アルコルの餞別 5
食事を終えダスティンと別れ(結局ほとんど料理を口にしていなかった)、食堂を出た。建物の周りにはライトが点いており、その点々とある明かりの下で立ち話をしているひとたちが何人もいた。
「ヒイラギはどうするんだ?」
就寝時間は自由だ。
「部屋で休む。明日は忙しくなりそうだし。ハイドは?」
「俺も休むかな」
「……お酒、飲まないの?」
不思議だったのかなんなのか、少女が薄黒色のレンズの下で一度瞬きをした。
「そんなに種類はないみたいだけど、でも無料で飲めるんでしょう?」
「飲めなくはないけどね。別にそこまで好きじゃないんだ」
「そう。ならいいんだけど」
明かりの下で酒盛りをしている連中もちらほらといる。自分が酒を飲まなかったから付き合わせてしまったのかと思ったようだった。
「別に酒がなくても生きていける。でも、そうだな。このプログラムで満足のいく結果が出せたらヒイラギに一杯なんでも奢ろう。こんな荒野のど真ん中じゃなくてね」
「ここも悪くないけどね」
夜の空と大地の境目はもう真っ暗でわからない。その暗闇に視線を投げ少女は言った。
「でも、楽しみにしてる」
「酒を飲むのを?」
「ううん。ハイドが満足のいく結果が出せるのを。……おやすみ」
あまりのことに反応が遅れた。
ぽかんとしてしまったこちらを置いて、少女は女子寮へと帰って行った。
呆然としていたがやがてフリーズは解除された。自力で。
「……なにやってんだか」
ぼそりと自分に呟いて、それから睨むようにして女子寮を見やる。……溜め息を吐いた。
その建物に歩み寄り、ドアのガラス部分から中にある受付を覗く。女性守衛のララが仲にあるデスクに着いていた。ノックしてからドアを開ける。一応この受付までは男女関係なく入れるはずだった。それより奥は厳禁だが。
「あー……ミス・ララ?」
「ミスはいらない。なに?」
「ララ。俺はロイ・ハイドだ」
「参加者の名前は全員覚えている。……で?」
「それは有り難い。……今入ってった子、ヒイラギっていう東洋人のことなんだが」
「口説きたいならご自由に。けどここから先は男立ち入り禁止だから昼間外で口説いて」
「そういうのじゃないんだ。ああ、かわいい子だとは思うけどね……そうじゃなくて、あの子のこと。……気にかけてくれないか?」
「……あなたはあの子の保護者なの?」
「違う。それに本人も保護を望んでいるわけじゃあない。勝手に気になってるだけなんだ。ほら……この中では若い方だし、幼く見える。東洋人で目立ってるし。実際、声をかけられそうになってたよ。あんまりよろしくない眼をした奴らからね。ちょっとどうかと思う」
「あなた聖職者みたいね。……まあ、はい。わかったわ。付きっ切りってわけにはいかないけど気にしてはおく」
うなずいたララにほっとした。
「うん……ああ、ありがとう。良かった。よろしく頼むよ」
手短に。奥に続くドアから入って来た女が「どうしてここにいるのか」という不思議そうな顔をしたので、曖昧に笑ってその場をあとにした。
次の日、朝食を摂ろうと食堂に行くと疎らではあったがひとが既にいた。なんとなく目で少女を探して―――いないことを知り、少し気落ちする。
トーストとサラダとベーコンとスクランブルエッグとソーセージ。それらをたっぷりと皿に盛り付け、ひとりで席に着くと同時、ドアが開いて少女が入って来た。デニムにシャツに大きめのパーカー、そしてやはり薄黒色のサングラス。裾を折ったジーンズからはびっくりするくらい細い足首が覘き、それに不釣合いにすら見える無骨で大きなトレッキングシューズを履いていた。
「ヒイラギ」
手を振って合図すると少女はひとつこくんとうなずいた。ワゴンからいくつか取ってトレーを手にすると意外なことにこちらに向かって歩いて来た。テーブルの前で止まり小さく小首を傾げる。
「相席、いい?」
「もちろん」
うなずくと少女が席に着いた。なんだかな、と思う。服装も相まって年相応に見えない、「少女」にしか見えない少女と三十過ぎの男。場所が場所だったら人攫いに見えるんじゃないんだろうか。
「……ヒイラギ、お前、それだけ?」
「そう。昨日も訊いて来たね?」
「そりゃ、まあ……少な過ぎだろ」
トレーに目を落とす。サラダにヨーグルトに目玉焼き。たったそれしか置かれていなかった。そしてやはりトマトが多め。
「……ソーセージ、食うか?」
「ううん、いい。ありがとう」
食べてくれた方がよっぽどありがたかった、と思いながら自分の分の食事を進める。少女も少女でマイペースに食事をはじめていた。明らかに大きいサイズのパーカーの袖をちょいと上げ、スプーンを取る。単にサイズが大きいだけかと思ったがよく見るとそれは男物のようだった。合うわけがない。
「……それ、ヒイラギの服なのか?」
「ううん。借りてる」
「ああ、彼氏のか」
「ううん。同居人の」
「……日本での?」
「そう。いつ返すかわからないけど借りてていい? って訊いたら気持ちよく貸してくれた」
「それ、もう『頂戴』って言った方が早かったんじゃないのか」
いつ返すかわからないけど。……ずいぶんとざっくりしている。
なんとなくそんなことを考えながらもそもそとお互い食事を終えると、少女は立ち上がって再び食事を取ってきた。なんだやっぱり足りなかったのかとほっとすると、少女はトーストしたパンの上にベーコンとレタスとチーズを乗せ塩胡椒を振ってパンで蓋をした。そのまま紙で包んでしまう。
「……食べないのか?」
「これはお昼」
「昼、ここに来ないのか」
「うん。少し遠くまで行ってみたいし。この先に廃坑があるんだって。そっちに行ってみるつもり」
「……なあ」
ずっと考えていて、今の今まで口に出そうか悩んでいたことをついに口にした。
「一日一緒にいていいか?」
「一緒に?」
「ああ。ヒイラギ、お前を撮ってみたい」
「……」
薄黒色の向こうで少女が眼をゆっくりと一度瞬かせた。
「……わたしを?」
「そう、ヒイラギを。邪魔はしないし、そのサングラスを取ってくれとも言わないよ」
「……」
駄目かな、と心の隅がちらりと思った。
「いいよ」
「え?」
あっさりと少女が言った。うなずき、紙に包んだ特製のサンドウィッチを手に取る。
「でもモデルとしては素人もいいところだから。いい写真が撮れなくても怒らないでね」
「……俺をなめるなよ」
にやりと笑う。成立、と出した手のひらを、少女の小さな手のひらがぱんと叩いた。




