アルコルの餞別 3
ディルから鍵を受け取り、プレハブに足を踏み入れた。プレハブと言っても思っていたよりもずっと造りはしっかりとしていた。砂埃が防げるだけでもだいぶ有り難い。
金属プレートに打刻されていた部屋番号を見て、ずらりと一列に並ぶ部屋に視線を投げた。
「明るい刑務所みたいだな」
うしろから声をかけられ振り返った。二の腕にタトゥーのある自分と同じくらいの年の男がひとり、自分の言った言葉に少しだけ笑いながら立っていた。
「刑務所を白くペイントしたみたいだ。まあ、清潔な分こっちの方がずっといいけどな」
「それに捕まってもいないしな」
「どうだか。こんな荒野の真ん中、捕まっていなくても拉致されたようなもんだ」
肩をすくめて見せる。にやっと笑って男が手を差し出した。
「リック・ヘザー」
「ロイ・ハイド」
「楽しくやろう……まあ、あんたはもう楽しくやってたみたいだけど」
「? どういうことだ?」
「あの東洋人の子だよ。ゴーグルであんまり顔は見えてなかったが、あんな子供が来るってことは……今回はおもしろくなる。そうだろ?」
「ああ……あの子は子供じゃない。とっくに成人してる」
「そうなのか。じゃあ遠慮なく声をかけてみるよ。ありがとう」
どうかな、と思った。あの少女、好き嫌いが明確にありそうだ。
「まあ、程ほどにな……それじゃあまたあとで」
鍵穴に鍵を挿し込み、回した。軽いドアを開けるとそこは廊下と同じく白い壁の部屋だった。一応窓まである。細長い室内はベッドと小さなデスクと椅子、これまた小さいがユニットバスも有り、清潔に整えられていた。とりあえず困ることはなさそうだ。
壁にかかっていたハンガーに引っかけていた上着をかけ、まずはとシャワーを浴びた。温度調整が絶妙過ぎて大変だったが、こんな荒野のど真ん中にしては優秀な方だろう。汲み置きタンクが空になる前に浴びてしまうに限る。水圧は少し弱いようにも思えたが、まあ、まあ、だ。
砂埃も汗も落とし心の底からさっぱりする。かさかさしていた皮膚も潤いを帯び、動くのが楽になった気さえした。備え付けのタオルでわしわしと拭き、巻いたままだった防水の腕時計に目を落とす。四時。あと一時間後に再集合。どうするかな。
どうするかな、と思っていたのだが。バックパックに仕舞っていた着替えに着替え、ぼすりとベッドに腰を下ろすと―――なかなか悪くなかった。ふうん、と、顔を埋めている内に意識が遠のいたのはそのせいだ。
は、と目を開けると、外から差し込む光は終わりの色を窺わせていた。あわてて時間を確認する。五時十分前。間に合ったかとほっとする。
適当に脱ぎ捨てていた靴に足を突っ込み、じゃり、と靴の中で音がしたので顔を顰めた。靴までケアはしていなかった。くそ。
携帯と、財布。それからカメラだけ持って廊下に出た。鍵をかけちらりと廊下の窓の外を見ると既に十人以上外にいるようだった。無意識の内にあの少女を目で探しながら歩き、外に出る。一番最初に暗くなったのであろう建物のすぐ側に少女はいた。
「ハイ」
「こんばんは」
「……着替えてもそれなんだな」
「まあね」
少女もまたシャワーを浴びたのだろう。先ほどと違う服に着替えていた。あの無骨なゴーグルはもうなかったが、帽子を被り、眼には薄黒色のサングラスをかけていた。少女の顔に対してそれは大きく感じ、相変わらずどんな顔をしているのか全体像を掴み難くしている。
「……目が悪いのか?」
「悪くないよ」
「中でもそのままか?」
「外せと言われない限りね」
「規則だから外せと言われたら?」
「プログラムに参加しない。三日後まで部屋に引き篭もる」
「……まあそうはならないだろ」
恐らく。……薄々勘付いてはいたが、少女にとってこのプログラムに参加するということは栄誉ではなく、ただ本当に、『ちょっとめずらしい社会見学』程度のものなのだろう。
「ヒイラギはPENTAXなんだな」
「ハイドはCANONか」
「そこそこいいカメラだな……高かっただろ?」
