もういいかい? 泣かない君 8
「てっきり林場さんか真野さんが来るのかと思った」
「あ? 呼ぶかよ。あっちが勝手に来るんだ」
「えー、でも林場さん言ってたよ? 『とりは俺のこと結構好きだからなあ』って」
「今からあいつ呪う」
「蕪木って忙しいのね」
くすくすと楽しそうに京子は笑った。そんな京子に蕪木は黒い眼を向け、玄関先でやったように頭を撫でた。
「? なあに?」
「立岡さん助けたんだろ。よくやった。気軽に出来ることじゃない」
京子が大きな眼を瞬かせて―――それからとてもうれしそうな顔になった。幸せそうな、心の底から満ち溢れた顔だった。
「―――うん」
「でも、キョウだって気を付けろよ。キョウが悪くなくても逆恨みされる可能性だってある。わかるな?」
「はい。ちゃんと気を付ける」
こくりと素直にうなずいたのを確認し、蕪木は手を下ろした。それからにやりと口元を歪め、
「じゃあキョウ、ほうじ茶ラテと抹茶ラテどっちか選べ」
「選べない……! どうしよう、本当に選べない……!」
「今日のおやつは信玄餅だ。綾瀬からお土産でもらった」
「どっちも絶対合う……! 残酷……!」
楽しそうな兄妹だった。本当に。
妹……妹。
自分にとって一番身近な『妹』を連想する。自分と顔も性格も真反対な妹、七南。自由奔放で気ままな猫のような性格。面倒臭いことが嫌いで、自分を磨くことに余念がない妹。……わあわあじゃれ合う兄妹の姿を見て、こっそりため息を吐く。同じ妹とはいえ大違いだ。
悶々と考えていると蕪木がふわりとこちらを向いた。
「立岡さんはどっちがいい?」
「え?」
「ほうじ茶ラテと抹茶ラテ」
「あ……」
「苦手?」
「い、いえ! どっちもおいしそうですね! ほうじ茶ラテは飲んだことありませんが!」
「じゃあほうじ茶ラテにしてみる?」
「ええと、」
でもここで京子が抹茶ラテを選んだら二つ作ることになる。そこまで大変なことではないのかもしれないが手間は手間だ。どうしよう、と思った時、心を読んだように蕪木がこきりと首を傾げた。
「ああ、気にしなくていいよ。キョウがどっちにしようか一生懸命悩むのを見るのは単なる俺の趣味だから」
「蕪木、聞こえてるから!」
「ふうん、じゃあどっち?」
「うう……!」
撃沈。
「だから気にしなくていいよ」
「えっと……」
どうしよう。好きに選んでいいよ、なんて、今まであんまりなかった。……いつも七南が先に選んでいたので。
「じゃ、じゃあ……」
「うん」
「……ほうじ茶ラテで」
「了解」
ほんの少し、蕪木は笑ってくれた。どきりと胸が鳴る。―――このひと、ならば。
「キョウは?」
「ううううう、じゃあ、うん、ほうじ茶ラテがいい! ……あ、でも抹茶ラテもすごく飲みたいの! だから、また今度作ってくれる?」
「いいよ」
「ありがとう!」
目線を合わせてひとつうなずき作りはじめた蕪木の背中を椅子に腰かけた京子がうれしそうに眺める。こんな風にうれしそうに見守られながら料理なんてしたことない。
「ええと、立岡さん、は。蕪木の後輩さんなんですよね?」
「はい」
こくりとうなずく。促されたのでやこも席に着いた。蕪木が手渡した信玄餅をやこの方にも寄越してくれながら、京子が身を乗り出す。
「蕪木、どんな大学生ですか?」
「キョウ、聞こえてるから」
「だって知りたいんだもん。そうじゃなきゃ林場さんの言ってた『蕪木はキャンパスのボス』説が一番有力になっちゃうよ?」
「林場ってやっぱ俺のこと好きなんだな、よっぽど俺に呪われたいのか」
しみじみと言った背中を見ながら、何度か出て来る林場というひとにそっと幸運を祈る。
「えっと……蕪木先輩、は……頭が良くて、人気者で……いつも蕪木先輩の周りにはひとが集まってて、」
だがそれは男ばかりで女は少ない。いないことはないが、グループで一緒に騒げるメンバーといった感じで特に蕪木狙いというわけではなさそうだ。
「面倒見が良くて、たくさんのひとからも慕われてます」
これも事実だったが、よく一緒にいる一部のメンバーを別とすると近過ぎず遠過ぎずの距離を保っているようにも見える。意外と、人付き合いに慎重というか……人見知りも若干あるというか。
うんうん、と興味深そうに京子がうなずく。残念ながらこれ以上はやこも知らないし語りようがない。そもそも本人もこの場にいるのだから言い辛い。
「どちらかというとクール系?」
「ああ、そうです。その言葉がぴったり」
「……蕪木、家とは全然違うのね」
「そりゃ違うだろ」
「あたしが子供だから?」
「いや? キョウは妹だから妹扱い」
「っ、」
か、と京子は顔を赤らめた。それから形容しがたいくらいうれしそうな顔になる。妹を妹扱いするのは当たり前な気もしたが、京子にとってそれは特別うれしいことみたいだった。まあでも、こんなに素直ないい子が妹だったら誰でも過保護なくらいかわいがると思う。
かわいい少女を眺めて目の保養としていると、蕪木がマグカップを二つ持って来た。ひとつはおそらくお客さん用と思わしききれい目なカップで、もうひとつはシンプルだがかわいい柄のマグカップ。そちらを京子の前に置いたのでそれは京子専用のマグカップなのだろう。
きめの細かい泡が立つそれはなんともおいしそうだった。「いただきます」と言って口を付けて―――目を見開いた。ものすごくおいしい。ほうじ茶の角のない渋さとミルクのやわらかさがこれ以上ないくらいマッチしている。
「お、おいしいです! すっごく! 蕪木先輩すごい!」
京子の方も幸せそうに悶絶していた。残酷な選択肢(京子曰く)を選ばせて尚且つ悶絶させるまでが蕪木の楽しみなのだろう。―――京子は気付いているだろうか?
「蕪木、今日のもすごくおいしい。ありがとう」
「どういたしまして」
蕪木が、薄い表情ながらもとても満足そうな顔をしていることに。