アルコルの餞別 12
厨房は片付いていた。スタッフはもう引き上げているらしい。
「許可取ったから大丈夫だよ」
そう言うと少女はストックから米を取り出し鍋にざらっと流し込んだ。少女がワゴンから持ってきた調理済みの食材―――ハンバーグやらサラダやらチキンやらを見て首を傾げる。
「もう調理されてるんだしそのまま食べるのじゃ駄目なのか」
「それでもいいけど」
「……でもまあおもしろそうだし待つよ」
「ありがとう」
生真面目な顔で少女はうなずき、コーラとチョコレートプリンをこちらの目の前に置いた。これで凌いでおいてくれということか。なんだか非常に釈然としないままぺりぺりと蓋を開ける。うまい。
そこからは少女のターンだった。調理済みのハンバーグを一度潰し大きなキャベツで包みロールキャベツにし、鶏肉は刻んだたまねぎやらと合わされ肉団子になり既にあったミネストローネに入れられ、炊けた米は摩り下ろされたにんじんをバターと日本の調味料『ショーユ』でなんともそそる匂いのそれで炒められ合わされ彩りも鮮やかに、サラダは温野菜になりこれもまた日本の『ミソ』とマヨネーズと少しのミルクで合わされた特製のディップソースと共に出され、これは全く新しく作られたがくるくるときれいに巻かれた卵焼き。『ダシマキタマゴ』と言うらしい。
一手間二手間少女がかけてワゴンにある料理よりも豪勢でおいしそうなものと変貌した。唖然とする。
「お待たせしました。どうぞ」
ずらりと並んだ美味そうな匂いのするそれをぽけっと口を開けたまま見つめて、……少女が首を傾げたのではっと我に返った。
「……食べたくない?」
「い、いや。驚いただけだ。すごいうまそうだな、食っていいのか?」
「え?」
食べないの? と言いたげな瞳にうなずいてフォークを取った。ロールキャベツに齧り付き、
「……うまいな!」
思わず声を大きくするとヒイラギは少し笑った。厨房の台いっぱいに広がる料理を前に手を合わせなにか言い、それから手を付ける。
「うん、まあまあ」
「まあまあじゃねえよこれすげえうまいよ。すごいな、元からうまかったけど更にうまくなってる……うわあ」
手が止まらない。元々腹が減っているしどれもこれもうまそうだしで全てが輝いて見える。うまい。うまい。出来立てだし。米もにんじんとバターとショーユが合わさったなんとも言えない香りが素晴らしい。ワショクって素晴らしいな! と言うと少女はその米を前に「これは和食なのかな……」と首を傾げた。いいよ米使ってれば和食だよ。
がつがつがふがふと目の前にあるご馳走を貪っていると、きいと音がして厨房に誰か入って来た。口いっぱいに頬張ったままそちらを向くと少し驚いた顔をしたララがいた。今はもう警備服に着替えている。
「厨房使用の許可は出したけどここまで本格的にやってるとは思わなかったわ」
「問題でした?」
「いいえ。ちょっとびっくりしただけ」
「多めに作っちゃったんですけど、どうですか?」
ちょい、と少女が台の上の素晴らしい料理たちを示すとララは一瞬渋面を作った。迷ったらしいが、匂いやがつがつと食べ続けるこちらを見て好奇心に負けたのか皿とフォークを持って来る。先ほどの自分と同じようにロールキャベツを口に運び、……驚いたような顔をした。
「……すごい。おいしいわ」
「よかった」
「明日からの食事が憂鬱になるくらい」
「ヒイラギ、お前が今までほとんど食べなかったのって舌が肥えてたからなのか」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ちょっとそれ私まだ食べてないんだからそんなに食べないで」
「えっそうなのか食べ足りないんだが」
「……卵焼き? 焼けばありますよ」
「……これはダシマキタマゴってやつじゃないのか?」
「この場合は同じ意味です」
「日本語って難しいな」
「ララ食べます?」
「もらうわ」
一人加わっただけで酷く賑やかになった。きい、と再びドアが開き今度は三人で注目する。
「やあ、すまない。楽しそうな声がしたので気になってね……」
シーラ・ダスティンだった。よく日に焼けたその顔で厨房を覗き込み、「いい匂いだね」と顔を綻ばせた。
「ダスティン、夕飯は食べられましたか?」
「いや、まだだよ」
「よかったらどうですか」
ちょい、と再び少女は料理を指した。ララが参入したことでだいぶ減ったがまだ量はある。
「よろしいのかね?」
「ああ、うまいぞ。ワショクがすごいんだ」
「これは和食なのかな……」
「米使ってるからワショクだよ。……ララ、椅子ってまだあるか?」
「そっちに確かあるはず」
「ああ、すまないね……」
厨房に四人が座り一気に『スタッフによる厨房パーティー』のようになった。アルコールはないが。
