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サザンクロスの英雄 9


「おはよう子供たち! 今日は日本の遊びだよ!」

 朝食を終え(朝目玉焼きにソーセージ、炊いた米に味噌汁にサラダ)、バンガロー前に子供たちを集合させたトーマスは色とりどりの何かを取り出す。膨らませる前の紙風船だった。こんなのどこから仕入れて来るのだろう。

「これを膨らませて、潰さないようにしてパスし合うんだ」

 ふうっと紙風船を膨らませたトーマスが子供たちに見えるようにそれを掲げる。ひとりひとつずつそれをもらった子供たちはそっと息を吹き入れて膨らませはじめる。くしゃ、という紙風船独特の音がして膨らんだ球体がひとつ二つとふわふわ宙に舞っていく。何人かとパスし合うというより、ひとりで潰さず落とさず何度連続でぽんぽんとし続けられるかに子供たちは夢中になった。きゃあきゃあと言いながら視線は紙風船にしか向かっていないのでぶつかりそうになる子供たちが続出し、あわてて少し散らばるように指示をする。やはり視線が釘付けになっていた少女、アビゲイルがこちらに向かって足をふらつかせたので軽く受け止めた。ふわんとした頼りない体重と共にぱっと少女がこちらを振り仰ぐ。金細工のような金髪がきらめき、海のような青い眼がぱちくりと瞬いた。

「ありがと!」

「どういたしまして」

 気を付けてね、と少女を解放し元気に遊ぶ子供たちを見守る。一応熊が来ないか監視も兼ねているのだが、熊が来たところで……いや、熊避けの道具は渡されているのだけれど。大きな音が鳴る缶の先にラッパが付いたみたいなやつとか、スプレーとか。出来ればスプレーを使うほど近くまで来ないでくれと心から願う。出来れば姿だって目にしたくない。

「日本にいる時も熊とは無縁だったからねえ」

 隣にいた姉が言った。朝食の後片付けを追え昼食の下拵えも終わったらしい。スーが手伝ってくれた、と楽しそうに言った。

「無縁だったね」

「山奥に撮影で行った時ね」

「出たの?」

「出ると言われた」

「無縁じゃないじゃん……」

「結局出なかったよ。だから無縁」

「無縁かなあ……」

「熊避けのおっきなベルが配られてね、それを腰物に付けて動いてたんだけど……」

「ど?」

「当たり前だけどさ、動くと鳴るんだよ、それ」

「うん」

「本番中ちょっと身じろぎしようものならりんりん。あっちでりんりん、こっちでりんりん、わたしもりんりん」

「うん」

「結局ガムテープで中塞いで鳴らなくしたの。腰物には付けたまんまだったけど」

「意味ないじゃん……」

 何だろう、姉から仕事の話を聞く度に心臓がばくばくして来る……。

「ユキ、少し休んで来たら?」

 ひょいと顔を覗かせたスーが言った。

「食事はどうしてもユキがメインになるし。今の内」

「じゃあ、甘えさせてもらおうかな」

 やわらかく姉が言ってうなずいた。うーんとのびてこちらに微笑んでから歩き出す。「テーブルの上にあるチョコ、食べていいわよ」というスーの言葉にうなずきバンガローの中に姿を消した。

「日本人は勤勉って本当なのね」

「……かも。ひとにもよるだろうけど」

「じゃあユキは確実に勤勉な部類よ。……お姉さん体質なのね。弟がいるって言ってたから」

「……自分から言ってたの?」

「あたしが訊いたの。昨日の夜寝室で」

「ふうん……スーは? 兄弟」

「兄と姉がいるわ」

 そうなのか。姉を持つ同士なのかと、内心うなずく。

「うち、そんなに裕福じゃないから。大学進学とかのお金、全部兄と姉に行っちゃうのよね」

「二人に?」

「優秀なのよ、姉は……すごく、すごくね。学校でも将来を期待されてる」

 ひとの家庭環境にあまり口を出すべきではない。経済環境なんて、特に。仕方ない。けれど、悲しい。でも悲嘆に暮れるべきではない。そんな話はきっと、たくさんある。

「あたしは……普通、なのよ」

「普通?」

「そう。普通。特別勉強が出来るわけでも、スポーツが出来るわけでもない。特別もてるわけでも、特別何かに秀でているわけでもない。ごくごく平均、普通並。出来ないわけではないのよ。でも逆に、何も目に付かない。普通過ぎて、目立たない」

