もういいかい? 泣かない君 24
弥子を助けたせいで天音は孤立した。そしてその孤独を和らげたのが―――ひょんなことからはじまった、文通だった。
そのことに弥子は早い段階から気付いていた。天音が手紙を本に挟んでいるところを見てしまったのだ。そしてその相手のことも弥子は知っていた。一つ上の学年の男子生徒。誰から天音の力になってくれることにほっとし、なにも気付いていないふりをしながら、弥子は図書委員の仕事を続けていた。
ある日の放課後、仕事をさぼる他のクラスの委員の代わりに図書室に足を踏み入れた時―――その光景と、遭遇した。
「『クラスでひとりってやっぱりきついですね』だってさ。ウケる」
「かわいそうな私かわいいでしょ? ってやつか。馬鹿だね、自分の本名まで書いちゃってさ」
「乙女だねー。相手は顔も名前も教えてくれないのに」
「でもさ、鶴野天音って顔は結構カワイイぜ。・・・・・・上手く使えば、いい玩具になるんじゃね?」
なんのことを言っているのか最初わからなくて―――そのあと一気に、血の気が引いた。指先から温度が消えがたがたと震え出す。恐怖ではない。怒りだった。
どうして。どうして。
どうしてみんな、あの子を傷付ける。
「もうちょっと続けてみたら?」
「えー俺、暇じゃないんだけど」
「忙しいから暇潰しにも付き合えませーんって?」
笑う声。品のない男子生徒たちの笑い声。
震える手で―――叫んだ。
「やめて!」
あの時言えなかったことが、今、言えた。
弥子の存在に気付いた男子生徒たちが、弥子を見る。全部で四人だった。喋っていたのは主に三人だったようだが。
「やめて。やめて、ください。・・・・・・傷付けないで」
「は? なにあんた」
ひとりが言った。そのひとりに、涙腺が痛む。―――『先輩』だった。
「むしろ俺は慰めてやってんじゃん。いちいち返事出してさ」
「あんた誰?」
「あー、こいつ、鶴野と同じクラスの奴じゃね?」
「ふうん。―――鶴野、書いてたよ。『クラスで孤立してる』って」
『先輩』が、鼻で笑った。
「どっちが傷付けてんだって話だよ。―――俺の方がよっぽどやさしいね」
「・・・・・・っ」
言い返したくて、
「っ・・・・・・」
言い返せなかった。
「・・・・・・やめた」
ばらり、と、手紙が―――今まで天音が返したのであろう手紙が、床に落とされる。
「飽きた。・・・・・・本人に言えば? 『先輩』の正体」
「っ・・・・・・」
「ああ、言えない? 『傷付く』から? じゃあずーっと黙っとけば?」
「俺たち、なんもしてねえし」
「『傷付いた』女の子を励ます手紙を書いてたんですけど? それ、なにか問題ですかね? 『孤立させたクラスメイトさん』?」
「・・・・・・」
「―――気持ち悪。必死になって、馬鹿みてえ。・・・・・・帰ろうぜ」
「つまんね」
「なんも言えねえなら突っかかってくんじゃねえよ、ブス」
ばらばらと手紙を踏み付けて、図書室から『先輩』たちが、消えた。
「っ・・・・・・!」
零れかけた涙をぎゅっと拭って堪えた。―――泣くな。
泣いている暇なんて、ない。
散らばった手紙を集める。奇跡的に無事だった最後の一通を拾おうとして、―――違う手が、それを拾う。
「あ・・・・・・」
ずっと黙っていた、四人目だった。残っていたのか。
「あんたにとってその程度なんだな」
「・・・・・・なにが」
「『鶴野天音』の存在。正面切って助けられない。でも影では助けてあげたい。それって善意? 悪意にも思えるけど」
「・・・・・・」
「俺だったら助けられてる気、全然しない。中途半端に同情されるくらいなら最初からなにも要らない」
「・・・・・・同情じゃ、ありません」
「鶴野天音が好き?」
「・・・・・・好きです」
「あんたの唯一?」
「唯一、です」
「そう。―――それでも、守れないんだ?」
その男子生徒は―――笑った。
それはそれはきれいな顔で。
とても美しい、顔だった。
「それなのに『好き』なんだ?」
じわりと涙が滲んで、零れた。・・・・・・泣いている暇はない。ない、のに。
「あんたの『唯一』は、『好き』は―――くだらないほど軽くて、みっともないくらい惨めだね」
蔑む声ではない。そんなものですら、ない。
軽蔑ではない。事実だから。
言い返す言葉はない。真実だから。
弱くて弱くて弱いのは―――立岡弥子の、正体だから。
「俺は『唯一』が欲しいけど、そんな風に弱い『唯一』なら、『好き』なら要らないや。欲しくない。そんな誰もが心細くなるような『好き』ならない方がましだ」
「・・・・・・それでも」
ぼろぼろと涙が零れる。正しい。このひとは本当に―――正しい。
「間違ってても、嘘でも、酷くても。・・・・・・それでも私は、」
丁寧な手紙。きっと、心から『先輩』を信用して書かれた、天音の心。
大切にしたかった。
大事にしたかった。
「離さない。・・・・・・絶対・・・・・・大事に、する」
「―――そう」
笑っていた男子生徒の表情が、す、と無表情になった。
つまらなさそうな顔になって―――弥子を、覗き込む。そして。
「いっ! あ!」
「お前、つまらないね。―――お前も要らないや」
弥子の頬にぐり、と爪を食い込ませ―――見たことのないくらい美しい顔立ちをした男子生徒は、温度のない声で言った。
「結果は見えてるよ。―――くだらないことにしか、ならない」
それでも。―――そうだと、しても。
流してしまった涙と、強制的に流された血と。唇まで届いたそれを舐め、真っ白な便箋を汚さないように、抱え込んだ。大事に大事に、抱え込んだ。
男子生徒が去ったあと、最後の手紙を本に挟み直そうとした。―――『先輩』が文通を辞めた。そう思ってくれればと、そう思ったのだ。
だが、上手く行かなかった。他でもない天音に手紙を持っている瞬間を見られ、全てが無理になったのだ。
文通は続けられない。筆跡でばれてしまう―――個人が特定出来ないような、ものだったら?
なるべく無機質な字で、新しく取ったアカウントのメールアドレスをメモに書き、本に挟んだ。―――あとは祈るだけだった。そのアドレスにメールが来るのか来ないのか。どちらを祈ったのかは、わからない。
それでも、メールは来た。
『先輩へ
ごめんなさい、手紙を読まれてしまいました。
先輩に宛てた手紙だったのに。
でも、これなら先輩だけに届きますね。
とってもうれしいです。
先輩、これからもよろしくお願いします!』
そ文がディスプレイに表示された瞬間、弥子は声を上げて泣いた。




