第九条:奇縁に対する補則
昼休み、いつものように牛乳プリンを買って教室に戻る。
すると、意外な人影が待っていたので驚いてしまった。大森さんの席にともちゃんさんがいるのは当然として、その隣に、なぜか本多さんがいたのだ。
「本多さん? どうしてここに」
「あたし、この読書魔と同じクラスなのよ。で、せっかくなんで拉致してきた」
ともちゃんさんが自慢げに笑う。
迷惑そうに彼女を見ている本多さんは、しかしその手にお弁当の包みを持ってきていて、一緒にお昼を取る気になってくれているらしい。
「そうなんだ。楽しんでね」
「どこ行くのよ待ちなさい。このメンバーで共通の友人つったら、生徒会長でしょうが。そこに直りなさい」
ともちゃんさんは、ビシリと空いている席を指差した。
さらっと席に着いた大森さんを含めて、机を中心にしたトライアングルを作る女の子三人から視線の襲撃を受けてうろたえる。
「え? いや、だって同じクラスって」
「ぶっちゃけるけど、会話ないわよ。真島とは話するんでしょ?」
「少しだけ」
ともちゃんさんに不快感を示す素振りもなく、本多さんは言葉少なにうなずく。
きょとんとした顔で情勢を見守る大森さんの横で、ともちゃんさんは僕を見上げる。
「だそうよ。読書魔の口を割らせる超人には残ってもらわなきゃ」
超人ってなんだよ。
少し迷って、本多さんの無表情な視線に圧され、少し楽しくなってきたのか微笑む大森さんの顔を見て、最後に無言の圧力をかけるともちゃんさんの形相に負けた。
弁当を取ってくる、と言い置いて席に戻る。
前の席で面白そうに笑っている由良川の腕をつかんだ。
「よし由良川、お前も来い」
「なんでだよ。真島ハーレムに加わりたくねーぞ」
「なにがハーレムだふざけんな、さすがに怒るぞ」
「へーへ。でも、一人で行けばいいだろ」
「あの空間なんか怖いんだよ分かるだろ。お前だってどうせ暇だろ」
「真島に言われるとむかつくな。まあそうなんだけどよ」
由良川はしぶしぶという感じでついてくる。ともちゃんさんは少し愉快そうに口元をつりあげて、由良川に手を振っている。
大森さんはランチョンマットを広げて、屈託なく嬉しそうに笑った。
「大勢での食事になりますね」
「そうだね」
僕はちょっと笑みが強張っている自覚があった。
このメンバーが集まると、おそらく以上に確実に、食事どころではない騒ぎになる。昼休みが終わるころには疲労困憊しているのではないか、という予感に慄いていた。
本多さんが怪訝そうに首を傾けて僕を見上げる。
「真島くん?」
「あ、ごめんね、ボーっとしてた。机足りないかな、席の人には悪いけど寄せちゃおう。本多さん、ずれてもらっていい?」
「別にいいけど」
本多さんに退いてもらって机を寄せる。それでも五人分の弁当を広げるには机はせせこましいが、それ以上に寄せるのは面倒だった。
僕の向かいに座るともちゃんさんは瞠目している。
「……すげえ。本多さんが世間話してるとこ、はじめて見たかも」
「そんなに?」
「別に、話すことないから」
本多さんは特に表情を動かすこともなく、お弁当の包みを開いている。
確かにこの態度では、なかなか友達は作れないかもしれない。
由良川がもっともらしく顎を引いた。
「こりゃ難敵だな」
「なにが?」
「いんや、こっちの話」
不審そうに首を傾げる本多さんには、さすがの由良川もお手上げのようだ。
ともちゃんさんが、改めて僕を不気味なものでも見るような目で眺め回す。本多さんは珍獣か何かか。
大森さんがわざとらしい咳払いを繰り返した。注目を集めてから、逆に喉の調子を痛めたのか、口元を押さえる。
「コホン。では食べ始めましょうか。今日はビュッフェスタイルで」
「ビュッフェ?」
「お弁当交換!」
いぇーい、と大森さんとともちゃんさんがハイタッチをした。
また唐突な態度の豹変に、本多さんは目を白黒とさせている。狙い澄ましたタイミングで、由良川は手に握る袋を持ち上げる。
「悪い、俺菓子パン」
大森さんとともちゃんさんは、息を合わせて由良川を振り返る。
