態レズとか、そういうあだ名、みたいな」

 言いにくそうにしている北山さんに、少し申し訳ないような気持ちを抱きつつ、まだどう答えればいいのかわからなかった。

「あ、ああ、どうだろうなあ。なんか、自分でもわからないかも。そういえば、そんなの考えたことなかったな、はは」

 声色が微妙に変わったのがわかった。北山さんにも伝わっただろうか。

「そう、なの。ごめん、変なこと聞いて」

「いやあ、変態レズですから」

 と、自分でもよくわからない返事をした。

 その場が気まずいからどうにかしたいというより、どうしてか、とにかく北山さんから早く離れたい思いだった。でも、そこを離れる理由を考えようとしても、何も浮かばなかった。

 ふと、静かすぎることに気がついた。ベランダとはいえ、教室の中から声や物音が漏れ聞こえてくるはずだ。教室の中を振り返ると、誰もいなかった。次は移動教室だったことを完全に忘れていた。いつもは教室でやる授業を、そのときに限って特別教室でやることになっていたのを、二人揃って忘れていた。

 私たちは急いで視聴覚室に向かった。「誰か声かけてくれれば良かったのに」「ほんとそれ」「まあ、忘れてたのが悪いんだけど」などと言いあいながら早足で歩き、なんとか間に合った。ともあれ、あの話題を終わらせられたのは、私にとって都合が良かった。

 ビデオの少し大きすぎる音がうるさく響く中で、私の心は動揺していた。

 私は、本当に女の子が好きなのだろうか? 

 私の変態レズという呼び名とキャラクターは、ちゃんと言葉の意味を理解する前、物心がつく前に確立されていた。本来なら、そのあだ名やキャラは、成長してその言葉の本当の意味を知るとともに、更新されなければならなかった。でも、それは改められなかった。だから、ずっと私は、女子が好きな女子で、さらに変態というキャラでやってきたけど、「同性」が「好き」な女を表す「レズ」という言葉について、何も深く考えてこなかったのだ。

 私は女の子が好きなのだろうか? 

 私は女の子が好きだ。

 けれど、その「好き」は、多くの人が恋愛において抱くような意味での「好き」なのだろうか。

 言葉の問題だ。ものすごくベタな問題である気もするけど、同時にすごく難しい気もする。もっとも基本的な動詞の一つである「ある」という言葉が、ときにとても難解な哲学的議論の対象になることもある。

 普通の「好き」と恋愛的な「好き」の違いがわからないのは、きっと私がこれまで恋というやつをしたことがないからだ。初恋がまだだからだ。

 何やらちょっとずつ恥ずかしくなってきた。何だろう。顔がじわじわと熱くなってくる。

 同じ言葉で表されていながら、実は別物である感情。

 言葉は邪魔だ。問題は、私自身の心がどう感じるかだ。

 私が本当に自分と同じ女の子を好きなのかどうかというのは、これまでに女の子に恋をしたことがあるか、または、これから女の子に恋をする可能性があるかを考えてみればいい。初恋の覚えはないけれど、自分が気づいていないだけであって、もしかしたら経験しているのかもしれない。

 だんだんとわけがわからなくなってきた。頭が混乱する。「好き」って何だ?

 私がこれまでに言っていた「女の子が好き」という文における「好き」は、好きな食べ物だとか好きな動物だとかについて言うときの「好き」と同じ「好き」であって、要するにそれは一般的「好き」なのだ。それに対して、北山さんから受けた「本当に女の子が好きなの?」という問いは、つまり「女の子が恋愛対象なのか」という意味であって、その文における「好き」というのは特殊な「好き」なのだ。だからこれは一般「好き」理論と特殊「好き」理論との違いについて訊かれている。

 それで、だから、何だ……? 頭がパンクしそうだ。

 そう、恋をしたことがあるかという話だ。これまで同じ「好き」に分類されていたものを、一般「好き」と特殊「好き」に分別するというお話だ。特殊「好き」そのものを知らなくても、いくつもある「好き」の中に一般「好き」ではない「好き」があれば、それが特殊「好き」だ。

 これまでにそんな「好き」があっただろうか。これまでに出会ってきた女の子たちの顔を思い浮かべてみる。幼稚園……小学校……そして中学校。英梨、美由、そして北山さん。

 最後に行き当たった可能性に、頭の中で何かが甘く閃き、それとともに胸の奥が急に引っ張られ、きゅっと締め付けられるようなものを感じた。他の子のときとは明らかに違う感覚。

 まさか……? これが……?

