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サザンクロスの英雄 13


 結局姉の睡眠は五時間には満たなかった。それを申し訳なく思ったのだが、姉はずいぶんとすっきりした顔で起床した。

「全然平気。もっと酷い時があったから」

「状況が?」

「睡眠時間が」

「ブラック過ぎるだろ日本……」

「ノーランチ、ノーディナー、ノーホリデー。世界よ、これが日本だ」

「ううん……」

 うめく。集まった一番バンガロー、急に現れた保安官に子供たちは興味津々だった。昨晩からいるサリスはともかく、新しく来たルイスという新人保安官は先ほど朗らかにあいさつすると、姉を見てちょっと目を見張った。その目がとてもめずらしいものを見るような目で、じっくりと姉の髪を見て―――その眼に気付く。そっと息を吞まれたのがわかって、つい姉の肩を引き寄せた。

「トウマ?」

「ううん。―――まず俺たちから説明があるらしいから。行こう? ルイス保安官、子供たちをよろしくお願いします」

 意味を込めて軽く睨み、軽く肩を抱いたまま姉をキッチンまでエスコートする。扉がないとはいえ一応別室になっているそこで、サリスから大人チームに説明があるはずだった。……というか、仕事しに来たんだろ。ついつい眼が惹かれるのはわかるが、これは駄目だ。駄目だ。絶対に。

 腕の中がふるふる震えていることに気付き眼を落とすと、姉は何だか感極まった顔でふるると小さく震えていて、どうしたと思い少し焦って顔を寄せると小声の日本語で、

「トウマにエスコートされてる……! こんなに大きくなって……!」

「今、ユキがユキでよかったなあってしみじみ思ってるよ」

 本当に。

 心の底からうれしそうな姉に心がくすぐったくなりつつ、あの保安官のことはそう言えないかなと内心嘆息した。

 熊と囚人だ。台風と洪水がお手手繋いで仲良く一緒に来ているのだから、もう少し真剣にならなければならない気がする。

 咳払いした。顔を上げ、惜しみつつ姉の肩から手を離す。……姉は今にも鼻唄を歌い出しそうなくらいご機嫌だった。そんなるんるん状態でキッチンに入って来た姉と、少し気恥ずかしそうな顔をしたトウマを見て、先にキッチンに集っていたトーマスとスーは不思議そうな顔をし、サリスは不可解そうな顔をした。

「あー……ご機嫌だね、お嬢さん?」

「ええ、どんな状況でも、ちょっとした何気ない行動にうれしくなるものなんですよ、女性って」

「それはそれは……参考にさせて頂きます」

 この意味を正しく理解したのは恐らくトーマスだけだった。うなずき、サリスを促す。

「保安官?」

「ああ、悪いね。……この近くの刑務所から囚人がひとり脱走した。……と言っても、そう近くはないが……ただ、この森の中全てが捜索範囲だ。特別捜査隊が組まれて現在も探しているが、未だ発見されていない」

「そのひとは何をしたんですか?」

 保安官は姉を見た。トーマス、スー、トウマ、姉。この中で明らかに外見が東洋人である姉は、この中で一番目立つ。

「窃盗と傷害だ。保護観察期間にやらかしてブタ箱に逆戻りした阿呆さ」

「……それは本当にどうかしてるわね……」

 ふうう、と深くスーが息を吐いた。力なく首を横に振る。

「殺人を犯していないだけまだましって思うべきなのかしら? ……でも、もしそうなら、危害を加えられる可能性は低い、のかしら?」

「いや、そう考えるべきではない。結局のところ犯罪者なのだから。マリファナを吸うぐらいのかわいいものだったらよかったのだけれどね」

 スーが渋面を作った。トーマスも苦笑いを浮かべる。

 我が身に疚しいところがないトウマと姉は特に表情を変えなかった。……いや、姉は、さっきこっそり返した銃を持っているけれど。……押し付けられたような言い方をしているが、ちゃんと登録された銃だよ……な?

「囚人、そして熊だ。……これはね、ちょっといろいろあるのだが……」

 保安官は困った顔をした。話によると、こうだ。昨日、キャンプ中のカップルが熊に遭遇した。元々的撃ちも兼ねて来ていたカップルは持っていたライフルで何とか熊を射殺。……それだけでも結構すごい話なのだが、問題は、

「小熊は逃げた。……そのカップルも、なにもハンターというわけではなかったんだ。親熊を殺したところで腰が抜けて動けなくなって、小熊が逃げるのを見逃してしまったらしい」

「小熊ってことはそんなに危険はないのかしら?」

「いや、スー。小熊でも……」

 トーマスが難しい顔で首を横に振った。サリスがうなずく。

「ああ、小熊でも危険だ。それに小熊と言ってもね、立ち上がったら君の身長くらいはある」

「……」

「つまりこちらのお嬢さんよりも大きいということだ」

 姉を見てサリスは言った。何となく、この中で一番小柄な姉に視線が集まる。……姉が唇を尖らせた。

「大人組では二番目の年長者ですが」

「なんだって?」

「わたし、二十五です」

「……東洋の神秘だな」

 いや、姉の個性だ。永遠の年齢不詳だ。

「このキャンプを切り上げて帰るべきか?」

「……熊だけなら、そうなんだがな」

 サリスはうめいた。

「そこで出て来るのが逃亡中の囚人だ。森の中を走るバス。中には子供ばかり」

「……乗っ取られたら恐ろしいな」

 呟くとサリスはうなずいた。

「ああ、しかし、そのバスに護衛を付けられるほど人数に余裕はない。捜索隊に全て回ってもらっている。俺たちも今は二人だが、説明が終わり次第ひとり戻らなければならない。……森を抜けた先まで人員を割くわけにはいかない」

