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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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誰も知らない

作者: 夏野 千尋
掲載日:2015/07/22

 キリコは血まみれた両手を見下ろした。

 至る所に血飛沫が飛んだ、狭い部屋。


「ぁぁぁ…」


 獣のように呻くのは、彼女の叔母。

 キリコはそんな彼女の傷まみれの肢体を足で蹴りつけた。


 彼女は、ズタズタに切り刻まれたぼろを纏っていた。


「アンタ、何か言うこと、ないの?」


 そう告げたキリコの瞳は酷く冷徹で、残酷で、叔母はビクリと震えた。


「アタシの親を殺しといてさあ、何も無いワケ?」


 吊り上がった眉は、闇のような黒。


「ご、ごめんよぅ、キリコ」


 叔母は弱々しくキリコに謝罪する。

 喘息が混じって聞き取り辛い声だが、耳聡いキリコは聞き取り、激情任せに叫んだ。


「誰に謝ってんだよッ!アタシに謝る前にあるだろうがよ!!」


 漆黒の髪が翻る。


 彼女は身に着けたブーツのヒールで傷口を抉るようにふみつける。


「あたしは、殺してないよ…」


 呟いたその声。

 キリコは叫んだ。




−−−−−−−−−




 少女は8歳だった。


 彼女の世界は、優しい母と気の良い使用人達、写真でしか知らない父の面影に時折尋ねてくる母の妹だけだった。


 この世界に、悪があることも知らなかった。


 母は新聞を取っていなかったから、世間の醜聞など知らなかったし、使用人達も彼女の耳に入れなかった。


 彼女の世界は、彼女の住む、白い家だけだったのだ。


 母は黒い髪と青い瞳をした美しい人だった。声が綺麗で、少女は母の歌をねだってよく聞かせて貰ったものである。


 母はとても優しくて美しい人で、少女は母に憬れた。


 だから歌も教わったし、美しい振る舞いを身に着けた。


「みんなだーいすき!」


 少女の狭い世界には、そんな綺麗ごとが真実存在していたのだ。


 しかし―――ある日ふらりと母が失踪した。


 母がいなくなって、少女は一人になった。


 給金が払えなくなって、使用人もすぐにいなくなってしまった。


 幼い彼女は一人で何もかもができるような人間ではなかった。だから、誰かを頼るしかなくなっていた。


「叔母さんが、−−−ちゃんを姉さんの代わりに養うからねぇ」


 母の失踪からしばらくが経ち、少女は白い家を離れなくてはいけなくなった。美しい庭や光溢れるテラスはキリコの自慢で、離れたくなかった。


 それでも離れなくてはならないと分かっていた。


「母さんは帰って来るよ」


 幾度も呟いたその言葉。


 最初は皆が賛同してくれたが、もう誰も同意はしてくれない。


 皆気まずそうに遠回しに否定するばかり。それと同じで、少女は声高に「帰って来る」と叫ぶ事はできなかった。


 叔母に手を引かれてあの愛しい小さな家から出たあの日を忘れない。


 よく晴れた日。大きな入道雲が出ていた。

 燦々と降り注ぐ太陽は、白い家を照らして。いつもよりずっと、離れがたかった。


 冷たい手に引かれて、何度も何度も振り返った。大きくなったら、またあの家に住みたいと密かに決意した。



 白いワンピースの裾が翻る

 つばの広い帽子が飛びそうになって、慌てて片手でそれを抑えた。

 白い輝く幸せを振り返り、叔母の横顔を見上げた。

 レースの日傘の影で見えない双牟。

 口元には小さな笑み。


 幸せだった記憶。




−−−−−−−−―




「ふざけるなあああ―――――!」


 それは絶叫。

 それは、獣の咆哮。


 キリコは常軌を逸した勢いで叔母のことを蹴りつける。


 蹴られている叔母は白髪交じりの金髪を振り乱して呻くが、その声はもう小さい。


 加害者が被害者のような叫びを上げていた。


「殺してない?ざけんなよ!舐めてるんじゃあねえよお!!!」


 床をヒールで蹴りつける。


 叔母はビクリと体を震わすが、体は満足に動かない。


「確かに手を下したのはあの男だったさ!だがなあ!てめえが殺したんじゃなきゃ誰なんだッ!!」


 違う、と掠れた声で尚も否定する叔母。キリコは真っ青な瞳に瞋恚を宿して、叫ぶ。


「謝れよ!謝れよ!母さんが何をしたって言うんだよ!母さんがどうしてあんな目に逢わなきゃならなかったんだよ!!」