 いやいやいやいや嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。どうしてそうなる?

 もちろん、北山さんのことは嫌いじゃない。でも、北山さんと話をするようになったのはまだ最近だし、そのきっかけも、私がふざけていたのを彼女が注意したことだった。きっかけはきっかけでも、いいきっかけとはあまり言えない。それとも私は、そうやって注意を受けたりすることで興奮するMか? 変態はあくまでネタでしかないんじゃないのか? どこに彼女をそんな好きになるきっかけがあったというのだろう? そもそも私は北山さんのことをまだあんまり知らないではないか。そうだ、吊り橋効果だ。危険な状況や緊張状態にあって感じたどきどきを、そのとき一緒にいた人に対してどきどきしていたのだと勘違いするというあれだ。これまで考えてこなかったことを急に訊かれて衝撃を受けたのを、その質問をした人に対する気持ちと取り違えたとか、そういうことだ、たぶん。

 心臓の動きが激しくなっていた。実際にその音が聞こえた。それは体の中を伝わって聞こえるのか、それとも外の空気を震わせて聞こえてくるのか、わからなかった。

 私は何をそんなに必死になって否定しようとしているのだろう。自分が本当に女の子を恋愛対象と見ているかもしれないことが怖いのだろうか? 自分が実は普通でないかもしれないことを恐れているのだろうか?

 初恋と禁断の関係についての悩みが同時に訪れた私の頭の中は、もうごちゃごちゃだった。

 恥ずかしさやその他の感情がごちゃまぜになって、居ても立ってもいられないような気持ちで落ち着かず、叫びたい気分だった。叫ぶ代わりに、机の上に組んだ両腕に額を押し付け、足をばたつかせながら、小さく唸った。授業の内容は、もちろんまったく頭に入っていなかった。


「美由って、今好きな人とかいる?」

「いない」

「これまで誰かを好きになったことは?」

「ない」

 恋とはどういうことか知るという、とても恥ずかしいことをするために、私は、今好きない人はいるか、といった質問を友達にしていた。ここのところ、ずっと私は恥ずかしい。

「じゃあ、英梨は?」

「どっちもノー」

 きっと二人とも嘘をついているのだと思った。私は少しふてくされた。

「ったく、使えないなあ、この処女どもめ」

「お前が言うな」

「激しく同意。単に処女というだけでなく、処女と書いて『おとめ』と読ませるぐらいには、実は初心な望未に言われたくない。色気づきやがって、この処女野郎」

 英梨にはいったい何を見抜かれているのだろう。

「だいたい急に何? 今までそういう恋愛話とかあんまり興味ない感じじゃなかった? それこそほんとに好きな人でもできたの?」

「はい? ちょっと意味がわからないですね、何を言っておられるんですか、アナタは?」

「……まあ何でもいいけど」

 意味深な間の後に美由が言う。もうバレてしまっているだろうか。

 北山さんとは、当たり前だけど話しにくかった。避けるわけにもいかないので、話すには話すけど、うまく北山さんのほうを見ることができず、ぎこちなくなったりした。綺麗で長い髪を蓄えた、美由よりも少し高いくらいの小柄な北山さんを目にすると、やっぱりどこか可愛がりたい気分になる。健気で愛おしいということを、私はあまり深く考えずに言ったが、それは多かれ少なかれ、本心が含まれていたのだ。私の変化は、もうとっくに気づかれているだろうか。

 美由と英梨にはこれ以上悟られたくなく、また他の子にもバレないように、漫画から学ぶことにした。恋愛を描いた少女漫画でも読めば何かわかるだろうと思ったのだ。それに、漫画の話題からなら、恋愛の話が他の友達とも自然にできるだろうとも思った。

