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サザンクロスの英雄


 裏切り者と、そう面と向かって言われたら。

 たぶんその瞬間自分は、崩れるように少し笑うのだろう。そうすることしか、出来なくて。

 それはなにより、自分が裏切ったと、そう自覚し隠すことも出来ない酷く情けない人間に、見えるのだろうか。


 御影訊真には姉がいる。四歳の時からだ。

 御影ユキには弟がいる。十四歳の時からだ。

 そして今、トウマは十五歳になった。

 あの時の姉よりも年上だ。

 そして今、姉は二十五歳になった。

 あの時からずっと、姉は自分の姉だ。




 やわらかく、そしてやさしい。通る声ではないけれど、その分耳馴染みのいい穏やかな声。

 電話の向こうの姉の声は、いつもと同じ自然と安心する声だった。

「今どこにいるの?」

『……どこだろう。自分でもよくわかってない』

 本気で言っているのか冗談で言っているのかよくわからない声で姉が答え、やれやれと嘆息した。今から一年半ほど前、姉がこちらの国に渡ったというのは知っていたが―――知っている、だけ。会ってはいない。父だって母だって会っていない。この電話だって本当に久しぶりで、最後の電話といえば出国する前にちょこっと喋ったくらいだった。それまでは仕事中でもない限り電話はもちろん繋がるしきちんと姉は固定された家に住んでいるしで、離れてはいても連絡は取りやすかったのだ―――今とすべてが正反対だ。

 姉は今、本気で連絡が付かない。緊急連絡先として両親が教えられたのは姉の番号ではなく弁護士だという家族が誰も知らない男のもので(そのひと自身はとても印象のいい丁寧なひとだったけれど、果たしてどこで出会ったどんな関係なのだろう)、姉自身の連絡先は教えられていない。どうして教えてくれないのと先ほど問うたら、携帯を持っていないそうだ。じゃあ弁護士に連絡しても姉に伝える手段がないじゃんと言うと、世の中には酷くひねくれた方法で無理矢理繋げて来る人間もいるんだよと、何だかちょっと苦笑いし損ねて単なる嘆息になった声音で姉は言った。その弁護士がひねくれているわけではなく、その弁護士が頼るとある人間がひねくれているらしい。何でもその人物ならば姉が例えどこにいても連絡を付けることが可能らしく、弁護士はそのパイプ役を勤めてくれているらしい。じゃあ何でそのひねくれ者の連絡先を直接教えないのと訊いたら、ひねくれているからトウマに近付けるわけにはいかないのだと、本気っぽくそう言われた。

 何だかよくわからないが納得するしかなく曖昧にうなずき、親機のディスプレイに表示される文字に目を落とす。番号が表示されている―――わけではなく、どうやら姉は公衆電話からかけているようだった。

「メールアドレスもないの?」

『昔のはまだ一応残ってるけど確認してない』

「する予定は?」

『ない』

「ずっとホテル暮らし?」

『ってわけじゃないんだけど……そろそろそうなるかな』

「え、家あるの?」

『んー』

 にこりと微笑む姉がリアルに想像出来た。はぐらかされない。けれど、答えもない。姉は答えたくない時、曖昧に誤魔化すことはせずすうっと黙る。何も言わないというのを正々堂々選ぶひとだ。昔から。

「……今夏休みでさ。一週間後キャンプに行くんだ。ボランティアで」

『へえ。課外授業?』

「小学生たちに日本の文化を伝えるとかそういうの。でも日本人は来ない。日本好きなひとが主催してボランティアが集まって、唄教えたりとか伝統教えたりとか」

『キャンプ先で?』

「キャンプ先で」

 不思議そうに姉が言い、こっくりと肯定した。日本ではないこの国のキャンプ先で日本人もいないのに日本文化を教えるボランティア。よくわからないノリだが主催者である近所の男が大の日本好きなのだ。キャンプもしたいし日本の良さも伝えたいと、やりたい放題なイベントになっている。

「ネットとかでも募集してるから結構あちこちから子供も集まるみたいなんだ。主催者は近所に住んでるひとで父さんも母さんも知り合いなんだけどね」

『お母さんは行かないの?』

「母さんは今年町内会のお祭りの委員が被ってて行けないんだ。父さんは……」

『父さんは中身が日本人じゃないからね』

「そう……」

 そう。見かけは日本人なのに中身は完全この国の人間だ。見かけが産みの母似であろう自分の方がまだ中身は日本人だ。金茶色の髪をした。

『そっか……キャンプはどこでするの?』

 州名と街名を答えた。そんなに有名な場所ではないはずなのだが、ああ、と納得したように声を漏らした姉に内心流石だなと舌を巻く。そのやわらかい印象とは裏腹に姉は頭がいい。

「ユキも参加する?」

 軽い口調で言うと、しかし姉はふむ、と考えるように、

『うん、参加しても大丈夫ならしようかな』

「えっ?」

『え?』

「えっ?」

『え? ……ん? あ、冗談だった?』

「う、うん。冗談だった、けど! 冗談だったけどいいよ! 大丈夫大歓迎!」

 つい声が大きくなり受話器に向かって逃すまいと叫んだ。

「是非来て! 何の問題もないよ!」

 あったとしても絶対に押し通す。

『そ、そう? じゃあ……現地集合になるけど、それでもよければ参加するよ』

「よっしゃあ!」

『よっしゃあ? ……そんなに大変なボランティアだったの?』

 ボランティア自体は大したことない―――自分もまだ一応世話される年なのだし。あくまでも『お兄さん』的ポジションでの参加だ。大人とは負う責任が違う。だからそれは関係ない。姉と会える、ただそれだけのことがうれしかった。

『じゃあ一応上のひとに許可もらってくれるかな……明後日には答え出そう?』

「明日でも大丈夫!」

『じゃあ明日またこの時間にかけるよ』

 この時間に父と母はいない。それをわかって言っているような気がした。

「うん、わかった。待ってる」

『うん。―――楽しみにしてるね』

「? 電話を?」

『ううん』

 ふは、と電話の向こうで小さく笑う声。

『トウマに会えるの』



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