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もういいかい? 泣かない君 20


「そこにね、サンドウィッチ屋がオープンしてたんですよ。なんとなく並んだはいいもののどれもおいしそうでつい買い過ぎちゃって。どうしようかなーって思ってたんで丁度いいです」

「……あの、すみません、お金払います」

「いやいや、大丈夫ですよ」

「そういうわけには……」

「うーん。あ、じゃあ水買ってください。そこの自販機で」

「……はい」

 それ以上譲歩してくれそうにはなかったので鈍くうなずく。すぐそこにあった自販機に行き水を二本買ってベンチに戻った。

「……どうぞ」

「ありがごうございます。いただきます」

「……こちらこそ、いただきます」

「弥子さん、どれがいいです? 海老アボガド、BLT、あとこっちは惣菜パンなんですけどきんぴらが入ってるんですよ」

「き、きんぴら?」

「おもしろいですよね。こっちは二個あるんで一個ずつ食べましょう。あとイチゴサンドとモモサンドがあります。あとタマゴと照り焼きチキン」

「ほ、本当にたくさんありますね」

「どれも目に付いちゃってね」

 はは、と困ったように笑う顔を見て弥子もほんの少しだけ笑った。まずタマゴのサンドをもらうことにする。

「……あ、おいしい」

「こっちもおいしいですよ。BLT」

「ボリュームも結構ありますね」

「うん。一個で結構お腹に溜まりそうですね。……弥子さん、今日は大学お休みですか?」

「……自主的に」

「ああ、自主休校。ありますあります」

「……美容師さんは、今日お休みですか?」

「ええ、自主的に」

「えっ」

「嘘です。普通に休みです」

「そ、そうですか……」

「意外ですね。弥子さんが自主的に休むっていうのは」

 ちくり、と胸に痛みが走った。

「……ああ……そういうの、しなさそうですか……」

「まあ、結果的に言えば」

「……結果的?」

 思っていた答えと違った。

「弥子さん、自主的に休みたいとかさぼりたいとか、そう思っても結局ぐっと堪えて我慢して押し殺して、結果的には何事もないように行く、って感じだと思いました」

「……」

「だから結果的、です」

「……」

「自分に厳しい方かな、と」

「……その言葉は、聞こえがいいですね」

 ぼそりと呟く。―――でも、違う。

 楽なのだ。さぼらない方が、楽。今ならばそれは成績に繋がるし、さらに単位に繋がる。あとで焦らなくて済む。あとが楽。

 楽な方に流されているだけだ。

「……私、地味で覇気がなくて内向的なので。流されてないと、逆に駄目なんですよ」

「地味は選択ですよ。覇気がない分言ってることは大人しくないと思います。前にも言いましたが、内向的なひとは『少しでもましにしてください』なんて言えません」

 全部が全部訂正され、どんな顔をしていいのかわからずなんとも言えない無表情で美容師を見る。早々にひとつ平らげたそのひとは照り焼きチキンに手をかけた。

「タマゴ、おいしいですか?」

「え? ……あ、はい」

「もっと食べた方がいいですね、弥子さんは」

「……」

「ああ、すみません。七南さんのことをいつもお名前で呼んでいるのでつい」

 馴れ馴れしかったかなという風に言われたので首を横に振った。名前以上にもっと違う部分で決定的におかしな部分があるような気もした。だがそれは言えず、無言でタマゴサンドを食べ切る。

「はい、どうぞ。きんぴらパン」

「……ありがとうございます」

「俺も食べます」

「もう海老アボガド食べたんですか?」

「食べるの早いんです」

「ああ……美容師のお仕事ってお忙しそうですもんね」

「いえ、そういうわけじゃ……ああ、ばたばたしてるのはしてるんですが。でもそれで早食いになったわけじゃないですよ。元からなんです。買える時に食べ物を買い込んでしまう癖と一緒ですね。昔からのことなんでなかなか治らないんです」

「……?」

 首を、傾げた。

「じゃあ、いただきましょう」

「あ、はい」

 きんぴらパンはしっかりとした生地だった。ぱくり、と頬張ると、もっちりとした生地からぎっしり詰まったきんぴらが出て来る。本当にきんぴらだった。いや、疑っていたわけではないのだが。