 けど、わざわざ友達から体験談などを聞く必要はなかった。結論から言えば、私は恋に落ちていた。明らかに。

 漫画の中で描かれるそれは、まさに私が経験した感覚と同じであり、今更誰かに訊く必要はないように思えた。これだと確信した。現実の話を知らずに、漫画だけから理解しようというのはどうなのだろうとも思うけど、ここまで共感できるのであれば間違いないはずだ。

 それでも、いちおう念のためということもあって、何人かのクラスメイトにその漫画の話を振ってみた。みんな、自分の経験と照らしてかどうかは知らないけど、共感できるとかキュンキュンするとか言っていた。やっぱりそうなのだ。私は観念した。

 しかし、いまだに疑問なのは、どこに北山さんを好きになるきっかけがあったのかということだ。考えてみても謎だ。

 ある漫画にこういうことが書いてあった。人を好きになるのは理屈じゃない。誰かを好きになった理由というのは、全部後から考えて初めてわかるものだ。すべては後付けでしかない。好きになる理由をいちいち挙げていって、その後に好きになるわけじゃない、と。

 理屈。私が太ももを好きなのも、考えてみれば理屈じゃない。ハリ、弾力、輝き、絶妙なフォルム。太ももの何がそんなにいいのだろうと考えてみても、あまり多くの要素は思い浮かばない。ただ、それはどうしようもなく私を惹きつけるのだ。言葉では表せない、何とも言えない良さ、それはどこまでも個人的なもので、人に伝えるのは難しい。

 私が北山さんを好きになった理由も、もっと後になってからわかるのかもしれない。もしかしたらわからないかもしれない。でも、どうでもいいじゃないか。何だっていいじゃないか。

 私は開き直る。

 好きなものは好きなんだ。



 6


 わたしがあの話をして以来、長谷川さんの様子がどこか変だ。あっけらかんとした感じが彼女の特徴的なところだったけど、最近はどうも何かを気にするふうで、少し大人しいというかしおらしいというか、そんな感じもする。話をするとき、わたしのほうをあまり見ず、どこかぎこちない。それは当然といえば当然なのかもしれない。

 本当に女の子が好きなのかという質問をわたしがしたとき、物事にあまり動じなそうな長谷川さんが珍しく動揺しているように見えた。そんなことは考えたことがなく、自分でもわからないと彼女は言った。そのキャラやあだ名は、やはりあくまでもネタのようなものだったということだろうか。

 わたしはもしかして、不躾なことをしてしまったのではないだろうか。ネタをネタとして受容できない、空気が読めない、デリケートな部分に踏み込んでしまうという意味で。そう考えると、少し怖くなった。

 そんなことを考えているとき、突然の告白がある。

「好きだよ、北山さん」

 正直、まったく予想していなかったわけじゃない。もし本当に長谷川さんが女の子を好きというなら、わたし自身も、いちおうはその対象に含まれているわけであり、可能性としてはありえる。けれど、彼女が実際に同性を好きかどうかというのは半信半疑だったし、たとえそうだったとしても、わたしが選ばれるということはあまり考えていなかった。あるとすれば、相手は藤岡さんではないかと思っていたのだ。

 だから、やっぱり驚いた。

「え……?」

「先に言っとくけど、嘘とかネタとか、そういうのじゃないから。北山さん、訊いたよね、私が本当に女の子を好きなのかって。そんなことは、そのときまで自分でも全然考えたことなかったんだよ。だからわからなくて。それからいろいろ考えてみたら、何でかわからないけど、こうなった」

 こうなったと言われても。

「えっと、話が飛んでて、ちょっとよくわからないんだけど」

「ああー、わからなくて教えてほしいのは、こっちのほうなんだよなあ」

 と呻きのような声を上げながら、彼女は両手で髪をくしゃくしゃにする。その顔は、恥ずかしそうでもあり、情けないような感じでもあり、泣きそうにも見えた。その表情が示す感情をわたしはうまく解読できないけれど、ほんの少し、加虐心のようなものが湧き、どきりとする。