「……」

「姉のことは好きよ。けど、たまに見てて虚しくなる。その先に言葉が続くわけではないんだけど、『なんだかなあ』って、思うのよ。『なんだかなあ』『なんだかなあ』そんなこんなで、十七年。こんなに時間が経っても続く言葉はないんだから、これからもずっと何も続かないのよ」

「……そっか」

「まあこうやって、やりがいのある仕事で稼いでるから『すっごく大変!』ってわけじゃないんだけどね。でもごくごくたまに恥ずかしくなる」

「何で?」

「『普通じゃない』ひとをずっと見てると、『普通』であることが恥ずかしくなる時があるのよ。姉は大学へ進学する。きっと『普通じゃない』成績を残したり、いろいろな勉強をするんでしょうね。……『普通』のあたしが同じように進学することが、なんだか恥ずかしく感じる。そんなことはないって自分でもわかっているのにね。別に自分を卑下しているわけでも、何でもないはずなのに。たまーに、思うのよ」

「……」

「トウマもお姉さんがいるんでしょ? どんなひと?」

「……」

「……トウマ?」

「えっ? あ、あ……えっと……」

「トーマ!」

 どんっと体当たりするように胴にぶつかってくる小さな身体。見下ろすとリチャードの栗色のくるくるとしたやわらかそうな髪があって、利口そうな顔が悪戯っぽく満面の笑みを浮かべていた。

「あそぼう! マックスの記録こえられる?」

「やってみようか。マックスの記録は?」

「百八十三回!」

「……それ、本当に数え間違いしてない?」

 手を引かれて歩き出す。

 ちらほらと広がる少女たちを見て、今ここで話さなくてよかったとほっと肩を撫で下ろした。




 少し休んだあと、姉はトーマスとバンガローの中でいろいろと小道具を作っていたらしい。

「なに? これ」

「かぐや姫だねー。急遽紙芝居を増やそうかと」

「昨日紙芝居が大好評だったからね」

「へえ……『浦島太郎』は?」

「考えたけど、昨日『桃太郎』だったからねー。女の子主人公の話がいいかなと。それに『竹から生まれた』とか『月からの使者』とか、そういうワードが胸にぐっと来てくれるかなと」

「そこだけ聞くと確かにファンタジー映画っぽい設定かも」

 スーがくすっと笑った。クレヨンで竹を描く姉も同意する。

「遥か昔からエンターテイメントは存在していた。だね。どの時代にも娯楽や空想、フィクションはニーズがあった。そう思うと少しおもしろい」

「日本文学、おもしろいなあ。気になって来た」

「スーは進学するつもりなんだよね。日本を学ぶの?」

「そうしたいなってちょっと思いはじめてる。……日本語も喋れるようになってみたい、かも。日本語学校にも通ってみたいし、日本にも行ってみたい」

「やっぱり京都?」

「京都は絶対! キモノも着てみたいわ」

「ユキは着物を着たのかい? 日本人は成人した時と卒業の時に着物を着るって読んだことがある」

「着ましたよ。卒業式の時の写真ならあるかな」

 姉がスマートフォンを取り出した。思わず口を挟む。

「―――スマホ持ってるんだ」

「うん」

「現代人よ? 持ってて当たり前でしょ?」

 不思議そうにスーに言われたがトウマはそれどころじゃない。持ってたんだ……。姉が使っていた日本でのスマートフォンはもうとうに解約されていたし、メールアドレスすら教えてもらっていない……本当に、本当に緊急の時はここに電話してと渡された番号はあるが……。

