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もういいかい? 泣かない君 15


 次の日、その服を着て大学へ行った。家を出る前鏡でチェックしていたのだが、最終的には七南がどこか仏頂面で「……どこもおかしくないよ。だから平気だよ」と言ってくれたのが弥子の中でハードルクリアの証になった。七南が言うのなら間違いないだろう。

「あーお姉ちゃん。ちょっと待って。まだ時間余裕あるでしょ」

「うん」

「ちょっとこっち来て、座って」

 手招きされたので七南の前に行き、スカートが皺にならないようにして座る。どうしたの、と言おうとした時、なにか小さなパレットみたいなものを持った七南がこちらにゆるく手をのばした。

「わ」

「動かないで。……ファンデくらいはしてるでしょ。だからまあ、それはいいとして……アイシャドウ。ブラウン系だから、そこまで派手にならないよ」

「……」

 お礼を言いたかったが動かないでと言われているので下手に返せなかった。目を閉じたまま沈黙を貫く。

「マスカラ塗るから、目開けて。軽く下見て。……違う、頭ごと下向かないで。目線だけ。そう。……はい、ちょっと瞬きしないで。……ん、いいよ。あと、はい。リップ。これは自分で塗れるでしょ」

「うん」

 ようやく喋れるようになったのでうなずいて答える。あまり使った痕跡のない淡いピンク色の口紅。

「それあげる。あたしにはあんまり合わなかった」

「え……いいの」

「いーの。買い物下手なだけ」

 一瞬きょとんとして―――それから笑った。ありがとう。今度はちゃんと言葉にして言えた。




 大学に到着し、いつも通り授業を受け―――周りはちょっと、いつも通りではなかった。

「あれ、立岡さんっ?」からはじまり、「立岡さん、だよね?」と続く。毎回。

 はいそうです立岡ですよ。内心そう思いながら曖昧に笑ってうなずき、イメチェンだイメチェンだとはしゃがれつつなんとか午前を切り抜け、授業終わりにトイレに立ち寄った。ドアを開け、中に入って―――

「あんたさ、こないだなんで邪魔したの?」

「しらーっとした顔して。なんも空気読めないんだねあんた」

「あんたたち中学も高校も同じだったんだって? 庇ってんの?」

 刺々しい言葉―――例の先輩たち。

 その彼女らに囲まれている―――天音。

 目を逸らさない。大きな目はじっと彼女らを見つめて―――なにも言わない。

 入り口に背中を向けている彼女らは気付かなかったが、向かい合う形の天音は気付いた。―――弥子が入って来たことに。

 眼が、合う。―――一瞬、だけ。

 ふ、と―――逸らされる。―――音もなく。

「……―――っ……」

 息を、吸った。

「あの! やめて!」

 大きな声。―――幸いなことに、みっともなく裏返ったりはしなかった。

 ぐるっと一斉に振り向かれる。きんきんに尖った視線全てを弥子に集め、ぎゅっと一度拳を握りしめて固めた。

「やめて。―――私に言いたいことがあるんでしょう。そうやってこそこそ周り付くんじゃなくて、直接私に言ってください」

 一瞬の―――沈黙。

「はっ……」

 嘲笑うように、息を吐かれた。

「なにあんた。イメチェン? 少しでも先輩に釣り合うようにって? 調子乗んなよッ!」

 がんっと蹴り付けられ弥子に向かって転がるゴミ箱。がんがんと甲高い音を立てて床を転がり、弥子の脚にぶつかって止まった。

「さっさと引っ込めよ、ブスッ! あんたみたいなのが先輩の側にいていーわけないでしょッ!」

「―――あなたたち、なにやってるの!」

 ばっと飛び込んで来たのは―――年配の女性だった。僅かに青褪めた顔でぐるりとトイレを見渡し、抑え切れない声で言う。

「学生課です。通報があって来ました。女子トイレでリンチ騒ぎになってるって」

「は? リンチ? あたしたち友達と喋ってただけですけどお?」

「―――いいえ」

 弥子が否定する前に凛とした声が割り込んだ。ずっと黙っていた天音だ。

「来てくださってありがとうございます。私、このひとたちに詰め寄られていました。このひとが―――」

 このひと、のところで天音は弥子を見ることなく軽く指した。

「止めに入ったところです。このひとに向かってこのゴミ箱が蹴られて、このひとに当たっていました」

「なんでこんなことを……!」

 女性がうめく。はっきりと、リーダー格の女が舌打ちした。ずんずんというのも愚かしいくらいの速さで弥子に、いや、ドアに詰め寄るとものすごい力で弥子を押し退けて出て行ってしまう。あとの二人もあわてたようにそれに続いた。

「っ、待ちなさい! ―――待ちなさい! あなたたち、あとで学生課に!」

 こういう咄嗟のことに慣れていないのだろう、必死に逃げた先輩たちを追いかけはじめた女性を見るともなしに見送って―――がらんとした沈黙だけが、置き去りになる。

「……こそこそ?」

「……え……」

「なにがこそここよ。あんただってひとの大切なものこそこそ盗み見てた癖に」

「あ……」

「どうせ笑ってたんでしょ?」

 強い眼が―――憎しみを持って、弥子を見る。

「どうせ馬鹿にして―――笑ってたんでしょ!」

 鋭い叫び声が身体を貫いて、

 どんっ、と突き飛ばされた。

 そのままトイレを飛び出していく―――天音。

 そのまま、動けずに。……なにも、感じられずに。

 のろのろと顔を上げて―――鏡の中の自分と、眼が合う。

「……はは」

 酷い顔をしていた。

 髪を変え、服装まで変えた自分は―――酷く情けない、酷く惨めな顔を、していた。



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