「わからないけど、わからないことばっかだけど、でも、一つだけはっきりしてることがある。それは北山さんが好きだってこと」

 そんな恥ずかしいことをよく言えるものだと思う。でもそんなこともどうでもよくなる。彼女の、照れくさそうにしながらも見せた笑みを目にしたら。まあいいかと思う。

 何と返せばいいのだろう。

 正直、複雑な気分ではあるけど、好きと言われて悪い気はしない。

「ありがとう。わたしも、好き」

「えっ?」

「――とまではまだ言えないけど、少なくとも嫌いじゃない」

「ええ……」

 彼女をあまり図に乗らせてはだめだ。そう、それこそ「調教」するようにでもしないといけない。惚れられた側のほうが立場的に優位なのであり、その優位性を利用しなければならない。

 いつからわたしはこんなことを考えるようになったのだろう。

「北山さんて、意外と意地悪なの?」

「どうだろう、あなた次第かも」

「うわあ」

 どういう意味の「うわあ」なのか、さっきの表情と同じように、またしてもいまいちわからない。と、軽いカウンターのようなものがくる。

「償いをしてもらおうか」

「償い?」

 彼女を惚れさせた罪がわたしにあるとでも言うのだろうか。少女漫画か何か? と思ったけど違った。

「前言ってたでしょ、私に悪いことしたかもしれないから、償いがどうのこうのって」

 それか。今更そんなことを。いや、今更でもない。彼女に対するわたしの負い目は、たしかにまだ少し残っていた。

「あれから人肌が恋しくて寂しいんだ。寂しくて死んじゃいそう。……ねえ、ここから下まで、何メートルぐらいあるかな」

 そう言いながら彼女は、ベランダの手すりに片足を持ち上げようとする。

「パンツ見えそう」

 と、わたしが動じない振りをしつつ言うと、

「変態」

 と、そのままの体勢で、少し笑いながら彼女は返す。

 わたしは、しょうがなく「償い」をすることにする。

「わかったけど、何すればいいの?」

「膝枕」

 少し拍子抜けする。でも、わたしはあることを思いつく。

「いいよ、ついでに耳かきもしてあげる」


 翌日、気持ちがいいと評判の耳かきを学校に持っていった。母が最近たまたま買ったもので、まだ新品だった。

 放課後、教室から人がいなくなったのを見計らって、わたしたちはいつものベランダに出る。傾いた日差しがきつく感じる。五月も下旬となると、さすがにそろそろちょっと暑い。二人とも半袖の夏服だった。

「さて、膝枕の時間だ」

 ベランダでやるのは少し抵抗があったけど、長谷川さんがベランダがいいと言うのでそこにした。たしかにそのほうが目立たない。でも、そこに座ったり寝転んだりするのは、掃除してあるとはいえ、ごみやほこりが気になった。すると、「ちょっと待ってて」と言って長谷川さんが中に戻り、どこからか座布団を持ってくる。

「どうしたの、それ?」

「先生の椅子から拝借してきた」

「学級委員の前でそれをやるとはいい度胸してる。でもまあいいか、ちょっとぐらい」

「北山さんも思ったより不真面目だね」

「あなたの影響かも」

 彼女はわたしの言葉に虚を衝かれたような表情をした後、少しだけ笑った。

 いつの間にか、長谷川さんとのやり取りは、わたしの中でどういうわけか、精神的な戦いというか、駆け引きのようなものになっていた。惚れたという弱みはあるものの、もともと動じにくく積極的な彼女と、惚れられた強みはあるものの、いろいろと気にする性格で、あまり強くは出られないわたしとの間で行われる、微妙な攻防。彼女はそんなことは考えず、どちらかというと欲望に忠実といったふうに見えたけど、わたしは何故か一人で気を張っていた。

「さあ、座って」

 教室の中からだけでなく、正面に回らなければ外側からも見えないベランダの隅に座布団を置いて、長谷川さんが言う。わたしは両脚を片側にずらした形で正座をする。長谷川さんは体の片側を下にしてごろりと寝転び、頭をわたしのももに乗せる。重い。落ち着く場所が見つからないのか、「違うなあ」「ここじゃないか」などと言いながら、彼女はいろいろと頭を置く場所を変える。「あー、ここだ」とようやく最適場所を見つけたらしい。

