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もういいかい? 泣かない君 23


 蕪木に会ったのは、その次の日だった。

「おはよう、立岡さん」

「・・・・・・おはよう、ございます」

 自主休校した次の日。キャンパスの片隅で蕪木に遭遇した。この時間ここを通ると知っていたのだろうか。

 一方的に気まずい空気の中、特になにも気にした様子もなく蕪木が近付き、弥子の目の前で笑った。

「少し時間もらえる?」

「・・・・・・」

「立岡さん」

「・・・・・・はい」

 拒否権は弥子にはない。それでも即答しなかったのは、気まずさ故だった。

「ありがとう。・・・・・・じゃあ、こっち」

 言われ、その背中のあとを歩きはじめる。・・・・・・弥子でも付いて行けるゆるやかなペース。こんな状況でも、あんな酷い話のあとでも、このひとはやさしい。

「・・・・・・私、蕪木先輩みたいな・・・・・・やさしいひとになりたかった」

 ぼそりと言った言葉は、あ、と思ったが、既に蕪木に届いてしまっていた。蕪木が小さく笑ったのがわかる。

「俺がやさしい? ・・・・・・どうかな」

「・・・・・・やさしいじゃないですか。あんな酷いこと・・・・・・蕪木先輩の全てを無視するようなことを言ったのに」

「・・・・・・そうだね。でも、これはやさしさじゃないよ。少なくても俺のではない」

「・・・・・・?」

「俺がやさしく見えるのなら、その理由はね。俺じゃないひとを見てるからだ」

「・・・・・・ごめんなさい、言ってる意味が―――」

 言いかけた、その時。

 辿り着いた教室のドアを、蕪木が開けた。―――両手で、大きく。

 空き教室だ―――否、違った。

 ひとがいる。

 ぺちゃくちゃとしていた声がぴたっと止み―――それから色めきたった。

「蕪木先輩っ?」

 きゃあっとした明るい声。蕪木の背中からそれを見て、あ、と思う。―――あの先輩方だ。

「まだ来てないか」

 ぼそりと蕪木が言ったのが聞こえた。恐らく弥子にだけだろう。誰を―――そう口は紡ごうとしたが、直感は悟っていた。―――最後の、ひとりは、

「・・・・・・蕪木先輩?」

 きい、と、続いてドアを開けて入って来た人物―――魅力的な大きな眼を教室の中に向け、眉を顰め―――弥子を見て、表情を消した。―――鶴野天音。

「・・・・・・どういうことでしょうか、蕪木先輩」

「時間くれてありがとう。鶴野さん」

「・・・・・・質問に答えてください」

「うん。繋がってるし、はじめようか」

 繋がってる? 疑問符を露わにする弥子に、蕪木が微笑んだ。

「立岡さん」

「は、い」

「・・・・・・俺って、嘘に向いてないんだって」

「は・・・・・・」

「そう言ってた。俺の知る、世界一の嘘吐きが昔そう言ってくれた。・・・・・・それで楽になれた。俺、嘘吐かないでいいんだって」

「・・・・・・」

「今後一切、嘘を吐くことなく生きていける。そんな風に、してくれた・・・・・・俺がやさしく見えるのなら、それは俺を通してそのひとが見えるからだ。そのひとは本当にやさしい。本人は認めないだろうけど、本当に、本当にやさしい。・・・・・・やさし過ぎて息苦しい。生き辛い。ひとが聞いたらきっと馬鹿だと笑うような小さなことを、取るに足らないことを、そのひとは後生大事に抱えて生きてる。・・・・・・拙くて不器用で、そして俺の知る誰よりも―――美しくて、高潔だ」

