第七条:規定目的に対する罰則
脚本や役者を揶揄するような話題なら見つかったが、白けるだけで言いたくもない。面白おかしい冗談はさっぱり思いつかなかった。
どん底を這いずるような苦労の末、手元に残る小さな幸せに気づいたような話に対しては、何を言っても台無しにしてしまうような気がする。
最寄りのファストフード店に場所を移し、暖色の灯りが吊るされる小さな机を前に、満を持して大森さんはにやりと笑った。
「さあ、どうでしたか」
僕は苦し紛れの一手を打つ。
「……大森さんこそどうだった?」
「え、私ですか?」
目を丸くした彼女は、うーんと唸ってしかめっ面を作って見せる。
そして、左手を後頭部に当てると、小首を傾げた。
「てへ。ついしっかり観ちゃって、ネタなんて思い付きませんでした」
「おぅい」
思わず空中を手の甲で打ってしまった。
「いやあ、素敵でしたねぇ、純愛ですね」
「まあ、そうだね」
開き直って感想を語る大森さんに苦笑する。僕も難を逃れたわけだから、あまり文句を言う気にはなれない。
大森さんがポテトに手を伸ばし、釣られて僕もまだ熱いポテトをつまむ。塩と油の味にじゃがいもの風味がついている。その味を肴に会話を交わす。
「大森さんって、映画よく観るの?」
「ええ。金曜ロードショーと日曜洋画劇場をたしなんでおりますの」
急に姿勢を正して澄ました口調になった。すぐに崩して、ころりと笑う。
「いえ、毎回欠かさずではなくて、面白そうであればですけど」
「そりゃそうだよね。大森さんって映画好きなんだ。意外、でもないかな。やっぱり恋愛映画が好きなの?」
「どんな映画なら、というものでもありませんねー。アクションだって観ちゃいますよ」
「へぇ。それはちょっと意外」
アクション映画が好きな女の子、というのは結構少ないようなイメージがある。
しかし少年漫画が好きな女子も少なくないわけだし、案外そう珍しいものでもないのだろうか。
「映画っていうか、ドラマとかアニメとか、作られたものが好きなんです」
「見境ないんだ」
「そうですね。わりと何でも」
「例えば、好きな作品とかある?」
「うは、来ますよね、その質問」
大森さんは困ったように眉を下げて視線を外し、弱々しく笑った。
「実は見境なく好きなせいか、いまいち取り立てて好き、というものがないんです」
「そうなんだ。見すぎて、飽和してる感じ?」
「かもしれません。その辺りはちょっとよく分からないんです」
「そっか」
あまり触れたくないのか、大森さんは笑みを作って僕に目を向ける。
「私のことより、真島くんこそ好きなものとかないんですか?」
「童話のなかじゃ星の王子様が一番だね。あれは誰が見ても名作だと思うよ。僕が最初に読んだ童話だから、思い入れもあるし。だからなのか、夜と狐の童話が好きかな」
僕の回答に一瞬呆気に取られたような大森さんは、困ったように頬を緩める。
「さ、さすが図書委員。滑らかに語りますねぇ……」
「まあこの手の答えは用意してる面もあるからね。図書委員だと、ちょっとそれを聞かれる場面が多いし」
「なるほど。そういう手もあるんですね」
「嘘を言ってるわけじゃないけどさ」
「分かっていますよ。というか真島くん。だからマジレス禁止ですって」
「そんな無茶な」
大森さんはくすくすと笑った。
その笑顔を見て、また奇妙な不安が胸を過ぎる。
「大森さん、どうして僕をそこまで面白人間にしたいの? いや、手伝ってもらってる身で聞くのもなんだけどさ」
「そりゃ真島くんが真顔でジョークを言う姿が面白すぎるからに決まってます」
「……それ本当?」
「冗談ですよ。真島くんはエッジの利いたジョークを使いこなせると踏んだからです」
「一向に使える気がしないなあ」
「マジレス禁止だって言ってるのに、無視するからですよ」