 そりゃそうだろう、森の出口で護衛を下ろしたところで、その護衛を迎えに来る足が必要なのだから。結局ひとりでは済まない話だ。

「応援はさらに増える予定だが、それは明日だ。それまでに捕まればもちろんいいし、捕まらなければ、その増えた人員を使って君たちを森の外まで送り出すことが出来る。……だから今日一日は待っていて欲しい」

 しんと、静まり返った。……誰も予想していなかった出来事だ。覚悟が足りなかったなんて、誰も思わないし言わせない。責められたところで、こんなことになるなんて誰が思うだろうか?

 だからこそトーマスは、堪えた息を硬く硬く吐き出した。

「……イエスと、言うしかないだろうな」

「……トーマスに賛成よ」

 どこかほっとしたようにスーが言った。

「だって……こんなの、どうしようもないわ。でも、そうね。……全部終わったらトーマスにはとびきりおいしいものでもご馳走してもらいたいわ。〈サン・セット〉のスペシャルディナーとか」

「痛いところを突いて来たね」

 トーマスが苦笑いした。トウマはそっと、姉を見る。……姉は既に、自分を見ていた。眼と眼が合い、その深い深い眼をゆっくりと瞬かせる。……それだけで十分だった。

「―――わたしたちも、賛成です」

「わたしたち?」

 スーが不思議そうな顔をしてそう言ったので、トウマと姉は同時にうなずいて微笑んだ。

「はい」




 子供たちに朝食を食べさせる。ばたついたので目玉焼きとベーコンとサラダと炊いた米。シンプルでおいしいが、子供たちにとっては地味で物足りなく感じるかもしれないということで、姉が大量に持って来てくれていたふりかけで一気に興味を引いた。色とりどりのふかけの袋を手に子供たちは大騒ぎだ。何色のものにするのかを真剣に考えている。

「ユキって幼稚園の先生とか向いてると思うんだけど」

「……そんな風に思ったことはなかったなあ」

 本当にそうだったらしく、姉は少し驚いたような顔をした。

「そうなの? 子供慣れしてるじゃん」

「いや、子供慣れっていうか……」

「……いうか?」

「わたし、弟がいるから」

「……ああ……」

 ですね。

 なるほど、子供の面倒を見るというより、年下の面倒を見るという感覚だったのか。だとしたら納得だ。

 騒がしい朝食を終え、子供たちを座らせたままトーマスは前に立った。

「大事な話だよ。聞いて欲しい。……この周辺に熊が出たお話はしたよね?」

「まだつかまってないのー?」

「ああ、そうなんだ。でも、その小熊をたくさんのひとが探してくれている」

 ……よくよく考えれば今この森にはハンターと囚人捜索隊がいるのか。ものすごい人数じゃないのか、これ。

「……熊、子供なの?」

 小さな声で問うたのはアビゲイルだった。金色の眼に海のような青色の大きな眼。トーマスがうなずいた。

「ああ、でもみんなよりもうんと大きい」

「……捕まったら、どうなるの?」

 一瞬、トーマスは怯んだように黙った。サリスが割って入る。

「小熊は保護されるよ。麻酔銃しかみんな、持っていないからね」

 ほっとしたように子供たちは息を吐いたが、アビゲイルの海色は曇ったままだった。

「……熊の他に、今この森には悪いひとがひとり、逃げているんだ」

 トーマスが話を再開した。子供たちの頭上に一気にクエッションマークが浮ぶ。

「……悪いひと?」

「スペース・ダークみたいな?」

「いや、どちらかというと捕まっていたスペース・ダークの部下のエリオル大尉だな、うん」

 アメコミの悪役の名前を出したトーマスは続ける。

「とにかく、悪いひとが檻から脱走して今この森のどこかにいるんだ」

「……今日、帰るの?」

「いいや、今日帰るのはかえって危険なんだ……だから予定より一日早い明日帰ることになる。今日一日は絶対に団体行動。森の中には行っちゃいけない。広場とバンガローだけだ。なにかおかしなことがあったら必ず大人に言うこと。自分たちで立ち向かおうなんて絶対にしちゃ駄目だ。わかったね?」

 思っていたよりも素直に子供たちはうなずいた。保安官がいる、ということが現実味を大きく与えたのかもしれない。初老のサリスと若手のルイス、少なくても今銃を持った男が二人も(隠している姉は除く)いるのだ。流石に子供たちも空気を感じ取ったらしい。

「怖がることはない。ちゃんと目を光らせているからね。君たちは安全だ」

 サリスが胸を張って言ったおかげか、怖がるような声は一言も上がらなかった。





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