「・・・・・・」

「立岡さん」

 蕪木が、微笑う。―――弥子に、微笑いかける。

「君にも嘘は、向いていない」

 ざざっ、と―――呼応するように、教室中にノイズが響いた。

 ぎょっとしたように先輩方が身を震わし天井を見やる―――その音は、天井に設置されたスピーカーから鳴っていた。

 砂嵐のようなノイズ音。その向こうから聞こえた―――ノイズ交じりの、やわらかい女性の声。

『こんにちは』

 ざざっと、吐息のようにノイズが踊る。

『はじめまして、立岡さん。―――うちの子がお世話になりました』

 うちの子。―――直感的に京子の姿が思い浮かんだ。

「な、に―――! 立岡! なんだよこれッ!」

『黙れ。煩い』

 本当に心底うるさそうに『声』が言った。その言葉には身に迫る感情がたっぷりと詰まっていて、弥子に取ってかかろうとしたリーダーがぐっと言葉を飲み込んだ。

『調べさせてもらったよ。家城祥子、高橋玲、金子栞』

「はっ―――?」

 弥子ですら知らなかった三人の名前を『声』は言い、その三人の顔色を青くさせた。

『ともりのことが好きみたいだね。それで、付き合いはじめた立岡さんに嫌がらせをはじめた』

「・・・・・・」

『庇った鶴野さんには八つ当たり。・・・・・・そんなことしたって誰も手に入らないよ』

 馬鹿みたい。嘲笑うように、『声』が笑う。

『そんな風に、ひとの気持ちを無視する癖に自分の気持ちを押し付けて。・・・・・・そんな風にしたひとの末路を、わたしは知ってる。・・・・・・ひとり、落ちて行ったよ。誰も手は差し出さなかった。ひとりぼっちで、落ちて行ったよ』

 暗く昏く、『声』が笑う。・・・・・・底知れない凄みを抱いて。三人が、かたかたと震え出した。

「なっ・・・・・・あんた、誰っ・・・・・・? 知らない人間に、そんなこと言われる、筋合い・・・・・・っ」

『黙れ、って言った。聞こえなかったか?』

「なっ―――」

『ひとを傷付けてそれでいいと思っている人間の意見なんてわたしは聞かない。そんなものは要らない。欲しくねえんだよ。次喋ったらそれなりの対処をする』

「・・・・・・っ・・・・・・」

『特に家城、てめえはうちの子に手を出した』

 じじっと微かな音がした。その音に気付いたのは、弥子と知っているであろう蕪木だけだったかもしれない。―――プロジェクターの音だった。

『うちの子を巻き込んで怪我させるところだった』

 下りたままだったスクリーンになにかが投影される―――それを見て息を吞んだ。

 監視カメラの映像の一部だろう。駅のホームでリーダー格の女が―――家城が弥子を突き飛ばし、それを京子が助ける。

『絶対に許さない』

 目の前でエンドレスでその映像を流されながら、家城の顔が恐怖に引き攣りがたがたと震える。

『絶対に、絶対に。・・・・・・この録画データを学生課に送ってみようか?』

「やめっ・・・・・・!」

 喋るな。その言葉を思い出し家城が自分の口を塞いだ。それが見えているかのように、『声』が笑う。

『それが嫌だったら、この子たちに二度と関わらないこと。もちろんうちの子も。―――あの子になにかがあれば、全力で潰す』

 覚えていろ。

 一瞬たりとも忘れるな。

 『声』が言う。

 彼女らは、『声』の逆鱗に触れたのだ―――。

 ざあああっとノイズが鳴り、波のようにうねって一瞬だけ静かになる。―――たった、一瞬。それだけでもう、駄目だった。

 甲高い悲鳴が上がった。家城の涙交じりの恐怖の悲鳴。続いてあとの二人も泣いて叫び出し、お互いを押し退けるようにして立ち上がり走り去った。ピンヒールが床を突き刺す甲高い音が遠去かり、消えた。