「最低!」
「海底!」
「想定!」
「悪口じゃなくね?」
「校庭!」
「鬼か?」
外を指差すともちゃんさんに即応している。
こいつも結構いい反応をする。連れてきてよかった、と内心で胸を撫で下ろす。さもなければ、僕の体力が持たなかっただろう。
「由良川、もう割って配れ」
「交換はすんのな。いいんだけどさ」
由良川は肩をすくめてベリベリと袋を開ける。
それを契機にそれぞれ弁当の蓋を開け始めていく。狭い机に慣れなさそうにしてる本多さんを見て、今さらながらに尋ねた。
「本多さんはお弁当だったよね。交換平気?」
「別に、なんでもいいけど……これはどういう騒ぎなの?」
「お祭り騒ぎ!」
「馬鹿騒ぎ!」
「胸騒ぎ?」
「関係ないだろ」
便乗した僕まで含めて由良川が一括してまとめる。
困惑している本多さんに笑みを向ける。
「うん、まあホラ。たまには、みんなで食べるのもいいんじゃないかな。迷惑だった?」
「いいけど。あんまり興味ないし」
本多さんは現実に集まっている今を、バッサリと切り捨てた。
あまりの思い切りの良さに、いっそこちらが困惑してしまう。大森さんも身を寄せて、手で衝立を作りながら声を潜めずに話しかけてくる。
「ちょ、ちょっと真島くん。クールすぎませんかこのお方」
「カッコイイよね」
「確かにクールってそうも言いますけど、この場合もうちょっと違うニュアンスだと思いますよ!」
本多さんが少し眉根を下げて、僕に目を向けた。
「いつもこんなに騒がしいの?」
「いや、正直僕もこうなるとは……」
苦笑とともに答える。予想以上に騒がしい。
気を取り直して、椅子に座り直した大森さんは嬉しそうに笑った。
「いいじゃないですか、こういう食事風景も」
「でもお前ら、喋るのに夢中になって弁当食べてすらいねーぞ」
由良川の指摘に、いそいそと箸を持ち始める。
「さて。では皆さんお手を拝借。いただきます」
全員が食事の姿勢になったタイミングを見計らって、大森さんが音頭を取った。手を合わせて一礼する彼女に合わせて、四人とも手を合わせる。
「いただきます」
神妙な態度に、笑い声が漏れてしまった。
ともちゃんさんが真っ先に箸を構えて、本多さんの手元に首を伸ばす。
「本読み怪人、そのきんぴらちょーだい」
「冷凍食品だけど」
「まあいまどき主流よねー面倒くさいもんね。お返しに好きなのどーぞ」
「好きなのといわれても」
「あはは。まあ食べたくなったのを食べちゃっていいよ。早いもん勝ちだからね」
「本多さん、このベーコン巻き美味しいんですよ。どうぞ食べてみてください」
「え、と。じゃあ貰う」
「あ、真島くんの卵焼きも貰っていいですか?」
「いいよ。どうぞ」
お弁当箱を大森さんに寄せると、横合いからともちゃんさんの箸が伸びてほうれん草のソテーをつまんでいく。ぼやぼやしていると食べるものがなくなりそうだ。
口が動き始めると自然に口数も多少減り、常識的な談笑に留まる。ようやく人心地つく思いで、お握りを口に運んだ。
大森さんは楽しそうに味を褒め、ともちゃんさんが目を細めて品定めをし、箸を持っていない由良川が面倒くさそうにから揚げを指でつまみ、本多さんは戸惑いながらも持ち前の落ち着きで箸を動かし、その姿はむしろ順応しているように見える。
これはこれで、ひとつのまとまりとして、奇妙な連帯感が出来上がっていた。
その渦の中に違和感なく自分が含まれていることに、苦笑が浮かぶ。
経緯を考えれば、この交友関係は不思議なものだ。
マジレス禁止令などと言い出した大森さんと、彼女の友人のともちゃんさん。
彼女たちと連接がなかったはずの由良川と、同じく別のつながりだった本多さん。
しかし、本多さんとともちゃんさんはクラスメイトで、このクラスまで遊びに来ている。
合縁奇縁、とはよく言ったものだ。
ほんの数日前まで、こんなふうに集まることがあるなど、夢にも思わなかった。世の中、なにが切っ掛けに事が運ぶか分からないものだ。
本多さんに友人ができるのもいいことだ、とお節介にも思う。
「あれ、ところでさぁ」
