セイリオスの逃亡 6
オーリ・キサラギとディアム・スコットとの関係は、高校時代の時からになる。
オリヴァーの家族がこの街に越して来て、そして同じ高校である彼らとオリヴァーは親しくなった。その頃はまだキサラギ家は祖父も祖母も両親も全員元気に過ごしていて、学校終わりにはよくキサラギ家に行きワショクをご馳走になったものだった。
昔から一緒の、幼馴染だからだろう。オーリとディアムはとてもよく似ていた。
けれど、決定的に空気が違うのは―――オーリの遺伝子に、『ここではないどこか』が確実に刻まれていたからだろうか。
灰色の奥の青色の眼。
ふとした瞬間に奥で色を濃くし、その存在を印象付ける。
……整った顔立ちの二人の周りに、女っ気がなかったのかと言われれば、それはノーだ。あった。適度には、あった。……けれど、デートを何度かする相手はいても、オーリもディアムも誰とも付き合うことはなかった。
以前訊いたことがある。彼女を作らないのかと。
作れないわけでは決してないのはわかっていたのでずっとずっと不思議だったのだ。
そう問うと、オーリとディアムは同時に黙り、そして同時に口を開いた。
『なんていうか……なあ』
『欲しくないわけじゃないけど。嵌り切れない』
『それってなんだか、失礼だろ』
肩をすくめて―――居心地が、悪そうに。
それでも付き合う奴なんて大勢いるだろうにと思ったが、まあそういうところがこの二人の割り切れない不器用なところなのだろうなと、思った。
しかし、何てことはない。オリヴァーもオリヴァーで、告白してくれた同じ高校の女子と付き合うことがあったが―――それほど時を待たずして、別れた。何てことはない。結局自分も『嵌りきれず』それが『割り切れなかった』のだ。二人のことは言えない。
大学へ上がり、三人とも街を出て―――オーリとディアムは大学も近かったのでルームシェアをしていたが、オリヴァーは少し離れていたので月に何度か二人と会う程度、だったけれど。
大学に入りディアムは何人かと付き合ってみたようだが、やはりあまり長続きしないようだった。それでも昔よりかは少しだけ、不器用なままでも僅かには割り切れるようになったのではないだろうか。
オーリの方は―――そう。
付き合ったひとが、いた。
二年ほど、付き合ったひとだ。
―――そうして、オーリに別れを告げたひとだ。
こんこん、とドアがノックされ、物思いに沈んでいたオリヴァーははっとして顔を上げた。
「カーター」
顔を覗かせ、入って来た小柄な体躯―――思わぬ来客に密かにそっと、息を吞む。
「……どうしたんだ、ミカゲ」
「昨日のお礼」
「え?」
「車の」
「ああ……」
曖昧に声を漏らす。ゆるく首を横に振った。
「それはそんなに、気にしないでいいんだ」
「そう? でも冷めない内に受け取ってくれるとうれしい」
「冷めない?」
ちょい、と軽く掲げられた紙袋を見てああと納得する。〈ジミー・ディーズ〉の文字が入った紙袋。そういえば、微かにあたたかい匂いがする。
「……ありがとう。もらうよ」
丁度時刻は昼時。それを見計らって来たのだろうな、と思った。
「ホットサンドとチーズバーガーとホットドック。どれがいい?」
「……じゃあ、チーズバーガーを」
「はい」
手渡されたそれを受け取る。まだやわらかくてあたたかかった。
「アマンダやポーラが、もうひとりいるって言ってたんだけど……」
「ああ。ハイクって奴がいる。今は出てるけどもうすぐ戻るはずだ」
「そっか」
「……待ってる必要はないぞ。それこそ冷めるだろう」
「……ホットサンドとホットドックどっちを選ぶと思う?」
「ホットドックかな」
なるほど、と少女はうなずいてホットサンドを取り出した。席をひとつ持って来てやると、丁寧な言葉で少女が礼を言ってそこに座る。
「あと昨日言ってたパンプキン・スープとポテト。ポテトはサービスだって」
「ああ、在り難いな」
うなずく。まさか二人きりで食事を取ることになるとは思っていなかったので内心が落ち着かない。……あんな話を聞いたあとでは、特に落ち着かなかった。
別に、悪いわけじゃない。
オーリに恋人がいたのは事実で、それは別に悪い話なわけじゃない。―――けれどどうして今このタイミングなのだと、それだけは強く思う。なにも今このタイミングで、……まるでこの少女と会うためのようにこの街に来なくてもいいじゃないのか、と。
「……カーター?」
「え?」
「どうしたの」
「え……」
何かおかしいと、昨日初対面―――少女にとって―――を迎えたばかりなのにわかるほどなのかと、内心で動揺する。
「別になにも」
「そう」
……沈黙。けれど、食事の最中なのだからいいだろうと―――そんな風に、言い訳をする。
もそもそと食事を続け、そして、食べ終わった。
「……ミカゲ」
「うん」
「……アマンダは? ポーラから話を聞いたのか?」
「ううん、これから」
少女は首を横に振った。
「お昼時は忙しいから。予定変更して、二時にアマンダと〈ジミー・ディーズ〉で待ち合わせ。アマンダは〈ジミー・ディーズ〉で食べてる」
それおかしくないか、と思ったが、ああ違うかとすぐにわかる。少女に時間を与えたのだろう。同性同士とはいえ、逆にあの時―――オーリが生きていた時共に過ごしたからこそ、ずっと一緒にいるのはやり切れなくなるかもしれないと、思ったのか。
