田舎だと父親がどっかから拾ってくる竹
七夕。
中国が発祥とされアジアの様々な地域に存在する節句の一つですが、各地域でその地の伝統と混ざり合ったりして独自進化を遂げている風習でもあります。
日本でも奈良時代には七夕は伝わっていたとされていますが、元々日本に存在した水の神に捧げられる棚機津女という女性の伝説に影響され「七夕」と書いて「たなばた」と読むようになったと言われています。
ちなみに神事としての七夕は六日の夜から七日の夜明けまでに行われるものなのですが、一般では例によって「こまけぇこたぁいいんだよ!」と七日の昼どころか夜までぶっちぎって行われることが多いです。
「七夕ですか。ロマンチックな伝説ですね」
「そうでござるなあ。……しかし何故願い事をかくのでござろうか」
安達家の庭にて。
グライオスさんがどっかから持ってきた竹に吊るす短冊を書きながら話すシーナさんとヤヨイさん。
七夕でお願い事をするというのは、元々は織姫にあやかって裁縫や織物が上達するようにと祈願する行事が中国にあったのですが。
日本に伝わると江戸時代には織物だけでなく芸事全般について願うようになり、次第にそれすら関係なく何でも願い事をするようになったようです。
つまりはいつもの日本です。
「シーナ殿はなんと書いたでござるか」
「私は無難にこれです」
そう言ってシーナさんが見せた短冊には「みなさんが健やかに過ごせますように」と綺麗な字で書かれています。
確かに無難ですが、無難だからこそちょっと安心したヤヨイさん。
これで「アダチさんと結婚できますように」とか書かれていたら反応に困ります。
「ふふ。そちらは自力で叶えないと意味ありませんから」
「にゃんと!?」
クスクス笑いながら言うシーナさんのよく分からない迫力に尻尾の毛を逆立たせるヤヨイさん。
かなりビビったものの「まあアダチ殿なら大丈夫でござろう」と聞かなかったことにするまで僅か三秒。
触らぬ神に祟りなし。
今日も日本は平和です。
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一方高天原。
「お母さんが高天原に来ませんように。スサノオが大人しくなりますように。お父さんが捕まりますように。ツクヨミが優しくなりますように……」
「いや、多いですよ」
小さな短冊にびっしりと願い事を書くアマテラス様につっこむツクヨミ様。
ちなみに短冊の色というのは中国発祥の五行思想の木火土金水が元となっており、緑紅黄白黒の五色となっています。
黒い短冊とか願い事書けない?
逆に考えるんだ。書かなくてもいいやと考えるんだ。
というか本来は五色は糸を垂らすものであり、願い事とか書きません。
「それに私が優しくなるように? 今でも十分優しいではないですか」
「ツクヨミ無表情で冗談言うのいい加減やめなよ」
「なるほど。ではこれからはもっと厳しくいきます」
「わーツクヨミやさしいなー。こんなおとうともってわたししあわせだなー」
ツクヨミ様の目がギランと光り棒読みで前言撤回するアマテラス様。
でも実際ツクヨミ様は普段から当然のこと(つっこみ)をしているだけでかなり優しいです。
単に姉に甘いだけとも言います。
「といいますか、織姫と彦星の出会いは夜だから姉上関係ありませんよね」
「その解釈だとツクヨミ二人のデート出歯亀してることになるじゃん」
ツクヨミ様の言葉に珍しくつっこみ返すアマテラス様。
今日も高天原は平和です。