アルコルの餞別 20
ダスティンが倒れていたという現場は敷地内ぎりぎりのところだった。じゃり、と砂を踏む。……なんの変哲もない地面。血の跡はない。土が跡形も無く吸ってしまったのか。
「……俺、こんなところにいると尚更怪しまれないか?」
「……」
「ヒイラギ? 今思ったことを素直に言ってみてくれ」
「今さら? とは思った」
「お前は素直だな」
うめく。確かに今さら何をしても同じか。
見晴らしのいい場所。が、夜となれば建物から離れたここまで灯りは届かないだろう。真っ暗な空間、果ての無い場所。吞み込まれ、ダスティンは昏倒した。
『頭部を殴打。凶器は見付かっていない』
「……なあ、これ本当誰だ? どうして情報知ってるんだ?」
「知らないひと」
「嘘吐くなよ。なに、ヒイラギのストーカー?」
「ストーカーなら今日本にいるから……」
「お前日本で大丈夫だったの」
『そういえば君の大事なストーカー、ちょっと問題に巻き込まれているようだよ』
「え?」
その時少女の顔が揺らいだ。朝起き抜けのあのうろたえた顔ではない。少し息を吞み、吐きどころを失ったような―――心を揺さぶられた、それ。
「……無事なの?」
『無事だよ。身体も心も。けれど巻き込まれていることには変わりない』
「……」
少女が沈黙する。しばらくそうやって無言を貫き、
「……お願い」
『了解』
それだけで通用したらしい。『声』は簡単にそう言い、少女は身体の奥底からと思えるくらい深い息を吐いた。
「……ヒイラギ?」
「ん、大丈夫……ダスティンはここで見付かった。そばにはハイドのGPSが落ちていた。……でもハイドはやっていない」
「……そう思うか?」
「やったの?」
「……やってはいない」
「そう」
ゴーグル越しに見詰められ居心地が悪くなった。誰か逸らしてくれないか。
「……ダスティンは誰かに呼び出されたのかな」
「え?」
「深夜ここに来た理由」
「……さあ」
「ここは夜は真っ暗だし、今のところ目撃者は誰もいない。……ダスティンの意識が戻ればなにか聞けるかもしれないけど、それまでに突き止めたい」
「……出来るのか?」
「誰かが目覚める前にこそこそ動くのは経験があるんだ」
「本当、日本でどんな生活送ってたんだ」
結局、現場に行ったところで何もわからなかった。何も、だ。
朝食を摂ろうと少女と食堂へ向かう。ワゴンから適当に料理を取り、ぐったりと疲れた心地で座りブロッコリーにフォークを刺した。
「ハイド疲れてるね」
「そりゃな。そんなに寝れてないし」
「……わたしがベッド取っちゃったから。ごめんなさい」
「や、どちみち眠れなかっただろうからそれは関係ない」
椅子でいいと言った少女を強制的にベッドに追いやったのは自分だ。
「……なあ、容疑者先輩」
「なに、容疑者後輩」
「ヒイラギが容疑者になった時はどうやって切り抜けた?」
「参考にならないと思うよ。容疑者になったことは比較的どうでもよかったから」
「じゃあ何が大事だったんだ」
「事件が起こったこと」
トマトをフォークで刺し少女は言った。
「事件が起こったんだ。ひとがひとり、死ぬかもしれないんだ。そんなことが、起こったんだ」
「……どうするべきだと思う? これから」
「ひとりひとり調べる。バックグラウンドも含め、そのひとの全てを」
「それで容疑者を絞る?」
「……容疑者は絞れてるよ」
「俺?」
「も、含まれる」
「……他が、いる?」
返事はなかった。少女は多く盛られたトマトを、ただ無言で食べていた。
自室に戻った。少女を引き連れて。
女性寮に自分が入るのは問題だが、男性寮に少女が入るのは、まあ……仮にばれてもよろこばれるだけじゃないだろうか。よろこばせる気はないが。
『容疑者は君の他に二人。ララ・ストーン。リック・ヘザーこの二人だ』