「ここだ……むちむち、太もも……」

 と言ってだらしなく綻ばせたその顔を見て、わたしは納得する。ああ、これは変態だ。変態がわたしの脚の上に頭を乗せている。

 耳の辺りにかかった髪を退けようとして、わたしの手が触れると、彼女の体がびくりと反応するのがわかった。

「……今、びくってなったね」

「え? なってないよ」

「なったよ」

「なってないって」

「いや、なったよ。明らかに」

「……まあいいけど、どっちでも」

 わたしは思わずニヤニヤしてしまっていた。これじゃ彼女と同じだと思った。が、別にそれで良かった。わたしがわざわざ耳かきをしてあげようなどと言いだしたのは、まさにこのためだったのだから。息を吹きかけてやろうかとも思ったけど、さすがにやめておいた。

「いくよ」

「はい」

 何だろう、何か、すごくどきどきする。しおらしく、「はい」なんて言って。自分の胸元のスカーフが、心臓の鼓動に合わせて震えているのが目に入った。

 わたしがゆっくりと彼女の中にそれを挿しいれると、彼女が「ん……」という声を漏らし、少し身を硬くするのが伝わる。わたしの拍動が一段階激しくなる。最初に一かきすると、彼女はまた「んぅ……っ」というような湿った声を出す。なんというか……これは……エロい。卑猥。いやらしい。破廉恥だ。口がからからに渇いているのに気づき、唾を飲みこんだ。心臓の動きが速まるとともに、手まで震えてくる。一度、深呼吸をする。続きを始めると、彼女の声が途中から断続的になる。「んん~」という、蚊の鳴くような小さな唸りを、息がもつだけ続けるようだった。そのうち耳垢が取れた。

「あ、取れた。見る?」

「ちょっ、やめてよ恥ずかしい」

「あんな恥ずかしい声出しておいて、今更何恥ずかしがってるの?」

「ああ~、北山さんてそういう人だったんだなあ、もう」

「そういう人って?」

「SだよS。ドSだよ絶対」

 なるほど、Sか。しっくりきた。

「そうかも」

「それはともかく、北山さん、耳かきするの、うまいね。お母さんみたい」

「妹に頼まれてよくやるから」

「羨ましいな、妹さん。私も北山さんの妹になりたい」

「こんな大きい妹、嫌なんだけど」

 反対側やるからこっち向いて、と校庭側を向いていた長谷川さんをわたしのほうに向けさせる。お腹を見られているようで、恥ずかしい気がした。

 再び耳かきを始めると、またさっきと同じように、彼女は声を出しはじめる。「声、我慢できないの?」と訊くと、頭をもぞもぞと動かすが、それは肯定なのか否定なのかはっきりしない。どちらとも認めたくないのかもしれない。訊くまでもなく、抑えられないのだろうと思う。そうした声を聞いていると、体の中でもやもやしたものが起こり、だんだんと息が荒くなってくるのを感じた。

 きっとわたしも変態なのだと漠然と思った。変態取りが変態になる。変態を覗くとき、変態もまたこちらを覗いている。なんということだ、わたしはいつの間に変態になってしまったというのだろう。

 胎児のように体を丸めた格好の彼女が、つま先を真っすぐに伸ばし、拳を握っているのがわかった。しかも片手はわたしの服を掴んでいる。「ちょっと、やりにくいから服離して」と言うと、どうしてか余計に強く握りしめる。そっちがその気なら、こっちもやってやろう。できるだけ快感を与えるように、彼女の内側を優しく撫でるように擦ってやる。すると彼女は、「ふ、ぅっ」という声を漏らし、足をぴくぴくと痙攣させる。もっとだ、と思ったが、耳かきでこれ以上どうにかすることはなかなか難しい。今度こそ、ふっと息を吹きかける。そうすると、彼女は「あっ」という声を出して、服を掴んでいたほうの腕でわたしに抱きつき、顔を埋めてきた。息が乱れて泣いているようになっているのがわかる。わたしは勝ったような気分になり、達成感を感じた。

