もういいかい? 泣かない君 18
帰巣本能というのは、例えどんな時でも働くものらしい。……まだ七南が帰宅していなかった家、ベッドの上でうつぶせになりながら、それを思う。
―――最後の最後の賭けで、弥子は敗けた。……なにに、敗けたんだろう。最初から、戦ってもいない癖に。
「……あれ、お姉ちゃん、いたの?」
ばたん、という音と共に帰って来た七南が、訝しげな声を上げた。
「電気も付けないで。……もう十一時だよ? 夕飯とか……お風呂は?」
「……自分でやれば?」
「え?」
「自分でやれば? 夕飯なんて知らないよ。連絡くれないんだし、作ったって無駄になるし作らなかったら足りないし。お風呂だっていっつも私が洗ってるじゃん。一番風呂は七南じゃん」
「……だって、お姉ちゃんが先に入れって……」
「当たり前じゃん七南お風呂長いんだから。入る時間が遅くなれば近所迷惑じゃんここ壁薄いんだから。なんでそんなことも考えられないの? 言わなきゃわかんないの?」
「……」
「気分悪い。……顔見たくない。部屋行ってて」
吐き捨てる。……七南はしばらくそこにいた。じっと、黙って。
けれども弥子がいつまで経ってもなにも言わないでいると、そっと、その場をあとにした。
ばたん。……ただドアが閉まった音だ。そう、自分に言い聞かす。
ドアが閉まった。それだけだ。それだけ、だ。
夢を見た。
たくさんの手紙が降って来る夢。
白い便箋。黒いインク。丁寧に綴られたやわらかい文字。
『先輩』
『今日は天気がいいですね』
『もうすぐ文化祭ですね』
『テストはどうでしたか? 私は―――』
『校庭に迷い込んだ猫、見ましたか?』
『先輩』
『先輩』
「やめなよ」
はっきりとした声。自分を取り囲んでいた女子生徒たちが、天音を見る。
「なに? 鶴野サン」
「やめなよ。立岡さん、困ってる。返してあげて」
「なにいいこぶってんの? カワイイ子は性格もいいって?」
「関係ないよ。それ、返してあげて。もうすぐ先生だって来るよ」
「……チョーシ乗んなよ、ブス」
ばさっと投げ返される―――本。あわててそれを拾い、痛んでいないか確認する。
「大丈夫?」
「っ、ぁっ、ありがとうっ……」
「いいえ」
にこりと微笑む、きれいでかわいい天音。……弥子を助けたことで目を付けられはじまった、虐め。
ひそひそ、くすくす。―――天音を嗤う冷たい声。
呆然として―――なにも出来ない自分。なにか出来たら。弱虫で怖がりな自分に、なにか出来たら。
―――気持ち悪。必死になって、馬鹿みてえ。