 残される沈黙。―――響くのは、ノイズの音だけ。

『さて。邪魔者は去ったし、次の話に入ろうか』

 やわらかく戻った『声』が言った。

『見苦しいものを見せてごめんね。映像まではこっちに来てないけど・・・・・・まあ、見るに耐えないものだっただろうね』

 ごめんなさい。・・・・・・そう言う『声』は、思っていたより幼く聞こえた。

『立岡さん、鶴野さんだね。・・・・・・悪いけど、調べさせてもらいました』

 どくん、と心臓が鳴る。とっさに天音を見ると、天音は事態に付いていけてないように無言のまま訝しげな顔をしていた。

「・・・・・・あのひとたち、面倒だったので・・・・・・片付けてくれたのは、有り難いです。でも・・・・・・私も?」

『はい。鶴野さん。・・・・・・あなたの『先輩』の話です』

「やめ―――」

 やめて。首を横に振る。

 やめて。

『二人は中高が一緒なんだね』

「・・・・・・ええ」

 声が出ない。―――怖くて。

『鶴野さん。あなたは『先輩』と手紙を交わしていた』

「・・・・・・ええ」

 ちらり、と、天音がこちらを見た。―――蒼白になっているであろう、弥子を。

『立岡さんはその手紙を持っていた』

「・・・・・・ええ。・・・・・・読まれ、ました」

『読まれた? 本当に?』

「・・・・・・え?」

『鶴野さんが見たのはどんな瞬間だった? 封筒から手紙を出して読んでいたの?』

「それは―――」

 困ったように天音が口篭もった。もう一度、ちらりと弥子を見る。

「・・・・・・違い、ます」

『じゃあ、どんな状況だった?』

「・・・・・・立岡さんが、私の出した先輩宛の手紙の封筒を持ってました」

『・・・・・・立岡さん』

『声』がやさしく微笑むように言った。

『立岡さんは、その手紙を読んだ?』

「・・・・・・」

 ひくっと、喉が鳴った。―――このひとは。

 この『声』は。

 ―――どこまで、知っている?

『ねえ、鶴野さん』

「はい」

『『先輩』とは高校も一緒だったんだよね?』

「・・・・・・はい。名前は教えてくれなかったけど、高校名だけは教えてくれたので」

『鶴野さんと立岡さんがいた中学から、ひとつ上の学年で、その高校に進学したひとはいなかった』

「え・・・・・・?」

『その次の年、二人の代の時も。進学したのは鶴野さんと立岡さんの二人だけ』

 『声』が、言う。

『『先輩』は鶴野さんと同じ高校のひとじゃなかった』

「・・・・・・」

 天音の身体がぐらり、と揺らいだ。それでもなんとか立ち止まり、ひとりでぐいと立つ。―――誰にも頼らず。

 天音はそういう子だった。ずっと、ずっと。

『―――立岡さん。いいの?』

 『声』が、言う。

『わたしが言ってもいい。でも、いいの? ―――それで、いいの?』

 やさしく、やさしく。

『あなたが形振り構わず、全力で守ってきた大切なものを―――いいの?』

 天音が―――まさか、という顔で弥子を見る。

「・・・・・・立岡さん、あなた・・・・・・」

 震える声が、弥子に向かう。

「・・・・・・中学時代、図書委員、だっ・・・・・・た・・・・・・」

『―――頻繁に図書室に通って、そして鉢合わせないように鶴野さんの行動を見てそれより先回りして手紙を入れることが出来たのは―――鶴野さんと同じクラスの、図書委員だけ』

「・・・・・・やめて・・・・・・」

「立岡、さん―――」

 天音の震えが、弥子に伝わる。

『立岡さん』

 ―――、

「やめて! 言わないで!」

 天井に向かって叫んだ弥子を、天音が―――直視出来なかった大きな眼が、弥子を見る。

 その震える唇が―――言った。

「せ・・・・・・ん、ぱ・・・・・・?」

 ノイズがうなる。―――肯定するように。

 その波に吞まれるように眼を閉じ、―――覚悟を決めた。

「―――三通」

 その数字に、天音が息を吞んだ。

「全部、私が持ってる」

 あなたが『先輩』に送った、丁寧な手紙。

 全部全部記憶している。―――ずっとずっと、抱えている。

あなたへ送った、私の気持ちと一緒に。




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