 叔母の髪を掴んで持ち上げ、顔を近付けて叫んでいた。


 悲痛な叫び。

 瞋恚と悲しみを宿したその瞳は渇ききっているというのに、どこか泣きそうに見えた。


 瞳を揺らした叔母は小さくごめんなさいと言う。


「ごめんなさいだと?そんなんで赦されると思ってんじゃねえよな」


 髪を乱暴に離したキリコは、真っ黒な皮手袋に包んだ手を握り締めた。


 バキッと嫌な音が響く。


 音の良く反響する部屋なのか、その音は生々しく響いた。


 狂乱した叔母は、赦してくれと泣き叫ぶ。


「ふうん、赦して欲しいんだ?」


 地獄の業火のような笑みを浮かべたキリコはなめかましく告げた。


 黒のカーディガンの長い裾が翻った。


 叔母に背を向けてたったキリコは、ゆったりと首だけ向けてまた言った。


「赦されるワケ、ないじゃんか」


 体の向きを変えたキリコの手には、いつの間にか小さなナイフが。


 実はこの部屋、叔母とキリコの他にも人はいる。


 正確にはいたと言うべきか。


 彼女に全て、殺されてしまったのだから。


「アンタ、何か言うこと、ないの?」


 再び問うキリコ。


 叔母は必死に、キリコに謝罪し、赦しを請う。


「ああそう。アンタは楽になりたいんだ。だからアタシに謝る。死んじまった人に謝る気なんて更々ないんだ」


 キリコは小さなナイフで、彼女の掌を突き刺した。


 そして抉るように力を込める。


 叔母は絶叫した。




−−−−−−−−−




 叔母は少女に良くしてくれた。


 叔母の家は広くて、たくさんの使用人がいたが、どこか陰のある屋敷だった。


 彼女には二人の侍女がついた。


 手厚く保護され、淑女教育を施された少女は、叔母に酷く感謝し、母のように慕うようになった。


 叔母もまた美しかったが、母のような儚げな美女ではなく、髪も黒くなかった。


 それに活発で、全然似たところはなかった。


 少女はやはり、あの白い家に帰りたかった。


 少女は稀に、本当に微かな、微かな声を聞いた。


 それは空耳かも知れないけれど、聞いた事のある声だった。


「母さんの声だ…」


 そう言ってふらふらと歩き出す夜が幾度もあった。


 けれどすぐに侍女に止められてしまって。


 大きくなった少女は、久方振りに声を聞いた。


「母さんよ。間違いないわ」


 呟いて、人目を忍んで夜の屋敷を裸足で駆けた。


 侍女に見つからなかったのは上々。


 だが、声はすぐに消えてしまって、探し当てる事はできなかった。


 うろ覚えな声だったけれど、少女はあんな声の持ち主を母以外に知らなかった。


 それからは、屋敷の中や叔母の、不審なところばかりが目についた。


 前々から、知らない男性が昼夜問わず、ひっそりと訪れる屋敷だった。


 だが、やはりそれはおかしいだろう。


 少女は周りの誰彼を、疑うことを覚えた。


 覚えて、しまった。




−−−−−−−−−




 紅い血が、薄汚れた地面に咲き誇った。


 キリコはその血の口に含んで、舌の上で極上のワインでも味わうような笑みを浮かべた。


 しかし直ぐに不味いと地面に吐き出す。


 叔母はそれを見て、化け物を見るような顔をしていた。


「キリコ、こんなこと…姉さんが哀しむわぁ」


 自分が助かりたいがために、情に訴える手段に出たのね、とキリコはあざ笑った。


「母さんは哀しむだろうなあ!でもなあ、それとこれとはちげえんだよ」


「な、にを…」


「アンタは罪に対する罰をうけてるだけだろう?それはアンタの業なんだよ」


 思いの他真摯な瞳を縁取る睫毛は濃く、目に陰を落とす。


 何か思うことがあるのだろうか。

 しかしそこにそんなことを考える余地のある人間はいなかった。


 叔母は尚も言い募る。


「そんなことしちゃ、キリコもあたしと地獄におちちまうよ」


 キリコは心底愉しそうに笑った。


「そうさ。アンタは地獄の業火に灼かれながら、ずっと母さんに謝り続けるんだ。イイ罰だと思わないか?」


 母さんは天国にいるから、絶対にその謝罪が赦されるワケなんてないんだケドな、とキリコは奈落にたたき落とすような笑みで言う。


 叔母の指が一つ、落とされた。


「アァ――――――!!!」


 抗おうと背中ののけ反らせるが、足は潰してあるし、動けば余計に痛くなるだろう。直ぐに動きは止まった。


「獣みたいな声。そうやって情けなく啼けよ。啼いて、腰でも振れば?」


