アルコルの餞別 32
がちゃんと柵が閉まり、低いエンジン音を地面にくぐもらせて車は発車した。
遠去かる白い建物の群れ。赤みを帯びた荒野に残されたそれは、あっという間に吞み込まれるようにして小さくなり、そして消えた。
少女はじっと、それを見つめていた。それを隣からそっと見守る。
「……そういえば」
「なに?」
「あの『声』……あの黒いスマホは?」
「これ。もう通信切れてるけど」
「そうなのか」
「切った」
「……そうなのか」
少女は指を滑らせるとディスプレイを灯らせた。基地局から離れて電波が少しずつ弱くなっていく。
す、す、と澱みなくディスプレイを操作した少女は、スマホを耳に当てた。軽く眼を閉じ、小さく息を止め―――まるで、祈るように。
ややあって通話が繋がったらしい少女は、こちらには理解出来ない言葉で話しはじめた。
恐らく母国語なのだろう。やわかいイントネーションの音を、紡ぐようにして少女は誰かに語りかける。
冷静に話したり、
絶対的な怒りを見せたり、
冷たくささやいたり、
そして今度は―――
「―――ともり」
愛おしそうに。
本当に、大事そうに。
恐らく名前なのだろう。―――誰かの、名前なのだろう。
言葉が通じなくても、その声に愛情が込められているのがわかった。
言葉が理解出来なくても、その声に愛情が込められているのがわかった。
そっと微笑んで。少女は言葉を紡いで。―――そして。
眼を閉じて、もう届かなくなった声を想うように、耳にそれを当て続けていた。
「……」
す、と、白い指が黒い筐体を差し出すようにして柵から外へ出す。
猛スピードで流れてゆく赤茶けた荒野に、ふっとその細い指から力を抜いてそれを落とした。一瞬でその筐体は点になり見えなくなる。
「……いいのか」
「いいの」
棄てたことではない。けれど―――いいのなら、良かった。
「……いろいろ助けてもらったし、いつか『声』に礼を言っといてくれ」
「素直に言いたい?」
「……」
言われて思った。言いたくない。
ふう、と少女が溜め息をつく。
「そういうひとなんだよ。本当。思わず殴りたくなるくらい、わたしにそっくり」
「……殴ったことあるのか」
くすりと少女は笑った。悪戯っぽい、どこか楽しげな表情で。
「秘密」




