アルコルの餞別 23
ロイ・ハイドは自分の名前が嫌いだ。だから棄てた。もう二度と、その名前を名乗ることはない。
自分の名前がひとを殺した。だからもう、二度と名乗りたくもない。
「ハイド」
「なに」
「ハイドって誰?」
「人殺しだよ」
「そう」
少女が答える。―――否定されない。
知っているんだろう? 俺が何をしたか―――知っているんだろう?
「ララはダスティンに感謝している。真面目に働いて恩返しをしているひと。ぶっきらぼうだけど面倒見が良い頼れるひと。
ヘザーは軽い調子のひと。けど根は真面目なひと。以外と面倒見が良くて付き合いもいいひと。
ダスティンは子供好きなひと。一代で会社をここまで大きくさせた努力家のひと。大きなプロジェクトを立ち上げて自分で潜入したひと。―――まるで誰かに会いに来たみたいに」
「そしてダスティンは俺のナイフを持っていた」
引き継ぐというよりは歌うように言葉を口にした。
「ハイドは文字が書けない」
「そう。自分の名前が書けないんだ」
「名前を読むことが出来ない」
「『それ』が『名前』だと理解した瞬間、文字がぼやけるようにぶれるんだ。文章は読めてもひとの名前だけ読むことが出来ない」
小さく笑った。
「―――本当、よく気付いたな。言わなきゃ誰にもばれたことなかったのに」
「なんとなく、だよ」
とはいっても本当に些細なことだ―――少女に取ってもらったネームカード、GPS貸し出しの時のサイン。……たったそれだけ。
勘が良すぎるという言葉すら既に当て嵌まらない。
どうしてわかるのかと、その論理は頭の中でどのように飛躍し結び付くのかと問いたくなるくらい。
「……あのナイフは、俺の親父のものなんだ」
ダスティンが抱えていたというナイフは。
「俺が遺した。―――俺が」
微笑む。微笑む。
「俺はダスティンに二度と会いたくないんだよ」
その白い頬に触れようと、
手をのばした。
「―――触らないで」
その手に触れることなく。
少女は言った。―――その深い深い眼をこちらにまっすぐに向けて。
「あなたはわたしに触らないで」
通る声ではない、やわらかく凛とした声。
「―――止めに行こう」
「……どうして」
「あなたも殺されるから」
「それでいいよ」
「そう。―――でも止めよう」
「どうして」
「どうして、って」
少女は笑った。―――苦笑いのような、乾いた笑みで。
「青い世界を見るためにだよ」