 指を落したナイフはもう転がされている。キリコは一度使った凶器は二度と使わない。


「アアでも、腰振られても苛つくだけ。振る腰も無くしたいトコだけど、アタシ、今そんなノコギリ持ってないんだあ」


 気を失いかけている叔母の顎を蹴り上げる。


 顎が砕け散る嫌な音がしたが、キリコの耳には美しい旋律に聞こえるのだろうか。


 耽美にふけるようなうっとりした表情で、イイ音…、と呟いている。


 ―――狂ってる。


 叔母の薄青の瞳はそう語っていた。




−−−−−−−−−




 何日も何日も、少女は疑いの目を持って色々なことを見つめた。


 それは二人の侍女であったり、庭師の老爺であったり、叔母であったりした。


 初めて疑いを持って見た世界は、少し薄汚れていた。


「それでね―――」


「そうよね―――」


 侍女の一人は、屋敷のお金を少し盗っているみたいだった。


 もう片方は男に給金の全てを貢いでいるみたいだった。

 しかし相手からはまともに相手にされていないようで、暴力も振われていたのに、しかしどうしても好くなんだというジレンマが発生していた。


 庭師の老爺は人の後ろ暗いところを握って、金をせびったり、色々なものを要求しているらしい。


 目上の人間に対しては皆、良く思われようと、気に入られようと、汚い部分など押し隠しているから、今まで見えなかった。


 それに、少女はそんな汚い部分を見ようとしなかったのだ。


 少女はそれに悔いて、しかし見なければ良かったと少し泣いた。


 そして屋敷中を歩き回った。


 今までは立ち入り禁止の場所があったりして、少女はけしてそれに疑いを持とうとしなかったのだが、今更のように疑いを持った。


 それから、少女はたくさんの勉強をした。


 淑女には必要無いと言われたが、たくさんの勉強をして、たくさんのことを知らないと、疑いの正体が、分からなかったのだ。


 必死に勉強をして、見聞を広めるために、少女は数年をかけた。


 その間に少女は淑やかさや上品さを斬り捨てていった。


 しかしそれを隠していつも、たおやかにほほ笑んでいた。


 少女は、貪欲さとしたたかさを手に入れていたのである。




−−−−−−−−−




 ふふふ、とキリコは美しく笑んだ。


 大人になってからはしたことのない、淑女の笑みだ。


「狂ってるって思ってるんだろう?アタシは狂ってる。でもそれは、アンタのせいだ」


 すっと笑みを消したキリコは、凶悪な笑みを浮かべて暖炉で真っ赤に熱された焼き鏝を取り出した。


「ヒッ」


 おびえた目でキリコを見上げる叔母。


 キリコは長い足を振り上げて、がっしりと叔母の背中に固定する。


 鋭いヒールが背中に食い込むが、そんなこと気にするような人間では、キリコは今までの所行を成すことは不可能だった。


 髪を鷲掴みにし、顔をあげさせて、キリコは焼き鏝を勢いよく振り上げる。


 悲鳴が響き渡った。


 キリコはまた焼き鏝を熱して、まだ熱さの残る額ではない、頬へ。


 幾つも焼き鏝を押された叔母は、もう殆ど息がない。


「母さんにしたことが、これだけで赦されるとは思うなよ。死んで永久に地獄で罪を贖え」


 キリコは背中から、露骨の隙間に目掛けて、大振りの刃物をぶすりと一太刀。


 叔母は息を引き取った。


「アタシは地獄に墜ちるよ。

 アタシは母さんのいる天国になんか行かない。行けない。

 でもアタシはそれでいい。

 地獄の業火に灼かれながら、それでもアンタを、アタシの母さんを殺した奴等みんなをいたぶってやるから」


 遅くなるけど待っててね。


 キリコはそう呟いた。



 そうしてキリコの復讐は幕を閉じた。




−−−−−−−−−




 少女は学ぶうちに自分の容姿が一般的に美しいということを知った。


 彼女の母は、絶世の美女だったといえるらしい。


 瓜二つの少女にもその素質があったということに気がつき、なんとなく空寒い気がした。


 街を出れば、知らない人にさらわれそうになったりした。


「街は危ないのよ」


 そう言っていた叔母は常々そう言って、外へ出そうとしなかった。


 少女はそれを思い知り―――そして、足りない言葉があったことを知ってしまった。




 珍しい色彩。




 少女は、青い瞳と、黒い髪を持っていた。


 彼女の色彩は世にも珍しく、非常に人さらいや金持ちのコレクターに狙われやすいものであった。


 疑惑は募る。


 少女は屋敷中の中でも一つだけ行ったことのない所があった。


