セイリオスの逃亡 3
「有給使って取った休みにひとりで夕食かい? 寂しい男だねえ!」
〈ジミー・ディーズ〉は街の中心にあるレストランだ。といってもドレスコードが必要なわけは当然なく、オリヴァーの父親の代からある地域に密着したレストランだ。値段もリーズナブルで、ここのチキン・パイとパンプキン・スープは世界一だと父親から店を継いだオーナーのジミーJrは恰幅のいい腹をぐっと反らし笑いながらいつも言う。確かにそれはずっと昔からこの店の定番メニューだった。
「放っておいてくれ、ポーラ」
そのジミーJrの伴侶であるポーラにそううめくように返すと、夫と同じく恰幅のいいグラマラスな体躯を揺らし明るく笑ったポーラは、それでも空になったオリヴァーのカップに新しく湯気の立つコーヒーを注いでくれる。伝票には何も付け足さず去るポーラに素直に「ありがとう」と礼を言った。
カランカランッと、勢いよくドアベルが鳴った。
「ふう、セーフ! ……ああ、保安官! 今日もまたひとり?」
「どうしてみんな俺を見るとひとりだって言うんだ」
「だって休日いつもひとりじゃないか」
あっけらかんと言う少年―――イーモンは十八歳。〈ジミー・ディーズ〉のアルバイトだった。そばかすが鼻先に散る幼い子供の面影をまだ色濃く残したその顔で軽く言ってみせ、思わず溜め息を吐く。そう、だが。
「なんだ。さっきフェルトンのおっさんが言ってたから期待してたのに」
「……フェルトンがどうした?」
自分の父親よりも年配、けれど祖父母よりは歳下、趣味は車の整備。顔を合わす度にやあオリヴァー今日もひとりか寂しい男かとお決まりのあいさつを……いやだから、どうしてこの街の人間は自分を見るとひとりひとりと連呼するのか。わかっているならそろそろ気を遣って黙っていてくれてもいいはずだ。そろそろ沈黙を愛せ。
「フェルトンのおっさんがさっき、車で出かける保安官を見たって。わざわざ非番を取って、けどこんな時間に出て行くんだから誰かを迎えに行ったんじゃないかって言ってたんだ」
「……」
この街に保安官って必要だろうか。もう既に名探偵がいるじゃないか。保安官が噛ませ役になっているじゃないか。
「でもまあひとりだな、やっぱ」
「……そうだな」
「早く彼女のひとりや二人作れよ、保安官。見てて心配になって来る」
「お前もな」
「俺はこないだ別れたばっかだからまだいいんだよ!」
痛いところを突かれたのか顰めっ面になったイーモンにポーラの声がかかった。
「イーモン! あんた遅刻してんだからさっさと支度してホールに出な! 給料減らすよ!」
「イエス、マム」
やれやれというように返事をしイーモンが一度奥に姿を消す。セーフとか言って飛び込んで来たがアウトだったのか、思い切り。
「……」
壁にかけられた時計をちらりと見て(これも自分より年寄りに違いない)、少し遅いなと心に影がかかる。……荷物は預かっているし、街に入らなかったわけではないだろう……恐らく。
電話をしてみるか、してみないか……間を誤魔化すようにコーヒーを口に運ぶ。これを飲み切ってもまだ来なかったら、一度連絡を……いや、それでは遅い、か?