それにしたって少女の送り先に自分を指定するのは間違いだったのではないかと強く思いながら、気持ちのせいであまり味がしないチーズバーガーを咀嚼する。
「……ポーラは、あいつらが……二人が小さな頃から知っているから。それこそ生まれた時からだよ。だから、たくさん話が聞けるはずだ」
「うん」
こくり、と少女がうなずく。
「五時からはイーモンっていうアルバイトが来るんだ。……昨日は会ってなかったな。あいつは賑やかな奴だけどちょっと賑やか過ぎる時があるから、話ならそれまでに済ませておいた方がいいかもしれない」
「うん」
「モーリーンも。もう聞いたかもしれないが、ラルフとモーリーンもいろいろと知っているはずだ。もちろんアマンダも」
「うん」
「それから―――」
「カーター」
「……なんだ?」
「カーターは、いつからの付き合いなの?」
まっすぐに、少女がオリヴァーを見た。
「……」
その深い深い眼に―――吞み込まれる。
「……高校の、時からだ」
「高校」
「そう。……オーリとディアムが、生まれた時からの幼馴染で……俺は高校から。大学も、ルームシェア出来るほどは近くなかった。……それでも月に何度かは会ってたが」
思い出す。あの時を。
三人でくだらない話を延々話すことが当たり前だった、あの時を。
「……」
空気が、温度が、……いつ会っても、変わらないから。
あの二人と会えば、たとえ何十年ぶりでも―――あの時と同じ空気で話せると、何の疑いもなく思っていた。
「カーター」
「……ああ」
深い眼がオリヴァーを見る。深い、深い。
海の底のような光が、静かに。
「オーリのお墓は、どこにあるの?」
そう。
それを問われるのはきっと自分なのだと、先ほど少女が姿を現した時に、はっきりとそう思った。
この街にある墓地というのはひとつだ。それは街外れにあって、静かな、……静謐な空気で満たされている、緑の美しいところだ。
口頭で丁寧に場所を説明すると、もうこの街の地図が頭に入っているのか少女はひとつ、こくりとうなずいた。―――それから。
「カーター。……リザの家は、……キサラギの家は、今は?」
「……そのままだ」
アマンダやスコット夫妻には訊き辛かったであろうことを、答える。
「あの家は、スコット夫妻が継いだ。……本当に仲がよかったんだよ、キサラギ家とスコット家は。オーリの父親とラルフは無二の親友だったんだ。……家はそのまま残ってる。たまにモーリーンやアマンダが掃除している」
「……そう」
そっと、息を吐くように、少女が言った。
「そう。―――わかった」
小さな、声だった。
「……」
言葉を、探して。……何度も無意味に、逡巡して。
「……言い難い、なら。……アマンダに俺が言って鍵を貸してもらうことも、出来るが」
「ううん。ありがとう、でも自分で言う」
「……そうか」
「でも、ついて来てくれる?」
「え?」
「オーリの家に行く時。きっと、ひとりじゃ行っちゃ駄目だと言われると思う。……アマンダはきっと、わたしに気を遣うから」
カーターが気を遣わないというわけではないよ、という言葉に―――やり切れず、うなずく。
「……わかった」
「ありがとう」
「……明日がまた、休みだ」
「うん。それじゃあ明日、お願い」
「……朝食が終わる頃に迎えに行く」
陽のある時間に行かなければならない。あそこは今、電気は通ってないはずだから。
「うん。……ありがとう」
「いや」
食べきったバーガーの包み紙を軽く示して見せる。
「これがお礼なら、多過ぎるくらいだ。これでやっと、丁度いい」
少女が去ってからしばらくしてハイクは戻って来た。
「……差し入れだ」
「へえ、ラッキー。一食分浮いた。……誰からの差し入れ?」
「……例の子だよ」
「え」
ホットドックを齧ろうとしていた手が止まった。中途半端に固まってからちょっと渋面を作って、
「タイミング」
「まあな」
軽くうなずく。が、先ほどの会話からいっていない方が好都合だった、とは言わない。
「あー、まあ、んー……あれ、元カノのこと言ったのか?」
「いや、言ってないが」
とりあえず保留にしてしまった。アマンダにまず訊いてから判断しようと。
そうか、とハイクがうなずく。
「ちょっと気になってさ。パトロールがてら、ビートのモーテルに寄ってみたんだよ」
「……その元カノがいたのか?」
「いた。……ちょっとくすんだブロンドの女だったよ。鳶色の眼の……物静かそうな、どちらかというと少し暗い感じだったな」
でもまあまあの美人だった、というその報告に頭を抱える。
「ひょっとしてやっぱり知り合い?」
「……マリアだ」
「ああ、やっぱり知り合いか……」
「ああ……」
うめく。―――何かの間違いであったらいいと淡い期待を抱いていたが―――どうやら本人で間違いがなさそうだった。
そう。
影を背負った、ひとだった。
そしてそれを隠そうとしない、ひとだった。
「……会いに行くよ。……なるべくなら、あの子に会わせたくない」
「ああ、じゃあ〈ジミー・ディーズ〉に行って来いよ」
「……え?」
「飯が食えるところを探すって言ってたから、ビートが勧めたんだ」
―――ビート!