ともちゃんさんが不意に大森さんの手元に目を留めて、僕を振り返る。
「またマジレスやったの?」
「なにが?」
「牛乳プリン」
大森さんの手元にある白い円錐台に視線が集まり、僕と大森さんは顔を見合わせて、
「あ」
同時に思い至って目を大きくする。
思わず腰を浮かせる僕と、両手で包んで体の陰に隠す大森さんの動作は、同時だった。
「今日マジレスって言われてないから、別に買わなくてよかったんじゃないか!」
「い、いやいやいやいや、なに言ってるんですか、言わなかっただけでありますよ! どうせたぶんきっと! 何か一つくらい!」
「そんな無茶な!」
「ほらほら、今マジレスですマジレス!」
指差した手を矢鱈滅多らに上下に振り回す。駄々っ子か。
「いや、今のふざけろって言うほうが無理だよ、他にどんなリアクションがあるのさ!」
「む、むむぅ……おごってくれませんか? プレゼントだと思って」
旗色が悪くなったと見るや、大森さんは作戦を変えてきた。
両手に乗せた牛乳プリンを見せて、哀願するように上目遣いで見つめてくる。
昼の明るい教室にもきらきらと光る双眸に動揺した。困惑を押し隠して、苦渋の決断を下すように重々しく椅子に座る。
「くっ。今回だけ特別だからね」
「にゃはあ、ありがとうごぜぇますだ、恩に着ます。へへぇー」
牛乳プリンを捧げ持ち、大森さんは深々と頭を下げた。
どうせ今さら奪い取ったところで、なにかメリットのあるような話ではない。初めから適当なところで譲るつもりだったわけだけれど。
「……なにやってんだか」
冷めた目で眺めていた本多さんは、つまらなそうにつぶやいた。
そんなふうにして過ごした昼休みも、終わり際に差し掛かれば食事会は終わりになる。食事も片付けも会話も終えて、本多さんとともちゃんさんを見送った。ついでに、お手洗いに向かう由良川の背中を叩く。
何だかんだ、昼休みにこんなに騒いだのは初めてだ。変な疲れが出て、次の授業で居眠りしないかが不安になる。
眠気覚ましの方法を頭に並べながら席に戻る途中で、声が掛けられた。
「真島ぁ」
振り返ってみれば、学級委員だ。彼は面倒くさそうな顔で半紙をつまんでいる。
「これの書き方わかんねーんだけど」
「説明なかったの?」
「あったけど寝てた」
「……ちょっと見せて」
いろいろと言葉を飲み込んで、半紙を見せてもらう。年間学校行事の確認と担当を割り振る名簿だ。去年も似たようなものを書かされたことを思い出す。
「去年とやり方が同じなら、これは担当する行事に名前を書いてくだけだよ」
「うん? なんの名前?」
彼を見ると、眠そうだった目を瞬いて、傾きかけていた体を直していた。話半分で寝かけていたらしい。聞く姿勢になった彼に半紙を見せながら、記入枠を指し示す。
「例えば、体育祭なら」
あれこれと説明するも、たびたび彼はあくびをしたり質問を繰り返したりする。もう少し面倒くさそうな態度を隠してほしいと思うが、それは教師の前でひた隠しにしている分、休み時間に出てくるのだろう。
やる気はないし露骨に億劫がっているが、それでも彼を認めるところがあるとすれば、仕事自体はちゃんとこなすということだ。
現にこうして、話途中で投げ出して僕にやらせるということは決してなく、集中を欠いていても聞き逃した部分は質問し、粗のある仕事を避けようとしている。そのしわ寄せがなぜか僕に来ているところは容認したくもないが、それでも、それなりに責任感のある彼が一番面倒な仕事をやってくれることは、幸いなことだと思う。
説明を聞き終えた彼は、反芻するように半紙をためつすがめつ眺めながら、フラフラと席に戻っていく。
一瞬だけムッとしたが、それも馬鹿馬鹿しく、ため息と一緒に放り捨てた。礼を言われないくらい、目くじらを立てるほどのことでもない。
席に戻って教科書を机上に並べる。
役職に付かなくとも、委員長は僕なのかもしれない。雑用委員長だ。
皮肉にもならない冗談の、あまりの笑えなさに、僕は皮肉を己に禁じることにした。
昼休みが終われば、また授業が始まる。