アルコルの餞別 26
黒の空をバックに少女は立っていた。いつものあの眼を隠すゴーグル、靡く不思議な色の髪。華奢な体躯にやわらかい声。
ヒイラギという少女は。
そう言って、言葉を持たない空間に現れた。
「……よう、嬢ちゃん」
同じく見上げたヘザーは方頬を吊り上げたような笑顔を見せた。いつものあの軽い調子が少しだけ戻っていた。
「嬢ちゃんまで殺そうって気はなかったんだけどな」
「そっか。残念」
「ああ。本当に残念だよ」
残念だよ。口の中でもう一度呟かれる。
「……悪いな。嬢ちゃんのお気に入りを最初に殺すよ」
「ハイドは殺されないよ」
「こいつはな、ウィリアムズっていうんだ」
「知ってる」
「そうか。物知りだな」
「母親は幼い頃に亡くなって、父親はそのあと火事で死んだ。―――ハイドは、そのあと引き取られた家族の名前だ」
「ラッキーだろ。母親が黙っていたのかどうかは知らないが、母親が死んだあとも実の子として父親に育てられたんだ」
「違う」
少女はゆるりと首を横に振った。
「……あ?」
「違う」
「やめろヒイラギ」
「ハイドは―――ロイ・ウィリアムズはウィリアムズ夫妻の血の繋がる列記とした実子だ」
「……あ?」
据わった声に、銃口の行き先が変わった。
「やめろ!」
発砲音。
わんとした耳鳴り。
建物の一部に弾着していた。
「……有り得ない」
「でもそうだ」
「じゃあどうしてディズリーの身体にウィリアムズの名前があった? どうしてこいつの口座にディズリーからの金が振り込まれる!」
「やめろ言うな!」
「言え!」
「やめてくれヒイラギ!」
「言えッ!」
「やめろ、やめろヘザー撃つな! やめろ、やめろ―――」
ぐるぐると脳裏を巡る色。青。青。青。青。青。青。青。青。青。青。青―――
―――青い世界を見るために
「やめろ!」
もう。
これ以上。
「ハイド」
やわらかい声。
「あなたの世界も青い」
そう。青い。
「青い世界は死者の世界」
そう。青い世界は死者の世界。
「でもわかってない。ハイドはわかっていない」
何が? 何を?
「その世界は美しいんだ」
その青い世界は。
「ハイド」
少女が
微笑んだ。
あたたかくて
やさしくて
息苦しくて
辛くて
痛みを孕んだ
―――それでも微笑う、少女の世界が。
「あなたが殺したお父さんは、あなたの願う青く美しい世界にいるべきだ」
―――その言葉に。
ロイ・ウィリアムズが、泣いた。
「……父さん」
父さん
「父さん……父さん、ごめんなさい」
ごめんなさい。―――ごめんなさい。
「もう一度会いたくて」
父さんに会いたくて。
「どうしても会いたくて」
どんな形でも会いたくて。
「サインしたんだ。―――僕が、サインしたんだ」
最後に名前を書いた時。
「臓器移植の合意を―――僕がしたんだ」
人工呼吸器を止めて、
あの呼吸音を止めて、
そうして自分は
「僕が、父さんを殺した」
青い世界に、追い遣った。