 しばらく無言でそうしていたが、なかなか動こうとしないので声をかける。

「ちょっと、いつまでそうしてるの」

 すると今度は、彼女は、右手で目の辺りを隠しながら上を向いた。

「うわあん、北山さんに犯されちゃった……」

「お、犯されたって、ちょっと……」

「もうお嫁に行けない、っていうか北山さんにお嫁にしてもらわないといけない」

「何を馬鹿なことを……」

 彼女が急に起き上がり、つま先を立てた状態で正座する。

「円錐の体積の求め方って覚えてる?」

「は?」

 あまりに唐突な質問に不意を衝かれる。

「急にどうしたの?」

「いいから」

「ええ? えっと、底面積×高さ×三分の一、だっけ? 急に何なの?」

「それはね……」

 言いながら彼女はポケットに手を突っ込み、何かを取り出す。何かくれるのだろうかと思って見ていると、その手に持っていたのは巻き尺だった。巻き尺? と疑問に感じた瞬間、「こうするためだよ」と言ってわたしの下半身に抱きついてくる。あのときと同じようだった。「なあっ⁉」とこちらまであのときと同じ反応をしてしまう。しかし今度は、彼女はわたしの股間の辺りに手を伸ばしてくる。「はあ⁉」驚きながら彼女をどかそうとするが、自分より一回り大きい彼女を動かすのは厳しかった。しばらく揉みあった後、ようやく彼女がわたしから離れる。

「何なの⁉ 犯されたから犯しかえそうっていうの?」

「違うよ」

「じゃあ何?」

「北山さんの太ももの体積を測ろうと思って」

 意味がわからない。

「はあ?」

「別に円錐の体積の公式答えさせる必要もなかったんだけどね。あ、太ももの付け根の周りの長さはさっきの内に測ったよ。あと、高さと膝上周りも測らせてもらわないと」

 これはやはり戦いだ。

 わたしの攻撃が終わり、彼女の攻撃が終わった。彼女から奇襲を受けたことに対する悔しさに、先程の興奮がもう一度頭をもたげて加わる。次で仕留めてやる。最後の攻撃だ。わたしはどこか、やけになっていた。もうどうにでもなればいいのだ。わたしは笑みを浮かべて彼女の名前を呼ぶ。

「長谷川さん」

「何?」

 彼女が訊き返した瞬間、わたしは相手の両肩を正面から掴んで後ろに押し倒した。それから自分の唇を彼女の唇に押し付ける。んーっ、という声が聞こえるが無視する。舌を突き入れ、相手の唇を強く吸う。お互いの唾液が混ざり合い、ぬるぬるする。滑りがよくなると、感度も上がり、頭がくらくらした。そのうちに彼女にも抵抗する様子はなくなって、次第に従順になり、さらには積極的にすらなってくる。わたしたちは夢中でキスをした。

 キスの後、二人とも息を切らせているが、長谷川さんだけが目に涙を浮かべている。

「どう?」

「きっ、北山さんの、へ、変態っ!」

 わたしは今度こそ勝ったと思う。



 7


 朝、目が覚めると、やってしまった、という言葉が真っ先に浮かんだ。やってしまったというか、やられてしまった。耳かきの後に、冗談で犯されたと言ったけど、その後のあれは、半分本当に犯されたようなものだ。途中から私もその気になっていたけど。枕に顔を押し当て、ああああああと声を上げる。まさか北山さんがあんなことをしてくるとは、まったく考えていなかった。あの感触を思い出すと、体が震えた。どんな顔をして学校に行けばいいのだろう。どんなふうに彼女と顔を合わせればいいのだろう。

