サザンクロスの英雄 8
キャンプは続く。不安要素はあるが、それでも猟銃を持った大人がすぐそばにいると思うと少しほっとする。
二番バンガローで少年たちにシャワーを浴びさせ、頭をひとりじゃ洗えないという子がいたので洗ってやると終わる頃にはずらっと行列が出来ていた。結局全員分洗うことになりだるくなった腕と指をぶら下げつつ大人たちの集う一番バンガローへ行くと、女性陣はまだひとりもいなかった。トーマスがテーブルを拭いている。
「ああ、子供たちを入れてくれてありがとう」
「いえ。片付けありがとう。時間かかっちゃってさ」
「いやいや、大変だっただろう? でも子供たちがシャワー室で暴れないよう水鉄砲は置かなかったんだよ」
「本当ありがとう」
「紅茶を飲むかい? 実はね、少しいいお茶を持って来たんだ」
「ああ、もらいたいな」
森の近くとあって、夜は少し冷えていた。トーマスが薬缶をコンロにかけ、そして戻って来る。
「女性陣はまだシャワー?」
「だね。どの年齢でも身支度に時間がかかるのが女性らしい」
それからトーマスは穏やかに笑った。
「君のお姉さん、とってもいいひとだね」
「……ありがとう」
誰もいないバンガロー。ゆるく笑い、うなずく。
「いい姉だと俺も思うよ。いろいろと心配なことも多いんだけど」
「それきっと、お姉さんも君に対して思ってるよ」
「かな」
「家族ってそういうものだろ」
「……だね」
父だって母だって。
みんな姉のことを、心配している。
「……一緒に住んでた時。ユキはたくさん俺と遊んでくれたし、家族との時間をたっぷり取ってくれた」
「お父さんがこの国に来ることになった時、お姉さんは来なかったんだね」
「うん。ちょうどもう、大学進学が決まってて……合格が決まってよろこんだばっかだった。ユキの語学力ならこっちでも余裕で大丈夫だっただろうけど……第一志望の大学が受かってるひとを連れて行くのはどうかってなって。大学生のひとり暮らしなんて、日本でもよくある話だし」
むしろ環境が変わるのは引っ越す自分たち三人の方だった。姉は家に残るだけ。けれどその時のトウマにとっては、姉の方がどこか遠くへ行ってしまうような感覚だった。
「行かないで、って泣いて。一緒に行こうよ、ってぐずって。……すごい困らせた」
姉はあの時十八になるかならないか。自分はその時八歳で。一緒に行かないと決めた姉の決断が信じられず、泣いてごねた。
「まあ今から思うと、ユキの決断は当たり前だし……」
「当たり前のことでも心配にはなるさ」
「……それもそうだけど」
それから一年と少しは何の問題もなかった。長期休みも自主制作や課題で忙しくしていたがそれでも姉は会いに来てくれていたし、頻繁に連絡を取っていたし。
それに綻びが出来たのは姉が二年になった冬のことだ。バイトが断れずそっちに行けなくなったと電話して来て、そして―――それから四年の冬になるまで一度も、自分たちに会いに来なくなった。
何がどうなってそうなったのかは知らないが、日本にいる間はとある青年と縁があり一緒に住むようになり父とトウマを驚かせ(だって男だぞ)、大学を卒業したら就職はこっちでしてくれないかなという淡い期待通りにはもちろんならず日本で映画スタッフとして働きはじめ。いやこれは現実問題としてそうなるであろうなとは思っていたけれど。期待は別として、だ。
どちらにせよその同居人だって、よっぽど何かがなければ同居人になったりしなかっただろう。何があったのか。姉は何も言わない。訊いても正々堂々と『言わない』という選択をされるだけ。嘘はない代わりに、答えは何ももらえない。
距離が離れた。そう感じているのは、トウマだけなのだろうか。
「ひとり立ち、する時だったんじゃないかい? たまたま丁度その時期だったんだ。離れて暮らしはじめたのも大学入学のためなんだろう? 早過ぎる、ということではないんじゃないかな」
まあ納得出来るかどうかはまた別の話だけどね、と、トーマスは穏やかに笑った。
結局女性陣はシャワーのあと年齢問わずなガールズトークに突入したらしい。スーからの連絡を受けたトーマスとお茶を飲んで、そのあと割り当てられたバンガローに戻り就寝した。隣のベッドから聞こえるトーマスのいびきを聞きながらぼんやりと天井を見つめ、……ややあって身を起こし、バックパックから一通の封筒を取り出す。スマホのディスプレイに灯りをともし、中の紙片を開いた。
まだ幼い拙い文字。もう何百回と眼を通したそれに眼を落とし、……小さく小さく、息を吐く。
吐息はその幼い文字をなぞって、そして消えた。