 あとで番号を聞こうと心に決めながらディスプレイを覗き込む。大学の卒業式の時の画像が一枚。袴姿の姉が写っていた。白地に赤と金の花柄。袴は深みのある暗い赤色をしていて、足元は編み上げの黒いブーツだった。丁度長期休みに入っていたトウマと休みを捥ぎ取った父、そして母とその時駆け付けたのでこの姿は生で見ている。とっても可愛いと号泣する父ととっても可愛いと褒めるトウマととってもとっても可愛いよと眩しいものを見るような眼で見て甘くそう言う姉の同居人とそれら全員を見て微笑む母と。あの同居人は息をするような自然さで姉をまるで口説くように褒め讃えるのだ。これが女性全般にそうしているのならいつか刺されるぞと思うしそもそも姉に近付いて欲しくないのだが、誰がどう見ても彼は姉にべた惚れのぞっこんで、とてもじゃないが浮気などしそうになく、見たことがないレベルで顔立ちが整っているのだが基本的に女性には自分から特別には決して近付かない人間だと姉の親友から聞いているので……まあ姉を絶対に誰かにやらなければならないのなら、まだこの同居人が一番ましかなと、そんな風には思う。もちろん姉の気持ちが第一だが。そこは絶対に譲らないが。

「美しい着物だね! や、ユキも美しいが!」

「綺麗なキモノね! ユキも綺麗だけど!」

「ああ、わたしのことはそこそこ無視していいよ」

「キモノ! キモノアップして!」

「しぼりかい? これはしぼりなのかい?」

「これはしぼりじゃないよ」

 しぼりは成人式の時だっけ、とこっそり思う。部分的にしぼりだったはずだ。あの時そう母から教わった。赤地に白い花、お花の部分がそうなのよ、と。

「トウマ!」

 きいっと勢いよくドアが開いた。全員で振り返るとアビゲイルがその青い瞳をうるりと歪ませていた。

「どうしたの?」

 歩み寄り目の前で軽くしゃがんだ。さらさらのストレートの金髪がさらっと揺れる。

「モニカとマックスが喧嘩してる!」

「今行く」

 元はと言えばトイレで中に入ったのだがつい話に興じてしまった。目を離したのは自分だ。

 外に飛び出すと確かに少年と少女たちは固まっていた。中心で二人がわあっと騒いでいる。

「怖がりすぎだよ、びびり!」

「しょうがないじゃん! 熊ってすっごく強いんだから!」

 からかうようにマックスが言い、モニカが強気に言い返す。

「どうしたんだ?」

 割って入るとマックスは気まずそうな顔をしたが、モニカは勢いよく、

「『熊、近くに来ないといいね』って言ったらマックスが馬鹿にしたの!」

「だってモニカ、熊以外の動物も怖いって言ったじゃん!」

「そんなの好みでしょ! あんたに言われる筋合いない!」

 きゃんっと言い返すとマックスは黙った。この歳だとまだ女の子の方が口が達者だなと思いつつも「あのね」と膝を折り屈んでマックスと向き合い、

「熊は危険なんだ。マックスだってそれをわかってるよね?」

「……うん」

「だから、そんな風に言うのはよくないよ。……どうして、そういうことを言ったの?」

「……傷だよ!」

「傷?」

「モニカの足!」

 思わずモニカを振り返ろうと、した。が、その瞬間背後からふわりと頭を押さえられ頭を前に固定される。

「モニカは動物に噛まれたのかな?」

「……うん」

「そっか。……怖かった?」

「……たぶん」

 やわかい姉の声。視線を前に固定させた姉が、背後でモニカに訊ねる。

「たぶん?」

「……うん。心臓がすっごくどきどきして、痛かった。体も震えが止まらなくって。……こんなに大きな犬だったのよ」

 こんなに、とモニカは大きさを示したようだったが、それは振り返ることが許されない自分には見えなかった。

「それは大きいね。……どうして噛まれたの?」

「……弟が」

「弟くんが?」

「弟が、追いかけられてて。……びっくりして、こっちよ、って犬の気を引いたの。でもわたし、逃げ切れなくって……」

「弟を庇ったんだね。……勲章だね。この傷は、痛かったかもしれないけどかわいそうな傷じゃない」

 やわらかく、しかし姉はきっぱりと言い切った。ふわりと頭から手が離れ―――けれど、振り返ってもトウマはモニカの傷を見なかった。代わりに少年を見つめたままゆっくりと言う。

