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アルコルの餞別

 かつん、かつん、と音がする。―――あの時からずっと。

 そうやって降りて行く。ずっとずっと、ゆっくりと……

 かつん、かつん、かつんと……冷たく、籠もった音……

 ……そしてふと、

 もうひとつ多く響いたその足音に、顔を上げた。




 風にその髪が流れた。

「Hi」

 声をかけて、意識をこちらに向けさせる。狙い通りその少女は視線をこちらに向けてくれた。

「言葉は喋れるんだろう? だからここにいるんだろうし」

「問題ないよ」

 生まれも育ちもこの国の自分が聞いても少女の発音は美しかった。

 どこかで入手したのか、或いは元から持参していたのか、透明なゴーグル越しに黒い眼がこちらを見てうなずく。無骨で大きいゴーグルは少女の小さな顔の凡そ半分くらいを占めていたが、そのお陰で少女は満足な視界を得ているようだった。なにしろこの砂埃だ。写真を撮るどころか自分の眼を開くことすらままならない。

「俺はハイド。君の名前は?」

「……柊」

「ヒイラギ。……意味は?」

 少女はきれいな発音で「Holly」と言った。なるほど、柊か。

「ヒイラギ。日本人? 学生か?」

「日本人。二十四。社会人」

「それは失礼。日本人女性は若く見えるから」

 丁寧に言うと気にした様子もなくヒイラギは首を横に振った。慣れているのかもしれない。

「君は誰の推薦?」

「トンプソン」

「ミスタートンプソン? 本当?」

「もう嘘は吐かないようにしてる」

 笑った。なるほど、少女はなかなかにユーモアのセンスがあるらしい。

 荒野の片隅を削るようにして突っ切る大型車―――ガタガタと揺れお世辞にも乗り心地がいいとは言えない強行突破。それが三台ほど続き、北を目指している。

 カメラマンばかりが集められたこの乗り合い。国籍を問わず老若男女が乗り合わせているが、その中でも一番華奢で小さな体躯の東洋人の少女は酷く際立っていた。

 S.Dフォトプログラム―――たった一代でその財産を築き上げたシドニー・ディズリーが立ち上げた、絵画から映像まで幅広く取り扱うクリエイター会社で数年前からはじまった年に一度のプログラム。推薦状がなければ入り込めない、カメラマンが挙って参加したがるカメラマンのためのプログラム。

 言うならば試験だ。世界各国、ツテや腕をアピールし推薦状を獲得したカメラマンたちがこのプログラムに参加する。ひとつの場所に集められ、提供された環境で写真を撮る。何枚撮ってもいい。なにを撮ってもいい。その期間中であったら、なんでも。

 最終日に提出する写真を一枚自分で決め、それを作品として出す。……審査員の審査を経て、残ったひとりが『優勝者』になる。

 『優勝者』には向こう一年S・D社からのバックアップが得られる。S.Dフォトプログラムの優勝者というだけで注目もされるし、特集記事も組まれる。カメラマンとしての成功は約束されたようなものだ。そもそも推薦状をもらえる段階で見込み有り』と見なされるのだ。

 参加資格は推薦状があること、そして英語でのコミュニケーションが取れること。……少女の英語は全く問題がなかったが、とはいえ。

「……ミスタートンプソンは推薦権を持っているのに誰も推薦しないので有名だった。そのトンプソンの推薦なんて、ヒイラギ、君はよっぽど腕があるんだな」

「……さあ。気まぐれなひとではあるようだけど」

 あまり興味を持てないように視線を荒野に流した少女―――もう少女という年ではない気がするが、そうとしか見えない―――に思わず少し笑った。

「俺はハイド。ロイ・ハイド」

「よろしく、ミスターハイド」

「ミスターはいらないな。ロイと呼んでくれ。……ハイドでもいいけれど。ヒイラギ、柊ってファミリーネームか?」

「柊は柊」

 肩をすくめた少女が、言葉を足した。

「ある意味本名だし、今は本名ではないよ。このプログラム、特に名前は重要じゃないようだし」

「ああ、なるほど」

 仕事上の通り名で登録している参加者もいる。ヒイラギ。……異国の言葉は、不思議な響きだった。けれど不思議と、唇に馴染む。

「じゃあ君は、この国で仕事をしているのか?」

「していたり、していなかったり。基本ぶらぶらしている」

「ふうん……このプログラムに参加したのはやっぱりカメラマンとして名を挙げたいから?」

「……売り言葉に買い言葉。売られた喧嘩を買っただけ。まあ、社会見学だと思ってる」

 穏やかではない言葉が聞こえた気がした。ちらり、と、ゴーグルの奥でなにかが光った。一瞬ゴーグルの反射かと思ったが、それは少女の眼が映した光のようだった。そのことに静かに驚く。

「ハイド。今退屈だから話しかけて来てくれたの?」

「ああ、そうなる。邪魔か?」

「ううん。もしそうならあなたの撮った写真を見せてほしいと思った」

 丁寧だがあまり友好的に受け止められていない気がしていたのだが、自分が思っていたよりこの少女は自分との交流を快く受け入れてくれていたらしい。うなずいてバックパックの中からノートパソコンを取り出し起動させる。

「印刷した写真はないんだ。データでしか。荷物になるんでね、置いて来た。それでもいいか?」

「もちろん」

 起動中のパソコンが抱えた腕の上で低い振動を立てる。立ち上がるまでじっと待つ少女に―――今まで興味深そうに少女を遠巻きに見て、話しかけるタイミングを窺っていた輩に視線を向け、意味を込めてにやりと笑ってみせてから―――ゴーグルを外せばいいのに、と思いながら、漸く立ち上がったパソコンのディスプレイにデータを呼び出す。

「ほら。ミネソタで撮ったんだ。これに参加するまでそこにいた」

 見やすいようにディスプレイを向けてやると、少女はパソコンごとそれを受け取ってぺたりとその場に屈んだ。そうやって光と砂埃をやり過ごし、驚くくらい華奢な指でパネルをタッチしゆっくりと画像を送っていく。

 同じように屈んでそうやって見ながら、少女の反応をそっと窺う。横顔でしかそれは見れなかったし、そもそも無骨なゴーグルのせいでその横顔もほとんど窺い知れない。それでも真剣に見ていてくれているのだろう、少女が写真を見るのは非常にゆっくりだった。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。わからなかったが、やがて全てを見終わった少女が深く息を吐いて一度コマンドを閉じた。

「どうもありがとう」

「どうだった?」

「訊きたいことがたくさん。だけど、その前にお礼を」

「お礼?」

「うん。―――ありがとう、声をかけてくれて。おかげでとても素敵なものが見れた」





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