ぶー、と大森さんはこれ見よがしに膨れてみせる。
笑って誤魔化して、ポテトをつまんだ。あっという間に冷めたそれは、すっかりシナシナに緩んでいる。塩と油の味を舌に転がし、漠然とつぶやく。
「もし仮に僕がジョークを巧みに使いこなせるようになったとして。そうすると、何か変わるのかな」
「人付き合いスキルが向上しますよ」
「まあ、そこだろうね、やっぱり。今まで上手く話せなかった人と接すれば、何か変わって見えるかな」
根っから生真面目という僕の性格は、変わるようなものじゃない。
それは確固と安定していて素晴らしいことのようにも、窮屈で鬱屈していてつまらないことのようにも思えて、奇妙に寂しく思えてしまった。
むう、と難しい顔をしている大森さんを見て、言葉を付け足した。
「ナンパとか、できるようになるかな」
「まあ! 真島くんたら……そんな子に育てた覚えはありませんよ!」
「育てられた覚えもないよ」
笑って答えながら、この関係は一体なんなのだろう、と思っていた。
冗談を言い合っているから、友人ではあると思う。しかし、男女としての関係ではないだろう。そもそも冗談を言い合っているのも、それを取り決めているからだ。不思議というより、むしろ歪でさえあるかもしれない。
大森さんは、なにを思ってこんなことをしてくれているんだろう。
冗談の将来性を見て取っただけで、こんなに付き合ってくれるものだろうか。
「うへぇ。しなったポテトはあんまり美味しくないですね。私はこう、カリカリのところが好きなんですよ」
「同じポテトから生まれたはずなのに、片や嫌われ片や好まれて……」
「なんて悲壮な定めなのでしょう……って変なことを言わないでくださいよ」
大森さんは無邪気そうな笑顔を作って、ポテトを口にくわえる。すかさず握ったナプキンを近づけて火をつけるフリをした。おう、と大森さんは重々しく唸って、ぷはーと仮想の煙を吐き出し、にんまりと嬉しそうに笑う。
彼女は一体、何に対して喜んでいるのだろう。
くすぶる疑念にふたをして、僕も彼女に笑顔を返す。
言葉を選ぶ不自由を感じた。
学校帰りに映画を見て、さらにファストフード店で話し込むというのは、寄り道にはいささか遊びすぎたスケジュールだ。結局僕が家に帰ったのは八時を過ぎ、それから夕飯の支度を始めたために食べ始めるのは九時を回ってしまっていた。
「あんれ? 仁ちゃんこの時間に夕飯? 珍しいじゃん。今日遅かったの?」
そんな時間にもなれば、働きに出ている姉も帰宅する。
靴を脱いですぐにパンツスーツも脱ぎ始める姉から視線を外し、画面に写る芸人の顔をワイプして無意味な字幕で彩るバラエティーに目を移す。
「今日は学校帰りに友達と遊んできたからさ」
「ほぉう。女の子?」
一瞬で食いついた。
思わず顔をしかめて肉モヤシ炒めを頬張る。
休み時間や部活動中はまだしも、放課後に街へ足を伸ばしてまで遊ぶような友人がいないことは、姉も薄々感づいていただろう。
ましてや相手が女の子なのは事実なので、なんとも言いにくい。
しかし何も言わないことは、この状況では悪手だ。
「へへぇ、ついに仁ちゃんにも彼女かぁ。どんな子? 写真ある?」
「彼女じゃないよ、友達」
「えー? なんだよガッカリだな。何人で行ったの?」
目の前で餌を取り下げられた犬のように肩を落としながら、ブラウス一枚になった姉が這うように部屋に行く。
苦渋の表情を隠して、いない隙に答えた。
「……二人」
ちら、と廊下を振り返る。
扉の脇から首を伸ばした姉が、三日ぶりに散歩に連れていってもらえる犬のように、なんともいえない笑顔を輝かせていた。
僕は致命的な失敗を犯したらしい。
「彼女じゃないよ」
「分かってるって」
スウェットは履いたものの上はブラウス姿のまま、膝を擦るように居間に滑り込んで卓に着く。
