もういいかい? 泣かない君 16
中学二年の時、自分のクラスに一際きれいな女の子がいた。
長い黒髪はつやつやのさらさらで、眼はぱっちりと大きく魅力的で、鼻筋もすうっと通っていてとってもかわいくてきれいで……それが、よくないように作用した。
女子からの嫉妬。妬み。
隣の席の男子に教科書を見せてもらっただけで、媚を売っていると叩かれる。ひとつ上の学年で学年一格好いいと言われているダイチ先輩が彼女のことを狙っているとか、いないとか。そんな曖昧な噂ですら、彼女を叩く理由になる。
体育の時間、誰もその子とペアを作ってくれない。
ぶっりっこ女、媚び売り女、顔だけで生きてる。……心ない言葉に傷付けられ、最初は負けずに微笑んでいたその子から笑顔が消えていく。
休み時間、うつむいて―――自分の席に座ったままの、その子。
「天音ちゃん」
そう、あの時呼びかけられたら―――そうしたらなにか、違っていただろうか。
トイレから出た瞬間、出たことを後悔した。
「……蕪木先輩」
「どうも、立岡さん」
蕪木が立っていた。たった、ひとりで。
もしかして、と、頭の中でなにかが繋がる。
「……学生課に通報したの、蕪木先輩ですか?」
「うん。そう」
あっさりと。当たり前のように、蕪木は首肯した。
「立岡さん、午後授業ある?」
「……あります」
「そっか。なら―――」
「でもさぼります。……蕪木先輩、今から空いてますか?」
「空いてるよ」
「お時間、ください」
場所はどこでもいい。そう言うと、蕪木は少し離れたところにある公園へ連れて行ってくれた。午後の時間、子供が多い。だがとても広い公園だったので、それほど大勢という風には感じなかった。
「はい」
「……ありがとうございます」
ベンチに腰かけると渡されたあたたかい紅茶。固い缶が、指先をあたためる。
「……今日はほうじ茶ラテじゃないですね」
「そうだね」
くすり、と笑う。おもしろくもなかったが、何故か。
ベンチには座らず、向き合うようにして立つ蕪木から微妙に視線を逸らしたまま―――言う。
「……天音ちゃんとは中高一緒だったんです」
「……立岡さんの前にトイレから出て来た子?」
「はい。……顔、見ましたか?」
「うん、見た」
「きれいでしょう?」
「ごめん、俺そういうのはよくわからない」
「先輩の顔普通じゃないんですもんね。自分がそういう顔だと自然とわからなくなるのかな……」
「でも、立岡さんは綺麗だと思うよ」
蕪木が言って、続ける。
「すごく似合ってる」
「……ありがとうございます。七南のおかげなんです」
「そっか。いい妹さんを持ったね」
「はい」
いい妹だ。
弥子が欲しいものを、欲しかったものを―――全部、持っている。
誰にも怯まないあの明るさ。力強さ。敵を作るタイプかもしれないが、それ以上の力を持って自分の生を謳歌する自由さ。……全て、弥子にはないもの。
髪型を変えた。服装を変えた。……それが、なにになるというのか。
「天音ちゃんは……かわいくて、美人できれいで……こんな、なにか変えなくても十分、魅力的で……」
そして妬まれ。
ひとりぼっちに、された。
「……」
学校だけが全ての世界だった、あの頃。
それはとても惨くて、残酷だった。
「……天音ちゃんはいつも……お昼休み、図書室に行きました。……私のいた学校、図書委員制度だったんですけど……ほとんど、仕事をしているひとはいなかった。司書の先生がいるだけで……どれだけ周囲の教室がうるさくても、そこだけはしいんと、別の世界みたいでした」
午後の光が差し込む、紙の匂いの充満した部屋。
そっと耳をすませば埃のきらめきすら聞こえてきそうな、あの空間。
自分の呼吸の音がまどろっこしい。なくなればきっと、この空気は完璧なものになるのにと―――
「……そこでしか天音ちゃんは、心安らぐことが出来なかった」
それでも逃げず、毎日毎日登校し、卒業した。
―――ああ。
あなたの持つ強さが、ほんの少しでも、私にあったら。
「蕪木先輩」
「なに」
「好きです」
弥子は。
立岡弥子は、そう告げて―――微笑んだ。
「私のこと、好きにしてください」