 憂鬱な気分に包まれながら学校に向かうと、玄関で北山さんと出くわす。なんというタイミング。「あ……」とだけ発し、口をぱくぱくさせて、次の言葉を出せないでいる私に向かって、北山さんは何事もなかったかのように「おはよう」と挨拶してくる。吃りながら私が返そうとすると、彼女は私の横を通りすぎていってしまう。振りむこうとしたとき、後ろから首の辺りに腕を回され、寄りかかられるのを感じた。そして、「昨日は、とっても良かった」という声が、すぐ耳元で聞こえた。ぞくり、として気が抜けた。彼女はもはや別人のようだった。

 彼女とそうした関係になれたことは、本当なら嬉しいはずだったけど、今はまだ衝撃のほうが大きく、あまり実感がなかった。もともと、彼女とどうなりたいかといったことはほとんど考えていなかったところで、あんなことになったのだ。展開が早すぎて、感情が追いつかない。前日の一連のことを思いかえすと、顔が熱くなる。


「望未は静かに目を閉じ、相手に自らを任せる。

 加奈が内側をそっと擦りあげると、その感触に望未は思わず身を震わせる。脱力と緊張という、互いに矛盾する現象が同時に起こり、力が抜けるとともに、快感に体が強ばり、脚先がぴんと伸びる。持続低音のように、んぅ~、という嬌声が漏れ出てしまう。加奈が手を動かすたびに望未はぞくぞくと感じた。その手つきは慣れているようで落ち着いており、微かな息遣いも聞こえる気がした。頭の中では何かが咲き、何かが舞い、それらが満ち、気が遠のく。……」

 私たち二人のそばで、英梨が読み上げる。

「な、何なの、それは……」

 私が声を震わせながら訊ねると、英梨は平然と答える。

「望未と北山さんの実話に基づいた百合小説。昨日の密会からの情事は一部始終見させたもらった」

「長谷川さん、わたしたちのこと、どうやら全部知られちゃったみたいね」

 私が完全に動揺しきっている一方で、北山さんは英梨と同じか、それ以上に落ち着いている。これまでなら、私なんかよりずっと取り乱していたはずなのに。

「でもね、大西さん。ナマモノはマナー違反だって知らないの? わたしは別に構わないけれど、長谷川さんはあんなに恥ずかしがってるじゃない。……そうだ、あなた自身が体験して、それを小説にしてみるというのはどう? それなら誰にも迷惑かけないし」

 そう言いながら、英梨の頬に手をやる。

「な……」

 英梨が珍しく動じたふうを見せ、押されている。こんな様子は初めて見たかもしれない。

 そんな光景を美由が目にする。

「あ、あんたら、何やってんの……?」

「ちょうどいいところに来たわ」

 そう言って、北山さんは英梨を自分のほうに抱きよせる。

「あなたも加わる? 3P、いや、4Pなんかもいいかも」

「何言ってんだ……ていうかあなた誰」

「誰って、北山よ。学級委員の北山加奈よ」

「嘘でしょ……」

 美由がそう言う気持ちが、わかりすぎるくらいにわかった。私は何もできずに、その光景を呆気に取られながら、黙って見ていることしかできなかった。北山さん、誰なんだ、お前は。

 もうわけがわからなかった。北山さんのキャラが変わりすぎている。しゃべり方まで変化している。まるで、ドSの悪魔が彼女に乗り移ったみたいだ。そうに違いない。

 これは私の責任だろうか。私が彼女の中の何かを覚醒させてしまったのだろうか。きっとそうなのだ。彼女は私が受け止めるしかない。目には目を、歯には歯を、変態には変態を。

 しかし、そもそも、そんな彼女も私は嫌いではない。かなり驚きはしたけど、許容範囲内だ。なんといっても私は変態レズなのだ。アブノーマルだ。彼女程度の変態くらい、渡りあってみせる。

 私はわざと体がふらつくような素振りを見せ、体勢を崩す。案の定、北山さんが体を支えてくれる。「大丈夫?」と顔を近付けて訊いてくる彼女に、私は笑ってみせ、キスをする。彼女は一瞬、驚いた様子になるけど、すぐに受け入れてくれる。「うっそ……」信じられないといった感じの美由の声と、「おお……」と感動するような英梨の溜め息が聞こえた。

 私の目には、嬉しさと恥ずかしさと他の何かからくる涙が浮かぶ。







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