黒い筐体はそう言い切った。すぱりとした言葉に逆に困惑が大きくなる。
「……なんでそう言い切れる?」
『このプログラム期間中にシドニー・ディズリーに関わったのが主に君を含めこの三人だからだよ』
「……ヒイラギは?」
『ああ、おもしろいね』
「……じゃあ俺含め三人だとして。そこからどう絞る?」
『絞る?』
「え?」
『どうして犯人が単独犯だと思うんだ?』
「……」
『本人への聞き込みだろうね。あと周りへの聞き込み。それと、さっきこの端末に調査資料を送った』
「資料?」
その言葉に少女は黒い筐体のディスプレイに触れた。どうやら該当したらしいテキストファイルを開き、眉を顰める。どうしたと覗き込んで同じく眉を顰めた。ドイツ語だ。
「……これ元々は英語だったんじゃないの?」
『そうだ』
「何でわざわざドイツ語に……」
『ロイ・ハイドはドイツ語が読めないからだ』
何故知っている。眉を顰めたがそれが見えていない『声』は平然と、
『容疑者のひとりに情報を見られてうれしいことはないからね。君だけが読めればいい。必要だと思ったところだけ口頭で説明してくれ』
「……」
見えていても見えていなくてもこの『声』は同じことをして言ったんだろうな、と思った。
「……ララは孤児院育ち。これは昨日本人が言ってた……リック・ヘザーは私生児。母親に育てられ、父親は不明。……十二の時に母親は事故で死亡、それから孤児院へ」
「……それには俺の過去も書いてあるのか?」
「ハイドのはない。ほら、自分の名前ならわかるでしょ?」
ディスプレイを見せられる。ずらりとした羅列に眩暈がして眼を逸らした。
「あと、シドニー・ディズリーについては?」
『公表されている情報以外はほとんどまだ出て来ていない。時間がかかりそうだ』
「そう……公表されている範囲で言うと?」
『六十五歳、独身、血縁者はいない。心臓病を患っていたが移植手術により回復。そのあと慈善事業に目覚め孤児院などを立ち上げ恵まれない子供たちへの援助を行いつつ会社をここまで大きくさせた実力者。S・Dプログラムを企画したのも彼だ』
「……どうして企画したんだろう」
少女が呟いた。どうして。……どうしてがどうして、だ。プログラム自体は悪い話ではない。そこに疑問を感じる理由がわからなかった。
『少し調べて来る。何かあったら呼んでくれ』
「うん」
回線が切れたわけではないのだろう。が、それきり黒い筐体は黙った。
こちらの会話は筒抜けなんだろうな、と思いつつ先ほどの疑問を口にすると少女はこきりと首を傾げた。特に意味はない、恐らく癖。
「『どうして』……このプログラム、この手の人材に詳しい推薦者が必要だったり、シドニー社だけでは済まない形で大勢が関わってる。それだけ力を入れて周りを巻き込んで、少しでも大きいものにしようとしている。それに名前を隠して本人まで参加してる」
「そう言われてみれば確かに……や、でもダスティンは……」
ディズリー。ダスティン。一瞬迷ったがダスティンで通すことを決めた。
「ダスティンは純粋に参加者がどんな奴らか気になったんじゃないか? そのままのカメラマンたちを見たくてこっそり紛れ込んだんだ」
「半分くらいはありそう」
「半分?」
「だったらもっと大勢と関わろうとするよ」
確かに、と思った。ダスティンが自分たち以外の誰かと長時間喋っているところを誰も目撃していない。
「……気に入られたんじゃないか。興味を持たれた。だから一緒にいた」
「うん、それはあるかもしれない。だから半分くらいはありそう」
なるほど。……でも、そういう面から見てみるとダスティンの方にも何か思惑が有りそうな気がして来た。
「……それを調べるのか」
それも調べるのか、と思うと、心は重くなった。