日本のほほん滞在記2
新しい朝が来ました。希望の朝が。
「……いっそ殺せ」
そしてそんな朝にテーブルに突っ伏しているのは、元魔界の公爵にして三軍の一を率いた鮮血公ことグラウゼさんです。
人間にとっては爽やかな朝ですが、グラウゼさんは吸血鬼なのでグロッキーなのは仕方ありません。
とはいっても、吸血鬼にとって太陽が致命的な弱点とされたのは近代に入ってからだったりします。かの有名なドラキュラ伯爵や女吸血鬼カーミラなどは、太陽を苦手としてはいても浴びたら生存困難になるほどの弱点とはしていません。
太陽を浴びたら灰になるという現象は、近代に入り吸血鬼を題材とした映画で演出として使われたのが最初であり、そのインパクトが強かったために広く一般に認識されたと言われています。
他にも銀の弾丸が効いたり効かなかったり、十字架は信仰が必要だったり無かったりと、お話によってその性質は結構違ったりします。
これは元々の伝承が多岐に渡り、さらに創作によって後から付け加えられた設定があるからだと思われます。
現代で言うならアクロバティックサラサラみたいなものです。
アクロバティックサラサラって何?という人は目の前の箱で検索してください。なおその結果夜中にトイレに行けなくなっても当方は責任を負いません。
「……何を朝っぱらから不景気な顔をしとるんじゃおぬしは」
そんなグラウゼさんを緑茶片手に呆れて眺めるリィンベルさん。
外見は若い女性ですが相変わらずの年寄りっぷりです。実はネット上で「ババア」と呼ばれていたりするのですが、そう呼んだ人にはもれなく「角という角に足の小指をぶつける呪い」をプレゼントしていたりします。
大人げないですね。
「あの……そんなに辛いのなら私の血ならあげても良いんですけど」
控えめに言ったのは、見習い召喚師にして現役女子中学生なエルテさんです。
相変わらず安達くんと養子縁組はしていませんが、あまりに勘違いされるので最近は養女と誤解されてもそのままにしています。
そのせいか油断して安達くんをうっかり「お父さん」と呼ぶ回数が増えていたりしますが、周囲が気付かないふりして暖かく見守っているのは内緒です。
「やめておけ。こやつこう見えて魔術にも通じておるからの。万全の状態になったらわしとの契約を絶ちかねん」
「え……? グラウゼさんそんなに凄かったんですか?」
「凄かったんじゃ。信じられぬことに」
「……貴様ら喧嘩を売っているのか?」
意外な事実に驚くエルテさんと頷くリィンベルさん。
鮮血の公爵の名は伊達ではありません(笑)
「大体私の存在が害だというなら、元の世界に返せば良いだろうに。嗚呼、私が突然居なくなりミラーカは寂しがってはいないだろうか」
「毎晩魔王の寝所に突撃して百合の花を咲かせているらしいぞ」
「ミラーカァー!? お父さんはそんな子に育てた覚えはありません!?」
衝撃の事実を知り咆哮するグラウゼさん。元気が出たようで何よりです。
「……本当にそんな凄い人なんですか?」
「まあどんなに凄くても親なんてこんなもんじゃ」
疑いの目を向けるエルテさんと、緑茶を啜るリィンベルさん。
今日も日本は平和です。
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「まあ、今日もみんなきれいに食べてくれてますね」
時は流れて夜も深まった時間帯。
みんなのお弁当箱を洗う安達家のお母さんことシーナさん。全て完食されているのを確認し嬉しそうに微笑んでいます。
「シーナさんの作る料理は美味しいですからね。最近はお弁当箱を開けるのが一日の楽しみになっていますよ」
「まあ、そう言ってくれると作った甲斐があります」
安達くんに褒められて嬉しそうに笑うシーナさん。恋する乙女は無敵に素敵です。
「……」
しかしそんなシーナさんと安達くんを静かに見る目が。安達家の長老ことダークエルフなリィンベルさんです。
何か思うところがあるのか、どこか威圧感すらある目で二人を見つめています。
「……のうシーナ。おぬしこのままで良いのか?」
安達くんがリビングからいなくなった後、唐突にリィンベルさんがシーナさんに言いました。
「何がですか?」
「アダチのことじゃ。好いておるのだろう? このまま娘扱いでおぬしは満足なのか?」
とぼけたように聞き返すシーナさんに、リィンベルさんは厳しいとすら言える口調で問います。
「アダチはおぬしを女として見ておらぬ。ならば好意を告げるなりして意識させぬと……」
「そんな事したらアダチさんは私を遠ざけちゃいますよ」
「……なんじゃと?」
リィンベルさんの意見にいつも通りの声で答えるシーナさん。
しかしその顔は微笑みを浮かべながらも寂しそうであり、辛そうでした。
「アダチさんは私の思いになんて気付いてますよ。だけど応える事なんてできないから、気付かないふりをしてくれているんです」
「それはそれで酷くはないか? 応える気が無いのならばさっさと……」
「『新しい恋をするべきだ』なるほど正論ですね」
リィンベルさんの言葉を遮り、にっこりと微笑んでシーナさんは言います。
「でもそんな正論わざわざ言われなくても私は理解してる。アダチさんはそう“理解してくれてる”んです。恋に恋して盲目になったり、馬鹿な真似をしない。誰に何を言われなくても、自力で新しい道を探し出して歩いて行ける。そう信じてくれてるんですよ」
「……」
「だからアダチさんは私と一緒に居てくれているんです。このぬるま湯のような関係はあの人が私にくれたモラトリアム。叶わぬ恋をした私が、自棄になったり自滅したりなんてしないと信頼して、新しい道をゆっくりと探せるように守ってくれている。正に『父の優しさ』ですね」
そう語るシーナさんの顔に影は無く、しかしどこか苦笑しているようにも見えました。
そんなシーナさんを見て、リィンベルさんは疲れたようにため息をつきます。
「おぬしら感情の制御ができすぎじゃ。特にシーナ。おぬし本当に二十も生きとらん小娘か?」
「あら? 己を律するのは人の上に立つ者として当然の嗜みでしょう?」
「おぬしはもう王女ではあるまい。もう少し我侭に生きても良いと思うんじゃがなぁ」
「ふふ、良いんですよ。今私は幸せですから」
――でもその時が来たら、きっと私は泣くんだろうな。
そう心の中で思いながら、シーナさんは優しく微笑むのでした。
今日も日本は平和です。