もう何度目になるかわからない回数を更新するため、窓の外に視線をやる―――小さな体躯が近付いて来るのが見え、あ、と、口の中で小さく言葉が漏れた。店の外に掲げられた看板、〈ジミー・ディーズ〉の文字を一度確認し、少女がドアを開ける。からんからんと、先ほどイーモンが飛び込んで来た時とは打って変わった控えめな音と共に中に入って来た。
「いらっしゃい、ひとりかい? 言葉はわかる?」
「こんばんは。はい、わかります」
ポーラの言葉に丁寧な仕草でうなずいた少女は、思わず黙り言葉をかけないこちらを見、「待ち合わせなんですけど、大丈夫です」と言って、自分のいるボックス席の向かいに座った。
「へ。え……?」
ぽかんと口を開けてにポーラが少女を見つめる。少女と自分を見比べ、……さらに大きく、口を開けた。
「すみません、紅茶をください」
「……」
「……? マダム?」
「……」
「……あー……」
ちらり、と少女がこちらを向いた。
「……わたしの英語、通じない?」
「……いや、ミカゲのせいじゃない」
額に手をやりうめくと、それがスイッチになったのかポーラがずんずんずん! と歩み寄りテーブルに手を突いて少女にぐい! と身を寄せた。
「わ、」
「嬢ちゃん! オリヴァーの彼女かいっ?」
「ポーラ」
まずい、と心が冷や汗をかく。もちろん少女は自分の彼女ではなく、当然、
「違う、彼女は―――彼女はオーリの、」
オーリ。―――旧友、の。
「……」
恋人だと、そう言っていいのかわからず―――その言葉が傷を抉ることになるのかがわからず、言葉を小さくし失った自分を不思議そうにポーラが見て―――
「―――オーリの恋人です」
少女が、云った。
「オーリ・キサラギの。……彼をご存知ですか?」
「―――あ。……あ、ええ……ええ、ええ。……もちろん」
驚いたような顔になって―――それから、切なさを織り交ぜた、懐かしむような静かな顔に、なって。ポーラはゆっくり何度もうなずいた。
「そう、そう……そうなの。そうなのね……オーリの。ええ、知っているよ。あの子が子供の頃からね……そう、あなたが……。……ポーラよ。マダム、なんて呼んでもらえてとってもうれしいんだけど、あなたには是非ポーラって呼んで欲しいね」
「ありがとう、ポーラ。わたしはミユキ・ミカゲ。……ユキって呼んでください」
「ええ、ユキ。ようこそ、心から歓迎するよ」
にっこりと、本当に、心の底からよろこぶようにポーラは微笑んだ。
「そう、あなたが迎えに行ったのはこの子だったのね。……そうね、それは絶対、迎えに行かなきゃ。とても大事な子だもの。……しばらくここにいるのかい? どこに泊まるんだい?」
「ええ、しばらくお邪魔します。アマンダのところに泊めてもらうことになってて。アマンダにもディアムにもすごくお世話になってるの」
「そう、ディアムの。そうだね、あの二人は昔から一緒だったから……ディアムはこっちにいないんだけど、あの子も帰って来るのかな?」
「……ディアムは帰って来ないよ」
それだけは言うと、ポーラは残念そうに眉を下げた。
「そうかい。そう……でも、アマンダもいるし、ね。彼の話をきっとたくさん出来るはずさ。……リザに会ったことも、あるのかい?」
「はい、リザにもとってもお世話になって」
「そう、そう……ゆっくりしていって。この街は、彼らがいた街だから。みんなあなたを歓迎するよ。……ユキは日本人、だね? 遠くから来てくれたんだね。長旅だったでしょう、何でもご馳走するよ。うちはね、チキン・パイとパンプキン・スープが絶品なんだよ」
「ポーラ」
気のいいポーラが今にも大皿いっぱいに料理を持って来そうだったのでやんわりと口を挟む。
「今日はアマンダが夕食を用意してるはずなんだ」
「ああ、そう、そうだね、そうだ」
「……また来てもいいですか? ポーラ」
静かに少女が言った。
「オーリの話、聞かせて欲しい」
大きくポーラがうなずいた。
「ええ、ええ。もちろんだよ。歓迎するよ、いつでも来て頂戴。絶対だよ?」
「はい」
うれしそうにはにかんだ少女にポーラもうれしそうに微笑む。無事にこの場が済んだことにほっとし、残ったコーヒーをぐいと飲み干した。
「ありがとう、ポーラ。……行こうか、ミカゲ」
テーブルの上に代金とチップを置き、立ち上がって少女を促す。少女が頼んだ紅茶は当然来ていなかったが、とりあえず今日はいいだろう。アマンダも待っているはずだった。
「じゃあね、ユキ。また」
「じゃあね、ポーラ。また」
小さく手を振った少女と共にドアを抜け、外に出た。停めてあった車に少女を乗せ、自分も乗り込みエンジンをかける。
「……」
「……カーター?」
「……いや」
なんでも、という言葉を吞み込み、ウィンカーを出した。




