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セイリオスの逃亡 7


ガランガランッと勢いよくドアベルが鳴る。昨日のイーモンのことを言えないくらいけたましく。オリヴァーが〈ジミー・ディーズ〉に飛び込むと、昼時を過ぎ落ち着いた店内には数人の客しかいなかった。

 数人の客と―――カウンター席に並びポーラを会話する、少女とアマンダと。

「―――びっくりした! どうしたんだい、いきなり!」

 カウンターの中にいるポーラが声を上げた。無意味に首を横に振ってそれに答えるまでもなく答え、視線を巡らし―――ほっとする。かつて見たその姿は、店内にはなかった。

「鹿でも飛び込んで来たって通報があったかい?」

 常連客のひとりがにやりと笑って茶化し、そばにいた数人が密やかに微笑う。……いつもの空気にほっと安堵し、大きく息を吐いた。

「オリヴァー? どうしたの?」

「ああ……」

 アマンダの言葉に一呼吸置いた。

「―――モーリーンが、呼んでるみたいだ」

「ママが?」

「そう。……夕飯の買出しに行けなくなったらしくて」

 下手ないい訳だ。だってそれなら直接連絡すればいいのだから。

 アマンダが訝しげな表情になる。何を言っているの? と言うような。……けれどひとまず、わからないままでも吞むことにしたらしい。うなずいて立ち上がった。

「……そう、わかった……ミユキ、ごめん、今日は引き上げよう?」

「……」

 少女は答えなかった。じっと、その深い深い眼でこちらを見つめる。

「……カーター?」

「……」

 眼を逸らしたくて。

 眼が逸らせなかった。

 唇が動いて―――言葉を、求めて。

 けれど何も、見付けられず。

「……ミカゲ……」

 ただ求めるようにに名前を呼んだ―――その時。

 からんからんと、背後で穏やかにドアベルが鳴った。

「―――オリヴァー?」

 その声は、あの時と変わらず。

 ―――肩越しに、振り返った。

「オリヴァー? オリヴァー、でしょ。……懐かしい、私のこと、覚えている?」

 憂いを帯びた、影を纏うその空気と。

 枯れ葉のようでしょうと本人が昔自嘲した、少しだけくすんだブロンドと。

 そのまま。―――あの時と変わらず、一歩も動かず、そのまま。

「―――オリヴァー? そのひと、誰……?」

 揺れた空気を感じたのだろう。アマンダが縋るように、そう言った。

「―――マリア・オルティスです」

 マリアは。

 オーリを巻き込み、そして別れを告げたその女性は―――あの頃と変わらず、影を纏ったまま、微笑んだ。

「オリヴァーの友人の―――オーリの、恋人です」




 アマンダは声を抑えていた。それは偏に少女のためであって―――仮に少女が二階にいなかったら、一切自重していなかったのだろうと、そう思うくらい苛々とした顔をしていた。

「―――どうなってるのよ」

『……どうも、何も』

 困惑し切り、困り果てた―――仕事ではそんな声を一切出さないであろう―――電話越しのディアムが、うなる。

『どうして今なんだと、本当そう思うよ』

 ボリュームを絞ったスピーカーフォン。夜になり、『夕食に招待された』という名目でやって来たオリヴァーを交えて昨日のように五人で食事をし、少女はもう、二階へと引き上げた。

『ミユキの様子は?』

「変わってない。それがおかしいでしょう……」

 アマンダがうな垂れる。あの少女は一切何も変わらなかった。―――それを思うと、胸が重く濁るようになった。




「……あー……そうかい、そうかい……ああ、アマンダ。行かなくていいのかい?」

「……そうね。そろそろ行かなくちゃ」

 一番最初に復活したのはやはり年の功というものなのか、ポーラだった。アマンダを促がし、アマンダもそれを受け立ち上がる。

「行きましょう」

 名前を呼ばず少女を促がしたが、少女は答えなかった。言葉はなく、……けれど無言で、立ち上がる。それにほっとしたのは自分だけではないはずだった。

「……アマンダ、さん? あなた、ディアムにそっくりね」

 しかしマリアは微笑みながらそう言った。当たり前だ。二人は兄妹なのだから―――同じ砂色と緑をしているのだからわかるのは当然なのかもしれないが、それでも今ここで長居をして欲しくなかった。