「だって、マックス」

「……」

 唇を噛みしめ、不満そうな顔。何で不機嫌なのかトウマにはいまひとつわからなかった。モニカに傷があることがそんなに気に障ったのか。

「……俺あっち行くっ」

「あっ」

 マックスの周りにいた少年たちは、気遣わしげな顔をした。そのままモニカに「ごめんね」と言ってマックスを追いかける。一瞬不安になったがバンガローから出たトーマスが少年たちの走り去った方向に向かって行くのが見えあとは任せることにした。

「不器用だな」

「え?」

 ぼそりと姉が日本語で呟いた。首を傾げたが姉は答えず、「みんなで遊ぼうか」と少女たちに声をかけた。

「何がやりたい?」

「おままごと!」

「いいね」

 日本は関係ないな、と思ったが別にいい。自分に勤まるポジションがあるかどうかは別として。

「モニカがママでジェーンがお隣さん! アビゲイルが娘よ」

「コニー、君は?」

「わたしは逆のお隣さん」

 お隣さん多いな。

「ユキは何がやりたい?」

「うーん、じゃあ旅人」

 最早何が何だか。

「俺は?」

「うーん、何がやりたい?」

「うーん……」

 パパか兄かな、と思った。……その内のひとつを自分で否定しようとして、

「お兄ちゃんは?」

 金の髪をさらりと揺らしジェーンが言った。澄んだ青みがかった緑色の瞳。

「あー、いいね」

 否定しようとしていたポジションにうなずき、居住まいを正す。その仕草が滑稽だったのか「変なのー!」とモニカが笑う。ママ大爆笑だった。

「トウマ、ここはお家よ、リラックスしてね」

「あー、うん。はいママ」

「トウマ、学校はどうだった?」

 にこにこと楽しげに妹、アビゲイルが訊いて来た。

「楽しかったよ」

 ……やばい、これ以上言葉が続かない。視線をうろつかせた自分にアビゲイルがくすくす笑う。

「楽しかったの。よかったね」

「……うん」

 どうしよう。考えてみればままごとなんてしたことがない。冷や汗がだらだら流れて来る。

「あー……パパは? パパはどこ?」

「パパは熊狩りよ」

 勇ましい不在理由だった。そういえば昨日八つ裂き宣言をしたのがこのジェーンだったか。

「ちょっと、熊狩りは危険よ」

「あ、そっか。じゃあどうする?」

「うーん、単身赴任!」

「日本に単身赴任!」

 ここで日本が出て来た。いやまあどこでもいいのだけれど。

 熊狩りは危険、と言ったコニーが「家に猫はいるわよ」と笑った。

「ううん、猫はいない」

「えええ、いるわよ。明るい毛並みの猫よ。大きくてお日様みたいな」

「わたし、動物アレルギーだもの」

 現実的な話だった。そうか、ジェーンは動物アレルギーなのかと胸に刻む。森も近いし気を付けておこう。

「でもわたしも、熊は怖いかも……」

「わたしはアレルギーじゃないけど猫もちょっと怖い」

 コニーが言い、モニカが眉を寄せた。

「傷も。……ユキはさっきああ言ってくれたけど、でもやっぱりちょっと嫌だな」

「大きくなるについてどんどん傷は薄くなっていくよ」

「本当?」

「本当」

 姉はこくりとうなずいた。

「じゃあユキの傷も?」

 アビゲイルが姉の右手をそっと取った。両手で包むようにして姉の手のひらを見る。

「この傷も、薄くなる?」

「わたしはもう大きくならないから、そこまでは薄くならないかな。でも今よりは薄くなるはずだよ」

 手のひらを横切るように走る大きな傷。まだ少し盛り上がった傷はまだ白くはならず、そこだけ少し赤みを帯びている。

 訊こうとしてまだ訊けていない、姉の傷。バスで見付けた時は呼吸を殺された。

 父も母もそんなことをひとことも言っていなかった。姉は家族の誰にも怪我したことを言っていないのだ。

「……痛かったでしょう?」

 沈痛な面持ちでアビゲイルが言う。微笑んで、姉はその金色の頭を左手で撫でた。

「そんなに痛くなかったよ」

「ほんとう? わたし、かまれた時すっごく痛くてたくさん泣いたの。ユキは泣かなかったの?」

 モニカが気遣わしげに言う。

「傷のせいでは泣かなかったよ」

