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アルコルの餞別 19


シドニー・ディズリー

 たった一代でS・D社を大企業に発展させた実業家。

 芸術方面に力を入れているが、それは会社が軌道に乗った随分とあとの話で、本人自身なにか秀でるものを持っているわけではないらしい。

 だが、本人が得た人脈や知識財力全てを以って、様々な方面の芸術家を愛で後押しした。

 まるでなにかを探すように―――誰かと巡り会うのを、待つように。




 翌朝、最悪の気分で眼を覚ました。まさか戻って来れるとは思っていなかった自室のベッド―――ではなく、自室の椅子の上で。

「……」

 ベッドには先客がいた。微かに聞こえる規則正しい呼吸音が、まだその人物が起きていないことを知らせて来る。……ぐっすりと眠っているようでなによりだが、それにしたって随分と無防備だ。殺人未遂の容疑がかかっている人物の部屋でこんなに眠れるものなのか。

「……ヒイラギ。おい……」

 声をかけるが反応はない。本当に深く眠っているようだった。逡巡して、仕方なしにその薄い肩に手をのばした。―――瞬間。

『触れるな』

 ノイズ混じりの奇妙な声―――とても古いラジオから聞こえてくるくらいざらざらとしたノイズ交じりの男の声が枕元にあるスマートフォンから響いた。びくっとしてその手を止める。

『触れた瞬間敵と見なす。いいな』

 まるでこちらが見えているように『声』は言った。どうしたらいいのかわからず呆然としていると、苛立ったように『声』が言葉を重ねて来た。

『いいなと訊いている』

「あ……ああ。わかった」

『決して違えるな。いいか、なにかあったらその瞬間社会的にも殺してやる。……じゃあ、この子を起こそう』

 物騒なことを言う『声』は一度黙った。次の瞬間、火災ベルのような音がその筐体から鳴り響いた。

「ひゃっ……!」

 それは奇しくもはじめて聞いた、ヒイラギのうろたえた声だった。ばっと飛び起き混乱し切った幼い顔のままばっばっと辺りを見回し、枕元にあったスマホを両手で掴んだ。

「このっ……捻くれ者っ!」

『君が起きないのが悪い。よくもまあ容疑者の部屋でぐっすり眠れるものだ』

「うるさい。関係ないでしょ」

『どうだか。それよりファイルをあとで送る。スワヒリ語で送られたくなかったらせいぜい大人しくしておくんだな』

「どうしてそうくだらない方面に力を込めるのっ」

『君がうろたえたり困ったり動揺しているのを見るのはとても愉しいんだよ』

「百十一発殴られてしまえ」

 げっそりとした顔で呪いの言葉を吐いた少女はそう力なく言うと通話を切った。……通話、だよな?

「あー……おはよう?」

 自然と疑問系になってしまったあいさつをすると少女はばつが悪そうに曖昧にうなずいた。

「うん、おはよう……」

「……今のなんだか訊いていいか?」

「駄目」

「そうか……」

「……あとでファイルを送るって言ってたから、そこから調査だね。……」

 半分据わった眼で黒いスマホを眼の前に掲げた少女は決意したようにその華奢な指に力を込めた。

「全部終わったらまた棄てなきゃな……」

 また、という言葉は聞かなかったことにした。




 昨夜、ダスティンはドクターヘリで運ばれて行った。

 ライトに照らされたその顔は、青い。……青かった。最後に見た時も、ひょっとしたら青褪めていたのかもしれない。

「ユキ・ミカゲはいるか」

「ユキ・ミカゲ?」

「……わたし」

 降りてきた隊員のひとりがプロペラの轟音に負けないように張り上げた名前に聞き覚えはなかった。が、少女が歩み寄って来る。

「証明出来るか?」

「わたしのひねくれ具合を?」

「……本人のようだな。これを」

 隊員が渡したのは黒いスマートフォンだった。少女が眉を顰める。

「要らない」

「受け取らない場合はあとから迎えを寄越すらしい」

「……」

 ここまで苦り切った渋面もめずらしいと思うほどの表情で、少女はそれを受け取った。

「患者はシドニー・ディズリー。間違いないか?」

「……ああ」

 マイクが小さくうなずく。隊員は大きくうなずいた。

「病院に直接社員が行くことになっている……ディズリーには身内がいないんだ」

「わかった。ではまた追って連絡する」

 再び隊員はうなずくと、担架に乗せたダスティンを―――シドニー・ディズリーをヘリに乗せ、飛び立った。

 ここに残ったのは、轟音と砂埃の余韻。

 形のない疑惑と、小さな手のひらに残された黒い筐体。




「……どうしてひとは死ぬんだろうな」

 ぼそりと呟いた言葉は妙にぽっかりと部屋に落ちるようにして小さく広がった。

 少し離れたところに座っていた少女が顔を上げる。

 昨夜に引き続き、再びミーティングルームに残されていた。今マイクとララはいない。対応に追われているのだろう。―――容疑者である自分を非力な少女とセットで放置するというのはなかなか問題かもしれないが、そもそもよく考えれば警察でもない彼らが自分を拘束することは出来ない。なので、

「……ヒイラギも、俺に付き合うことないぞ」

「……死ぬ人間がいなかったら、世界は生者ばかりになってしまうからじゃない」

 答えず、答えられた。

「……そうなったら困るか?」

「世界が残酷になる」

「どうして」

「誰も死なないというのは、どうやっても死なないということでしょ? ……何をされても死なないんだ」

 言いたいことは、何となくわかった。

「―――ヒイラギは」

 ぼそりと訊ねる。―――昨夜から、こんな風にしか喋っていない気がした。

「ヒイラギは。……ヒイラギの、恋人は、」

『世界が残酷になる? ……やさしい答え方だね』

 僕からしてみればそんな世界に用はないよ。……黒い筐体が答えた。意識がそちらに引っ張られる。

「……これ、どうなってるんだ? 監視してるのか?」

『今現在はしていないさ。しようと思えばカメラを起動させて出来るけれどね。……今はマイク機能だけだ』

「それで十分」

 うめくように少女が答えた。ぴょこん、と立ち上がる。

「ダスティンが倒れていた現場まで行くけど、来る?」

「……止めようとしたら?」

「ぶつ」

「……じゃああきらめるよ」





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