人数が増えたことによってヒイラギもメニューを追加することにしたらしい。一度厨房を出るとワゴンからいくつか料理を持って来て、それからてきぱきと作りはじめる。サーモン、米、サラダに入っているレンコン、茄子。それらは最終的に『ヤキオニギリ』『レンコンとナスのハサミヤキ』というものになった。
「ライスボール?」
「やきおにぎり」
「……ヤキオニギリ、は、これ手づかみで食っていいのか」
「それもあるけど……」
深めの皿を持って来たヒイラギはその中にラキオニギリを入れるとふつふつと煮立っている薄茶色のスープをかけた。
「お茶漬け」
「オチャヅケ……」
「うん、まあ食べてみて」
そうさせてもらおう。これはどうやって食ったものかと一瞬悩んでからスプーンに持ち替えて中で泳ぐ米を掬い、口に運んだ。目を見開く。
「……うまい! なんだこれ! いくらでも入るぞ!」
「お茶漬けってそういうものなんだよ」
「ワショクすげえ!」
「……私の分もある?」
「ありますよ。どうぞ」
「このレンコンのヤキ? も美味しいね。こんな風な料理になるとは素晴らしい」
「ありがとうございます」
各々が舌鼓を打ちながら遠慮なく食べていると、きい、とまた音がしてドアが開いた。三人目の訪問者だ。
「……なにやってんだあんたら?」
きょとんとした顔―――リック・ヘザーがゆっくりと瞬きした。
「ワショク会だ」
「……これ半分は和食じゃないよ……」
「おいしいものを頂いてたのよ」
「食が進むんだ。飛び入り参加させてもらっているんだよ」
四人が好き勝手にそう返すと、ヘザーはにやっと笑った。
「よくわからねえが俺も入れてもらえるか?」
「夕飯まだ食べてないのか?」
「食堂のは食ったけどな。まだ入るしなによりうまそうだ」
「どうぞ」
ついには五人になった。ヘザーは新しく焼かれた『タマゴヤキ』を食べて目を丸くする。
「うまい! これがワショクか!」
「それは……和食ですね。ああもう、和食がなにかわからなくなってきた。和食ってなんだっけ?」
「食い物だよ」
「範囲が壮大過ぎて。……ララ、こっちのにんじん炒飯食べてみません?」
「……私にんじんが苦手なのよね」
「あ、そうなんですか。失礼しました」
「……いえ、いいわ。一口頂戴。食べてみたいから……。……」
「これもおいしいね! 私はこのニンジンチャーハン? が一番好みだ!」
「あー、ララ? 大丈夫ですか?」
「……信じられない。にんじんがおいしいわ。はじめておいしいと思った……!」
「あ、よかった。真顔で固まってるから駄目かと思いました」
「嬢ちゃんこの肉団子滅茶苦茶うまいな! なんだこれ!」
「ツミレをちょっとアレンジしたやつです。おいしいならよかった」
「ああ、うまいよ……ちょ、ダスティン! タマゴヤキ俺まだ食べてねえんだ!」
「ん? あ、ああ、すまない」
「焼きます?」
わいわいと、がやがやと。
三十代の男二人と女一人、六十代の男一人に二十代……には見えない少女一人。
国籍も性別もばらついている。全員カメラマンかと思えば、一人は警備員だ。
それでもこの空気は悪くない。アルコールなしでも全員楽しそうに笑い、少女の作る料理を全て平らげた。そして、
「これは俺の出番だな」
言って、ワゴンからチョコレートプリンを持ってきた。デザートだ。ヘザーがコーヒーを淹れ、少女が申し訳ないがブラックのままじゃ飲めないのでと辞退しようとしたがヘザーは「任せろ」と言ってそのままホットのカフェオレにした。まだ熱いそれを満足そうな顔でちびちびと舐める少女を見てなんとなくほっとする。
ダスティンはミネラルウォーターとコーヒーを交互に飲んでいた。節くれ立った手がボトルを掴もうとしてぶつかり、ぱたんとボトルが倒れる。あわてて起こしたので被害は小さかったが台の上に小さな水溜りが出来た。
「おっと。すまない」
「あー大丈夫だろ。ほら」
ダスターでヘザーがさっとそれを拭った。なんとなくそれが意外でまじまじと見ると、視線に気付いたのかヘザーが顔を上げた。薄っすらとばつが悪そうな顔になる。
「……なんだよ」
「あなた悪ぶって飄々としてるふりしてなかなか律儀ね」
言いたいことを全てララが言ってくれた。咄嗟に言い返せなかったのかヘザーはぱくぱくと口を開けては閉じ、それから渋面で「なんだよ」と口の中で呟いた。刺々しさはない声だった。
「あのな、苦労自慢は好きじゃないが、俺だっていろいろ考えてんだ。丁寧なお坊ちゃまやってたところでなめられるだけだろ」
荒くれ者の中でなかなか苦労して来たらしい。そういやヒイラギにも「クリーンな感じでよかったな。やり易いだろ?」等言っていたことを思い出す。なるほど少女はどう見てもスレていない容姿や仕草だし、あれは皮肉でもなんでもなく素直に「良かったな」と言っていたのかもしれない。
……思っていたほど、悪い奴ではないのかもしれない。そう思いながら内心少しだけうなずいた。