魔法使いじゃない3
「ジルディオ様、馬は乗れますか?」
支配者階級のたしなみとして、ジルも一応馬には乗れる。大公に誘われてたまの早駆け付き合うこともあった。ただジルには乗馬に付き合って汗をかくのは正直苦行にしか思えない。そんな時間があれば書物の一冊でも読んでいたかったが、大公の誘うとは、細いジルの腕をつかんで無理やり厩舎まで連れてくることだった。もちろん非力のジルに断る術などない。
「馬くらい乗れるし、今回の目的地もどのように行くかもちゃんと考えてある」
今回護衛につくことになった騎士見習いの少女は、ジルのことをどうもとんでもないダメ男のように見てる節がある。確かに本来であれば、大公の唯一の血縁者として、騎士は無理でも行政官としての学問を修めていくべきなのだろう。ジルが魔法学にのめり込めば、のめり込むほど周囲が自分に失望していくのを感じていた。だが他の何にも過去の魔法使い達の偉業や美しく練り上げられた魔法の術ほどに魅力を感じないのだ。
不思議なことに一番口をはさんできそうな大公だけは、ジルの好きにまかせていた。姉の子であり、結婚をしていない大公にとっては唯一の血縁であるため、何度か養子となり跡取りとして帝王学を修めるようにという話が盛り上がっことがあった。しかし、大公は首を縦には振らず、ジルの館での地位も大公の甥というだけの微妙なものだ。
「魔法使いはライラ島に住んでいる。ここからそのまま船で行くのは難しい。陸路で対岸のダルアランまで行って、そこから島に渡る船を捜すつもりだ」
ダルアランまでなら大きな街道を真っ直ぐ行くだけでよい。少女は少し意外そうな顔をしている。ジルのことをよっぽど使えない男だと思っていたのだろう。確かに使えない男かもしれないが、好きなことには目一杯全力をかけることができる。
財務長官が首を縦に振らなかったから行けなかっただけで、ライラ島に渡る計画は昔から綿密に練ってきたのだ。
「出発は明日にする。ダルアランなら馬で五日くらいだろう。君も宿舎へ帰って用意をしておいで、朝一で出発する」
周りを取り巻くお偉方が気を変えないうちに出発したほうがいい。
朝日が眩しい。
いよいよ出発の朝、護衛のリーンと落ち合う場所は厩舎と決めていた。ジルはいつもの格好だが、面倒くさいが自分付きの侍女に髪を整えさせていた。ちぐはぐな普段と違い、ちゃんと良家の子弟に見える。リーンは騎士見習いの正式な格好ではなく、普通の庶民の娘の格好だ。
リーンは顔合わせのときよりも不機嫌だった。琥珀色の彼女の瞳に怒気がこもっているのに、人間関係には興味の薄いジルも気が付いた。女だてらに騎士になりたい彼女にジルが普通の女の子の格好をするように命じたからだろう。騎士の護衛に見えるよりも、良家の若旦那とお付の侍女を装ったほうがありふれていて道中目立たないだろうという思惑からだ。
ジルはこの考えをリーンには伝えていない。伝えたからといって彼女を納得させる自信がなかったからだ。騎士見習いのときは高く結い上げていた赤毛に近い茶色の髪を、一本のおさげにまとめ、足のラインが全く見えない丈の長いスカート姿はなかなかにかわいらしい。腰に提げた剣だけはどうも不似合いだが、護衛なのだからこれは仕方がないだろう。
お互い何も口を開くことはなく、黙々と旅装を整え、馬に荷物を乗せていく。荷物の中身は着替えに携帯できる簡易食、硬いビスケットや干し肉に道中の飲み水だ。整備された街道には馬で行くなら野営を取らなくてよい程度に宿場が置かれている。
「間に合ったな」
声のする方向を向くと大公が立っていた。朝日を背に受け両手を広げた格好はいつになく神々しく太陽の異名にふさわしい。
「叔父上、おはようございます。こんな朝早くにどうされたんですか?」
「どうって、お前を見送りにきたんじゃないか。かわいい甥をはじめて旅に出すんだぞ」
成人一歩手前の男をかわいいはないと思うが、この叔父の過保護なところは昔から変わらない。これまで何度訴えてもラーナを訪ねることを許してくれなかったのは大公だ。財務長官はそれに便乗していたに過ぎない。
「リーンだったな、ジルをよろしく頼むぞ。いつもの格好も凛々しくていいが、その姿もなかなかいいな。ジルもよくわかっているじゃないか」
リーンが言葉につまっている。ジル相手になら素直に抗議ができるが、相手が大公になるとそうはいかないらしい。しかし、今の彼女の格好をほめているとはいえ、この言い方では、まるでジルが下心があって普通の女の子の格好をさせているようではないか……。
大公の好みの女性は昔から妖艶から清純まで幅広かったが基本大人の女性だった。だから十代の小娘に過ぎないリーンをそういう対象では見ていないんだろうが、下は幼女、上は老いいくかつての熟女にまで甘くささやきかける。醜女にだってその態度を崩さない。
「二人とも道中気をつけろ。いつまでに連れて来いとは言わない。無茶だけはするな」
「それは、向こうが承諾するまで帰ってくるなということですか?」
「そういうことだ」
大公は悪戯っ子のような笑みを浮かべると、これから旅立つ若者を祝福するかのように抱擁する。そしてジルの耳元で小さくささやいた。
「ジル、いいことを教えてやろう。ラーナは本物の魔法使いだよ」
ジルが驚き聞き返す暇もなく、大公はその身を離し、ジルの細い肩を勢いよく叩く。
「さぁ、行ってこい!」
ひと際眩しい朝日に隠れ太陽公の表情を確かめることができなかった。