「……ええ。あたしはアマンダ・スコット。よろしく」

 アマンダが微笑む。ここで否定してもいずればれると思ったのだろう。

 となると―――続いて、視線が少女に向くしかない。

「よろしく、アマンダ。会えてうれしいわ……はじめまして」

 その矛先が、少女に向いた。

「マリア・オルティスよ。……あなたは?」

「―――ミユキ・ミカゲです」

 透明な声で少女は言った。

「よろしく、オルティスさん」

「よければ、マリアって呼んで?」

「……わたしのことは、ユキと」

「ええ、ユキ。仲良くなれてうれしいわ」

 マリアが微笑む。少女も微笑んだ。―――いつも通りに。




『……マリアにミユキがオーリの恋人だということは……』

「言っていないわ。あれからすぐに店を出たから。ミユキも何も言わない」

「……夕食の時も特に変わったところはなかった」

 沈黙が三つ、重なる。

 何も変わらないところが問題なのだと、全員が思い頭を抱えた。

『……何も言わなくても、何も変わらなくても、何も思っていないわけじゃないだろうに……』

 あの子は本当に、自分の感情を上手く隠すから―――と、ディアムは言った。

『それで本当、苦労しているんだよ……主に僕の部下が』

「部下?」

『とても優秀な部下だよ……まあ、このことはミユキには言わないでくれ』

「? ああ……」

 友人だろうか。まあ、今この状態の少女に祖国や過去に纏わる話はNGだと知っているので素直に引き下がる。

 逃げている、と、ディアムは以前言っていた。

 今少女は―――形振り構わず、全力で逃げているのだと。

「……」

 オーリの死以外に、それ以前やその後に少女に何があったのか、何を視て来たのか―――全く、知らないが。

 それでもそれは、普通は視ることがないはずの景色だったのだろうと―――どこかが苦しくなるような思いで、思う。

「……大体どうして、マリアは今来たの?」

『そう、それだ』

 そう。まさしく。

 どうして今なのか―――どうして、こんな。

『それを探ることは出来る?』

「出来なくはないと思うが……」

 あまりマリアに関わりたくないというのが本音だった。昔からマリアは―――

「……遺産の問題とかじゃ、ないか?」

 何故このタイミングなのかはわからないが、理由のひとつとしてそれが浮んだので口にした。

「オーリが亡くなる前、リザが亡くなった……キサラギ家の財産はすべてオーリのものだった」

 オーリの祖父であるキサラギ氏は、価値のあるものをいくつか持っていた―――すべて受け継いだオーリはだから、それなりの資産を持っていたということになる。

『いや、オーリは自分がもう長くないとわかった時から資産の売却をはじめていた。リザに遺すために……リザが亡くなったあとも俺が動いて売却して、ほとんどを慈善団体に寄付している』

「……オーリ自身が持っていたものは? 受け継いだものではなくて、オーリ自身の……」

 ……それがどうなったかというのは識っていたが、……それでもやはり、一応問うた。

『……遺さなかったよ。あいつは本当に何も、自分に由縁あるものは何も遺さなかった。あいつの棺を見ただろう? あいつは本当、何も持って逝かなかったんだ』

「……」

 そう。

 手紙も、何か形に残るものも、なにも―――何も持たずにという希望そのままに、棺の蓋は閉ざされた。

『……』

「……ディアム?」

 黙りこくった弟に、姉が気遣わしげに話しかけた。

「……どうしたの?」

『……いや……』

「……?」

 顔を見合わせる。たっぷりとした沈黙が、長過ぎるほどの沈黙があって―――重い口が、開かれる。

『これは……俺とあいつとあの子の話、だから。……話したくはなかったんだけれど』

「ええ」

『……オーリはあの子に、何かを遺したかもしれない』

「……何かを」

 呟く―――そして。

「……何を?」

 再び問うと、ディアムは再び黙った。黙って……最後まで考え、時間を置いて……そして漸く、言葉を紡ぐ。

『……わからない。けれど、封筒に入るサイズだった。……あいつが亡くなる直前にあの子にと遺したんだ』

 ―――マリアがどうして今ここに来たのか。

 どうして、今なのか。

 それは。

「……ミカゲに会いに来た……?」

 少女に遺されたものに、会いに。





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