「……おいしい」

「おいしいですね。これは意外だった」

 お世辞ではなくおいしかった。もぐもぐと飲み込んで、もう一口。

「……おいしい」

「お気に召したならなによりです。俺もこれ気に入りました。生地もしっかりしてるから食べ応えありますね」

「はい」

 全部食べ終えて、水を飲む。すうっと身体の中を流れてゆき、その心地よさに息を吐いた。お腹も心地よく満ちている。

「デザートサンド食べれますか」

「あ、はい」

「どちらにします?」

「……美容師さんは?」

「弥子さんに訊いてるんです」

「……モモ」

「はい、モモ」

 それでいいのだろうか。これでいいのだろうか。わからないまま、手渡されたモモサンドを受け取る。

「自主的な理由ですが」

「はい」

「訊いても?」

「……美容師さん、お付き合いしているひとはいますか」

「いません」

「……すみません、答えてもらってからなんですが、今の問題ですよね……すみません」

「ああ、店の方針とかじゃなく、本当にいないんです。お気になさらず。店的にもその質問NGじゃないのでそういう意味でもお気になさらず」

 よかった。

「いないんですね。意外です」

「美容師は遊んでそうってイメージあるみたいですからね」

「……はは」

「まあ俺女性があまり得意じゃないんで、そういうの難しいんですよ」

「え」

 女性が得意じゃない。女性客が多いであろう職業だが。

「ひとの髪を整えるのは、好きなんです。『少しでもましに』するのが特に」

 流石に苦笑いする。

「―――ふられたんです」

「大学のひとにですか」

「はい。とてもやさしいひとにです」

「同い年ですか」

「先輩です。ひとつ上の。それで……どうしようかなあと」

「そのひとのどこが好きなんですか」

「……都合のいいところです。……本当に、都合がよかった。……私はそれを、利用しようとした」

 都合がいい。蕪木は、本当に、都合がいい。

『先輩』にぴったりだ。あまり見ないレベルの顔立ちも、その在り方も、やさしさも。全てが『先輩』像にぴったりと当て嵌まった。

 ―――あのひとなら。

 あのひとなら、天音を。―――助けてくれるんじゃないかと、思った。

 不器用で人付き合いが苦手な、とってもやさしい子。

 蕪木と話すことでわかった。蕪木も似ている。器用に見えて不器用で、人付き合いがあまり得意ではない、けれどもとてもやさしいひと。

 無理なことを言っているのは弥子の方だ。断るのが当然だ。嘘を吐いてくれと言っているのだから。―――でも。

 でもこれ以外に、方法が。

「弥子さん」

「はい」

「どうぞ」

 ハンカチを渡された。なんでだろうと思いながらそれを受け取ると、その手にぽたりと雫が落ちた。

「あ……」

 気弱な声が漏れる―――気付いた。ぼろぼろと、涙が頬を伝う。

「う……あ……」

 大人しくて、真面目で、地味で。

 明るくて活発なひとに憧れた。そんなひとになってみたかった。昔から。なれなかった。昔から。どうしても、なれなかった。

 休み時間は本を読んで自分の世界に入り。図書室に通い、言葉の海を泳ぐ。―――それに後悔はしていない。大切な時間だった。

 でも。でも。―――その大切な時間全てをあげてもいいから、弥子は―――弥子はやさしい人間になりたかった。

 活発じゃなくてもいいから。

 明るくなくてもいいから。

 やさしいひとに。

 やさしい人間に。

「……ひと、傷、付けてっ……わ、わたしの、せい、でっ……つぐない、たくて、でも、出来ない……! なんにも、私じゃ……!」

 力が足りないのではない。ゼロだ。

 最初から、ないのだ。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

『先輩』が必要なのに。どうしても、必要なのに。

 弥子には出来ない。弥子にはなれない。

 ―――あの子を助けることが、出来ない。

「弥子さん」

 美容師が、微笑った。―――やさしく。とても、やさしく。

「ひとを、傷付けたらね―――償うことなんて、無理だよ」

「は……」

「絶対に無理だよ。傷を付けた本人であったって無理だ。―――眼に見えなくても、痕は残る。捉えられないだけで、血は流れてる。……無理だよ。一度傷付けたなら。償う方法なんてない。―――だからね、泣いても、どうしようもない。自分が満足するだけ」

「なん、で……」

 涙は止まらない。ぼろぼろと流れ続ける。

 滲む視界で、美容師が微笑う。

「なんで、そう……」

「なんで? ―――なんで」

 とん、とん、―――長い指先が、動く。

「俺も昔、どうしようもなくひとを傷付けたことがあるから。どうしようもなく惨く、どうしようもなく残酷に。―――都合がよかったから、利用した。……でもね。償う方法なんて、なにひとつなかった。だからだよ」




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