両肘を突いて前のめりに、姉はにやにやと口元を緩ませている。
「なにさ、え? 誰よその子、どんな子? あの図書委員の子?」
「違う、クラスメイト。去年も同じクラスだった子」
「ほほう。それがどんな経緯で二人きりの放課後デートに至ったわけ? っていうか街でなにしたの?」
嬉々として追及を繰り返される。うっとうしく、まして僕でさえよく分からない状況をなんとも答えあぐね、僕はやけっぱち気味に言い放った。
「果たし状を受けて三本勝負の決闘をして白黒ハッキリつけてきた」
「はい?」
白黒とさせているのは姉の目だった。
またなんとも微妙な空気に、目を逸らす。
人を馬鹿にするようなバラエティーの笑い声が不快で、旅番組にチャンネルを変えた。
姉は口をつぐんだまま僕の様子を窺っている。困惑と心配と怪訝が入り交じったその視線に堪えかねて、頭を抱える。
「……いきなりじゃ逆効果か。そりゃ家で冗談なんか言ったことないもんなぁ」
なにがなんだか分からない、という顔で、姉は僕とテレビを見比べている。
ため息と一緒に観念して、経緯をつぶさに白状することにした。
つまりそれは、僕が真面目に冗談の練習をしているなどということを、自ら告白するということだ。
こんなに恥ずかしいことはなかなかない。
馬鹿馬鹿しいやら合点がいかないやら、というあいまいな表情で、姉は首を傾けた。
「それで、その大森さんは仁ちゃんの冗談のために映画まで見に行った、ってわけ?」
「簡単に言うと、そういうこと」
「なんで?」
「……つまり、僕に冗談の練習を持ちかけてきて」
「そっくり繰り返さなくていいって。あはは、仁ちゃん本当に冗談言ってんだ」
すごい、と何に対してか分からない賛嘆を述べて、姉は僕を眺める。
「そーじゃなくて、いっくらクラスメイトだからって、異性にそこまで付き合っちゃうかなあ。ただ学校で、とかなら分かるよ? それを映画なんて」
「だよねぇ。僕も不思議に思ってるんだ。いや、ありがたいことなんだけれど」
「同性なら、まあ、暇に飽かせてトコトン付き合う、とかもあると思うんだけど。でも、そうか、もう高校生だもんねぇ。その辺りザックリした子なの?」
「かもしれない。そんなことまで分からないよ」
答えながら、冷めてしまったご飯を頬張る。米の粒を歯に感じながら、すっきりした甘さを味噌汁で押し流す。
考えてみれば、大森さんは今ひとつ何を考えているのか分からない人だ。
ことあるごとにころころと表情を変えて、ふざけて見せて、冗談を言う。その素直な感情表現は、見ていて気持ちがいいほどだ。しかし、感情を表すからこそ、どう考えているのか、どこまで思っているのか、表情に塗りつぶされて見えてこない。
それならまだ、普段は表情を表さない本多さんのほうが分かりやすかった。
「その子、仁ちゃんに気があるんじゃない?」
卓のうえで組んだ腕に顎を乗せて、姉は冷やかすように囁いた。
「やめなよ、そういう推測。当たってても外れてても、誰にとっても失礼だよ」
「はい。ごめんなさい。仁ちゃんは真面目だなあ本当に」
反省してみせる素振りで、姉は笑う。
しかし、僕は自分の発した言葉に、苦い思いを飲み込んでいた。
これは真面目がどうという問題ではない自覚がある。
気があるかどうかを疑う意識になってしまえば、普通に会話ができなくなってしまう。一言一句、一挙手一投足にあるかも分からない影を見極めようとして、友人同士の会話から遠ざかってしまうのだ。それは僕も、たぶん大森さんも、望んでいない。
人によってはそんな意識を持ったままでも、普通に当たり障りのない会話ができるのかもしれない。
けれど、少なくとも僕には、そんな器用な真似は無理だった。
冗談を言い合うためのマジレス禁止令で、僕と彼女の一番のつながりは、そこにある。