サザンクロスの英雄 14
何となくの空気で解散し、トーマスとスーが広場で遊ぶ子供たちの面倒を見ている最中、姉の姿がないと気付きバンガローの中に戻った。ちらりと見えるキッチンに見間違えるわけがない色の髪と、もうひとり……口内で小さく舌打ちし中に踏み入った。
「失礼。ここで何を?」
「ああ、コーヒーをもらってたんだ。……本当だよ。すぐに警備に戻る」
肩をすくめたのはサリスではなくルイスだった。結局残ったのはこっちだったのだ。サリスだったらよかったのに。
「サリス保安官が残るんじゃなかったんですか」
「子供たちと年齢が近い俺の方がいいんじゃないかって言ったんだ」
軽い口調でルイスはそう言ったが、何というか魂胆はみえみえだった。が、とりあえず今は本当にコーヒーをもらいに来ただけのようで、持参していたボトルのキャップを閉めると「どうもありがとう」と丁寧に姉に礼を言い子供たちの警備に戻ってゆく。一応任務は真面目にやってくれているらしい。そりゃトウマだって一滴の水分も取らず警戒し続けろとは言わないが、二人きりで姉に会わないで欲しい。
「トウマ不機嫌? どうしたの」
「……ユキはああいうのがタイプなの」
ぶすっとして訊ねる。ルイスは、まあ、そこそこ、それなり、には顔立ちが整っているし、少し軽そうに見えるがそれでも一応保安官だ。見ようによっては見ようによってなのだけれど。姉はこきりと小首を傾げた。
「タイプ? ……やさしいひとがいいな」
「そう……」
保安官だし。そりゃまあやさしいだろう。でもあんなぽっと出の保安官に掻っ攫われるくらいならあの同居人にさっさと貰って欲しいくらいなのだけれど。だってあのひと実績あるし。あれだけ長年一緒にいて浮気ひとつしなかったらしいから(吉野談)、というよりむしろ来る女来る女繰り返し断りある時は逃げある時は避け(吉野談)、心底幸せそうな顔で毎回姉のところに帰って来ていたらしいし(吉野談)、なんかもう、あのひとでいいじゃん、という感じだ。あまり見ないレベルで顔立ちが整っているのは今後やはりなんらかのトラブルを生み出すことにはなりそうだが、女選り取りみどりなのにひたすら姉一筋(吉野談)なんでしょう? もういいよ。姉のことが好きで好きで好きで好きなら大事にしてくれるだろうし、これからだって浮気はしないだろうし。よくわからない男に貰って行かれるよりずっとましだ。
姉は―――姉があの同居人のことをどう思っているのか、正確には知らない、けれど。
「まあ、あの保安官、『いいひと』ではあったよ」
「え?」
「いろいろ聞いちゃった」
姉は日本語に切り替えた。纏う空気が、薄っすらと変わる。
「逃げているのはレイモンド・ベルトン。二十八歳。保護観察中に押し込み強盗で店員を殴り負傷させている。家族はいるけど絶縁されてるって。最初に起こした強盗事件で、多額の賠償金が課せられたみたい。家族はそれを背負って、払う代わりにレイモンドを絶縁させた」
「……まあ当然だよ」
結局再犯し今は刑務所脱獄の上逃走中だ。……いや、家族に縁を切られたから、ここまで荒れた―――のだろう、か。
トウマが何を考えているのかわかったのか、姉は苦笑した。苦い、笑みだった。
「……卵が先か、鶏が先か。わたし、思うんだけどね。そんなの考えたって、意味なんかないんだよ」
「……うん」
「『こうなろう。ああなろう』という願いを、意志を、想いを―――どの瞬間に抱いたのか。大事なのはきっと、そこ。……卵が願ったのか、鶏が意志を持ったのか。ひょっとしたらひよこが想いを見出したかもしれない。……トウマ」
やさしく、姉は微笑った。……その顔にはもう、どこにも苦さはなかった。
「いろんな家族がいるよ。……こうなろう、ああなろう。みんなみんな、そうやって想っているんだ。家族は選んでいい。……そう思えるようになるまで、きっと長い時間が、かかるかもしれないけれどね」