 そこには、黒い外套とフードで姿を隠した客人が、幾人も、夜中に昼に、出入りしていた。


 彼らの帰りをつけて追えば、彼らは皆金持ちで、情報を集めれば、全てが好色な人物だった。


 ある日少女はそこに忍び込むことができた。


 そして少女は見てしまった。


 牢に鎖で繋がれて、ぐったりとしている母の姿を。




 母は死んでいた。




 母は死んでいた。




 そして少女は知った。


 母は叔母に嵌められて男どもに好き勝手される商品のように扱われていたのだということを。


 叔母は少女が成長したら、同じように閉じ込めて商品にしようとしていたのだと。




 少女は逃げた。




 雨の中を駆けた。

 月夜を駆けた。

 ある日は木の下で眠る。

 またある日は牛舎で眠った。




 逃げて逃げて逃げた少女は、力を得るために力を持つものになろうと決意した。




−−−−−−−−−




 キリコは悠々と叔母の屋敷を後にした。


 誰もキリコが彼らを殺したなどは知らない。


 深夜の石畳をカツンカツンとヒールを鳴らして歩いた。




「え………血、血が!ちょっとそこの人、怪我してんじゃないのかい?」


 真夜中に二つの人影。

 キリコの顔にべっとりとついた血を見とがめた男性が、親切心から声をかける。キリコはゆっくりと反応した。


「血………ですか?」


「頬!すごくついているよ、大丈夫か?」


「………あら、本当」


 指を滑らせて初めて気がついた様子のキリコ。余りにも泰然としているので、男性はへっぴり腰だ。


「だ、大丈夫なのかい!?」


「嗚呼。ダイジョウブ、さ。だってこれ、アタシの血じゃないからな」


「え?」


「こーやって、ついた血ってこと」


 言うなり身を翻して、護身用の剣を鞘から抜く。ドスっと、鈍い音がこもった。

 全力で、男に短剣を突き刺していた。男の顎が、キリコの頭の上に引っ掛かる。


「かはっ……。な、んで、……」


 吐血した飛沫が地面にピシャリという音をたてる。


 キリコは短剣を、ぐるりと刺したまま一周回してから抜いた。


 力なく崩れ落ちる男。キリコは見向きもせずに、血まみれの短剣の腹を舐めた。


「………美味しい……」


 それは、いっそ艶かしく、畏ろしい美しさがあった。


「やっぱり、口直しは必要だよなぁ」


 手についた血も舐め上げながら、道を急ぐ。








 陸軍の寮に戻る。


 既に門は閉まっているから、ヒールを脱いで裸足になり、跳び上がって塀を越えた。


 音もなく着地する。


 裸足が汚れるのも気にしないで、また窓から自分の部屋に飛び込んだ。


 部屋に戻ったキリコは、火を熾す。


 暖炉の炎が赤赤と燃え上がり、キリコの白い頬を照らし出した。


 充分に燃えていることを確認し、血に汚れた全ての衣類を放り込んだ。

 血まみれの黒いカーディガン、少し汚れた首まである黒いシャツ。やはり黒い細身のパンツに、血がべっとりとついたハイヒールのブーツ。


 全て燃えやすい素材で製造されているのは確認済みである。

下着姿になったキリコは、黒いパジャマを着込んだ。


 ベッドに入って眠りにつく。

ただそれだけだった。




 朝、キリコは目覚めて着替えて仕度を整えて、サングラスという色付の眼鏡をかける。


 瞳の色を隠すためだ。


ついでに母に似た美貌も隠せるので都合が良いと思う。


 出勤すれば、キリコは思わぬ事件に出くわすことになる。


「事件だ。−−地区の−−−が何者かによって殺害された。調査に行くぞ」


 上司がそう告げれば同僚が質問をする。


「あれ?それってキリコの身内じゃないのか?」


「そ、そうだ。アタシの唯一の家族―――」


すっとサングラスの下の瞳が涙を流した。


 皆がキリコの涙に動揺して慰める。


 全てが演技だと気付きもせずに。


「−−−さんも、キリコのこと、天国で見守っていてくれているよ」


「向こうに行っても、自分の家族がまだ24の若さでこんな師団の参謀まで登り詰めてるエリートなら、きっと−−−さんも鼻が高いよ」


 絶対に犯人を捕まえる。そう意気込んだ彼らは、意気揚々と現場へ向かった。




 道端で起きた、殺人事件など、その虐殺事件に霞み、見向きもされない。


 そして、キリコの短剣の紅さを知るものは居ない。


キリコの罪を知る者は、もうどこにもいなかった。

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