「一か月分全部のギャラ注ぎ込んだ」
そういう金の使い方をするのはちょっと意外だった。なんの仕事をしてるのか訊こうとした時、現れたマイクが声を張り上げる。
「よく集まってくれた! この部屋に来てくれ!」
がちゃりと、男性寮と女性寮の間にある一番大きなプレハブのドアが開けられた。ぞろぞろとその中に入ると、大きなミーティングルームがあった。一番前にはホワイトボードがあったが今はそれは使われず、椅子がぐるりと大きな円状に並べられていた。
「そこにカードがある。自分の名前が書かれているのを取ってくれ」
「……ヒイラギ、取って来てくれるか? 席取っておくから」
好きなように座っていいようだったのでそう言うと、少女は軽くうなずいて二人分のカードを取って来てくれた。そのまま少女と並んで座る。
「改めてようこそ、S.Dプログラムへ……このプログラムへ参加しているということは全員誰かしらの推薦を受けてここに来ているんだ。その実力を誇ってほしい」
運かもしれないがな、と、内心思った。推薦権を持つ人間は限られている。推薦権を持つ意味があると、権利があると見なされた人間がそれを持つのだ。大抵はその人物自身著名なアーティストであることが多いようだが。
「このプログラムはとてもシンプルに出来ている。明日からの二日間―――正確に言えば日付を越えた零時から―――諸君らには写真を撮ってもらう。何枚撮ってもいい。百枚撮ってもいいし、一枚でも……終わりは二日後の夜の零時まで。その時までに自分が選んだ最高の一枚を提出して欲しい。PCとプリンターはそこにある」
そこ、で、マイクがうしろを指した。振り返ると、部屋の後方のデスクには何台かのPCとプリンターが並んでいた。
「最初から告知してあったように、カメラはデジタルならばなんでもいい。今回フィルムはここじゃ現像出来ないからね。……被写体も、なんでもいい。が、特定の人物を撮り、それを提出する場合は本人にその写真を見せ了承を得ること」
「質問」
手を上げたのはヘザーだった。タトゥーの掘り込まれた腕をちょいと振ってみせる。
「仮に俺がこの中の誰かを撮って、それを本人に見せて了承を得ようとしたとするだろ? ……誰が見てもわかるくらい俺の写真が素晴らしくて、それを提出させたくなくて被写体が「ノー」と言った場合は?」
小さな笑い声と、それもそうだと同意する声とが上がった。マイクが笑う。
「その可能性はあるだろう。だから、交渉の席にはディルかララが同席する。どちらでもいい。異性には見せ辛い写真かどうかで選んでもいい。女性はララの同席を願うことが多い気がするね」
マイクは部屋の隅にいたララにウィンクしたが、ララはそれに特になにかを返すことはなかった。
「ただ、ドキュメンタリーのように一日中付け回す場合は事前に許可を得ること。揉めごとはなしだ。どこかで誰かが揉めていたら、その時もディルかララを呼ぶこと。……そして、写真だが。何枚現像してもいいが、提出するのは現像された一枚とそのデータだ。提出は最終日の零時まで。受付開始は最終日の朝十時から受け付ける。提出は私にすること。一度提出した場合、あとから変更することは出来ない。よく考えて提出してくれ」
「質問」
再び手が上がった。今度は女だ。茶色い髪を長くのばした女が立ち上がり、真っ直ぐにマイクを見やる。
「審査は誰がやり、いつ結果が出るの?」
「大事な話だね」
マイクはまたウィンクした。女が肩をすくめてうなずく。
「締め切られたあと、全員分のデータがS.D本社に送られる。匿名のまま提示され、そこから一枚が選ばれる。審査員は五人。誰とは言わないが、その内の四人は推薦権を持っていた中の四人だ」
ざわりとざわついた。へえ、と、ハイドも内心声を上げた。推薦権を持っていた人間には審査権もあったのか。
「残りのひとりはシドニー・ディズリー本人だ。……と言っても、彼の票も四人の票も等しく一票だ。多数決で優勝が決まる」
女も部屋にいる全員も納得したようだった。




