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セイリオスの逃亡 4


 アマンダ・スコットの家は一軒家だ。緑色の美しい屋根をした家で、ディアムもまた、この家で育った。……今家にいるのはディアムとアマンダの両親と、そしてアマンダだ。

「ミユキ!」

 エンジン音が家の前で止まったのを聞きつけたのか、車から降りる前に家のドアが勢いよく開いてアマンダが飛び出して来た。ゆるく波打つ明るい砂色の髪に緑の眼。姉弟揃って同じ色を持つそのひとは、助手席から降りたミカゲに飛び付くようにして抱きついた。

「ミユキ……!」

「……久しぶり、アマンダ」

 少女も。

 いろいろな想いが詰まっているのであろう、何か言いたげな、けれど言葉にならないそれを、切なそうな、けれどうれしそうなはにかんだ笑顔に変えて、アマンダを抱きしめた。……二人の女性がそうやって抱き合うのを、オリヴァーは黙って見つめていた。今ここにいる三人全員が、今ここにいない彼のことを想っているのがわかっていた。

「……会いたかったわ。すごくすごく、会いたかったわ」

 たっぷりとした、万感を込めた長い長い抱擁を解いて―――アマンダが、その緑の眼に涙を湛え、微笑んだ。その眼の色を慈しむように少女が見つめて、それから微笑む。

「―――うん。―――わたしも」




 少女とスコット夫妻は会うのが初対面ではなかった。けれどきちんと言葉を交わすのは、恐らくはじめてなのだろう。

 エリザベス・キサラギの葬儀の時、少女もまた、その場にいたのだから。―――彼と一緒に。

「―――改めてごあいさつします。ミユキ・ミカゲです」

「よく来たね、ミユキ」

「アマンダから話は聞いているわ。本当によく来てくれたわね、ミユキ」

 娘が万感を込めて少女を抱きしめたように、夫妻もまた、深い想いをこの少女に向け微笑んだ。とても美しいものを見る、あたたかい眼だった。

「ラルフ・スコットだ。ラルフと呼んでくれ。こちらは妻のモーリーン」

「よろしくね。あなたに会えてうれしいわ。自分の家のようにくつろいでね」

「ありがとう、ラルフ、モーリーン」

 お世話になります、と、少女が深く頭を下げる。その丁寧な仕草と態度に、スコット夫妻はほう、と感じ入ったように息をついた。

「さあ、奥へ入って。……お腹が減っただろう? モーリーンとアマンダが張り切ってディナーを用意したんだ」

「それから父さんの用意したとっておきのワインもね」

 アマンダが微笑んだ。

「待ってたわ。……本当に、待ってたの」

「―――うん」

 少女がアマンダをまっすぐに見つめ、微笑んだ。

「うん。―――うん」

「……さあ、オリヴァーも。ミユキを連れて来てくれて、ありがとう」

 モーリーンにそっと促されて、曖昧にうなずく。……予め夕食に招待されていたが、その食卓を自分も囲んでいいのか判断が付かなかった。付かないがまた、断る理由も見付けられない。

 大きなテーブルの上は、確かに二人が張り切ったのだろう、料理があふれるように並んでいた。はしゃいだようにアマンダがじゃーん、と笑って言って、

「さあ、ミユキ、保安官。たくさん食べてね? 若手と男性なんだから」

「ありがとう、アマンダ」

「……ああ」

 全員で席に着く。アマンダが両手を合わせた。少女も自然な仕草で両手を合わす。スコット夫妻が微笑んでそれに倣い、旧友のその習慣を懐かしく思い出した自分もまた、同じように手を合わせた。

『いただきます』

 全員のその声が異国の言葉で重なって、そしてあたたかい、笑い声になった。




『―――そう。そうか。―――ありがとう』

 深夜に近いこの時間、かかってきた電話に少女が無事着き今はアマンダの―――電話の主の家にいると告げると、電話の向こうでディアムがほっとしたように息を吐き、そう言った。

『……元気そうだった? 何か様子はおかしくなかった?』

「……普段の様子を知らないから何とも言えないが、普通にしていたように思う」

 普通。―――たぶん、恐らく。

 普通にしていただけで、普通で在ったわけではないのだろうなと―――思う、けれど。

「……街の少し手前で一度下ろした。『ここからは歩いて行きたい』って、そう言ったから。……迷ったんだが、強制も出来なくてな」

『……そうか』

 旧友の声が、想いを帯びる。

『……あいつとあの子は、途中から歩いて街に来たらしいから』

「……」

『……普通にしていても、普通で在ったわけではやっぱりないん、だな』

「……こっちに」

 意識せず、自分の声は旧友を責めるような声になった。

「こっちに来ないのか、お前は」

『……』

 大事な子。―――そう。本当に、本当に大事にしているのだろう。……あの少女のことを、ディアム・スコットは。

 何としてでも仕事を調整し、自ら赴くことだって、この男になら出来ただろうに。

 なのに、どうして。

『……あの子は俺に、会いたくないよ』

 微笑むように―――否、微笑んで、いるのだろう。

 慈しむように、ディアムは言った。

『本当はずっとずっと、会いたくなかったんだ。……あの子以外の理由で、事情で、会わざるを得なかっただけで。……形振り構わず、使える手段すべてを使って全力で立ち向かって―――自分のためではなく、立ち向かって。……そのために俺と再会したんだ。避けていたかった俺に、それでもまた会った。……今は俺に会う理由が何もないよ。今あの子はすべてのものから、すべてのひとから逃亡しているのに―――我慢出来なくて俺が会ったら、あの子のすべてを無駄にしてしまう』

「……」

 逃亡。―――この街に。否。

 逃亡中に、この街に立ち寄った。―――かつて恋人と共に来た、恋人の故郷へ。

『だから俺の代わりに、あの子をよろしく頼む、オリヴァー。……あの子が怪我をしないように、危ない目に遭わないように……どうか、頼む。……本当に大切な子なんだ』

「……お前があの子を大事にしていることを、あの子は識っていた」

『……』

「……お前がどうしてあの子に会わないか、あの子もきっと識っているよ」

 ……そうか、と、ぽつりと落とすように、旧友は言った。

 幼い子供のような、声だった。





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