「ユキはつよいのね」

 尊敬するようにモニカがささやいた。コニーが身を乗り出す。

「どうしてけがをしたの?」

「喧嘩をしたの」

「けんか?」

「仲直りはできたの?」

「仲直りは出来なかった」

「けんかはしちゃ駄目だって、パパとママと先生が言ってたわ」

「……パパとママがそう言ってても、ちがう時だってあるわ」

 アビゲイルが言う。ジェーンが大きくうなずいた。

「わたしもそう思う。あのね、昔わたしのビーズを近所に住むケイシーが盗ったの。大きくてきらきらしたオレンジのお日様みたいなとってもきれいなビーズよ」

「返って来たの?」

「返って来たわ。ママとケイシーのママ同士が話し合ったの。でも、わたしも謝らせられたのよ」

「どうして?」

 不思議そうな顔をしてモニカが言った。

「『ケイシーの前でビーズを見せた』から。ケイシーはとってもとってもビーズが好きなんですって。でもわたしはそれを知らなかったし、ビーズはクッキーの空き缶に入れてたのよ。ケイシーがこの中には何が入ってるの、って訊いて来たから見せたのに。わたし、意味がわからなかった。ママは間違ってるって思ったわ」

「……それは、そうね」

「ねえユキ。どうして大人も間違えるの?」

 アビゲイルが姉を見上げた。青い眼と黒い眼がゆるりと合い、そして黒い眼がやさしく微笑う。

「大人って何だと思う?」

「大人は……大人でしょう?」

「大人はね、昔子供だったひとなんだよ」

「……?」

「知らないことを知らないままで大人になるひとがいる。それは世界中の大人がそう」

「……そうなの?」

「そう。だからずっとずっと、大人になってもいろんなことを知るために勉強するんだよ。算数や、文学や……それ以外のこともたくさんたくさん。……でもね。そう。例えばこの傷だって。きっとわたし以外のひとが喧嘩したら、出来なかったかもしれない傷なんだ。いろんなひとがいて、いろんな喧嘩の仕方がある。仲直りの仕方だって、泣き方だって笑い方だって。わたしはこういうやり方でしか、喧嘩が出来なかった。……反省はしてるよ。でも後悔はしてない。次同じことが起きればわたしは同じことをする。……そうやって正々堂々『間違っている方法』を選ぶ時が、いつか来るかもしれない。でもね。その時みんなだって、大人になってるかもしれない」

「……間違っててもそれを選ぶの?」

「そう」

「わかってても選ぶの?」

「そう」

「反省してても同じことをするの?」

「そう」

「……そうしなきゃいけない時があるの?」

「そうしなきゃいけない時じゃない。自分がそうしたいと思う時、なんだ」

「……」

「間違わないのが大人じゃなくてね。……間違っても、その結果を全て吞み込むのが大人なんだ」

 少女たちは黙った。黙って、姉の傷を見て……モニカがこくんとうなずく。

「ちょっとだけ、わかったかも。……わたしだって弟が噛まれるくらいならまたわたしが噛まれるもの。大人になってもきっと同じことをする。……助けを呼ぶとか、何か武器を持って来るとか、そんなこときっと思わない。だって間に合わないかもしれないもの」

「そっか」

「……じゃあ」

 アビゲイルが顔を上げた。姉をどこか縋るような眼で見る。

「もし、大人が間違っても。……許してあげないといけないのかな」

「アビゲイルは許してあげたい?」

「……わかんない」

「うん。じゃあ考えるといいよ。ずっとずっと、考えてみるといい」

「考えても答えが出なかったら?」

「それが答えだよ」

「でもそれじゃ満足できなかったら?」

「でもその頃にはきっと、アビゲイルは今までよりもやさしくなってる。……誰かのことをたくさんたくさん考えられるひとはね、やさしいよ」

「……」

 かくん、とアビゲイルはうつむいた。何を考えているのか……わからなかった。

けれど、姉がアビゲイルを見る眼はとてもやわらかく、思わず微笑み返してしまいたくなるくらい、やさしいものだった。




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