子供たちは元気に遊んでいた。男女混合でだるまさんがころんだをしている。トーマスが一番楽しそうにしているのが少しおもしろかった。
一応、きちんと辺りを警戒しているルイス。それと反対側の広場の端にスー。
「スー」
近寄り声をかけると、どこかぼんやりとしていたスーが顔を上げた。
「ああ……トウマ。ユキといたの?」
「うん」
「……そう」
心ここにあらず―――というより、何かをずっと、考え続けるように。
「……スー?」
「……」
深く深く、スーは息を吐いた。
「……今あたし、結構酷いこと考えてる」
「酷いこと?」
「……トウマとユキがいいなあって」
「え?」
「二人は昔からの知り合いなんでしょ。それにお互いとっても信頼し合ってるのがよくわかる。……この状況で、そんな誰かと一緒にいれるのが羨ましい」
「……」
返す言葉が見付からなくて―――言葉を、失くした。……スーがこちらを見ないまま視線を斜め下に落とし、苦笑いする。
「……ごめん、こんなこと言ったって困るわよね」
「……いや……」
困る―――とはまた少し、違った。
「……少し、ご両親と電話、して来る? ……見張ってるなら、俺が代わるから」
「いえ、……いいわ」
スーは今度は自嘲気味に笑った。疲れた笑みだった。
「……両親と話しても、あたしは安心出来ない」
「……」
「たぶん、トウマの家族とあたしの家族じゃ全然違うわ。トウマは……なんとなくわかる。愛されて育ったんだなって。ユキもたぶんそう。二人とも当たり前に持ってるものを、あたしは持ってない」
「……」
「責めてるわけじゃ、ないのよ。本当。……あのね、あたし、姉がいるって言ったけど」
「……うん」
「兄もいるの。一番上よ。十近く離れているから、本当に小さい頃にしか関わっていないんだけど。……今は刑務所にいるのよ」
呼吸は、乱れなかった。
「バイクを盗んで、それで事故を起こした。ひとを轢いて……幸い、そのひとは助かったけれど、兄は捕まって。多額の賠償金が必要になって……元から、荒れていた兄は両親から目をかけられていなかったし、優秀な姉ばかり期待されて……ううん、それだから兄は荒れたのかしら。わからないけれど……とにかく、元から少なかった財産は、さらに少なくなって……だからその残った貴重な財産を、『より価値がある』姉に、全て向けたわけ」
「……」
「でもね、その賠償金がなくったって、きっと両親はそうした気がするのよ……兄の賠償金は都合のいいいい訳で、たぶん、あの二人は価値のあるものしか投資したくない。無駄を作りたくない。いいこ、わるいこ、ふつうのこ。姉、兄、あたし。いいこに全て、注ぎ込みたい」
「……」
―――姉が。
つい先ほど、言った言葉、が。―――何を見て。
今まで何を見て想い願い、意志となったのか―――
姉と一緒に過ごした、姉が隠し続けたその時間。
姉と離れて過ごした、姉がほぼ語らぬその時間。
軋むように胸が、痛んだ。……姉。大事な、姉。微笑んではくれるけれど、泣いてはくれない姉。
今、スーに何かが言えるのは、その姉だけなのだと、太陽が繰り返し昇る、当たり前のことのように心が理解した。
「……ごめんなさい、困るわね、こんなこと。もう終わり。しっかり見張るわ」
「……べき、だ」
「え?」
「スーの両親も。スーの兄姉も。……もっとスーのことを思うべきだ」
「……」
「スーが何を思っているのか。スーが何を感じているのか。……理解する、出来るじゃなくて……まずスーのことを思うべきだと、俺は思う」
その言葉は、真っ直ぐ自分に還って来たけれど。
―――おにいちゃん。
手紙に紡がれた、拙い幼い文字。
―――あなたはぼくの、おにいちゃん、なんです。
自分にきょうだいがいることすら知らずに生きてきたトウマとスーの家族と、果たしてどちらがましなのだろうかと、思った。




