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マジレス禁止令!  作者: ルト
第三章 罰則に関する原則
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第十二条:罰則の適用に関する規定

「どうしたの、そんな死にそうな顔して」


 帰宅した姉に、開口一番そんなことを言われた。

 卓に突っ伏していた僕は、気力もなく、ただ料理を並べる場所を空けるためにのろのろと体を起こす。そのついでに、簡単に説明した。


「喧嘩した。……ぽい」


 姉はぴくりと振り返った。僕をまじまじと見て、口調は軽く、さらりと尋ねる。


「どういう?」


 料理を抱えて卓に着き、端的な質問を僕に向ける。

 彼女は多くを聞かなかった。

 口にしかけた推測や前後の状況説明を遮り、なにが起こったか、事実だけを尋ねた。そして、それだけならばと、僕は聞かれるままに答えていた。

 事のあらましを聞いた姉は、顎に箸を持った手を添えてうつむく。

 話を聞くときの彼女にしては珍しく、テレビもつけずに黙り込んでいた。


「こういうとき、どうすればいいと思う?」

「ねえ」


 姉は僕の質問に答えなかった。

 顔を上げて、真剣な表情で僕を見て、リップグロスを塗ったままの口を開く。


「その子、やっぱり仁ちゃんに惚れてるんじゃない?」


 自分の吐いたため息が思いのほか重く、余計に体の芯が疲れていくかのようだった。


「そういう冗談に付き合ってる気分じゃないよ。今、真剣に悩んでて」

「いや冗談じゃなくって。だってそうでしょう? その子は、仁ちゃんと冗談の練習をしていて、でも図書委員ちゃんとも冗談の練習をしてるって言うと急にしつこくなって、図書委員の子が遮ったらすごく怒った。どう見ても嫉妬しちゃってるじゃない」

「……仲間外れが、極端に嫌だっただけかも」

「そうかなあ。普通、不快に思いはしても、怒り出したりしないでしょ」


 かもしれない。

 しかしやはり、テニス部で嫌なことがあったからカリカリしていただけかもしれない、など、さまざまな思いが言い訳するように頭をめぐる。答えが分かるはずもなく、結論が出るわけがない。

 億劫になってきた思考に、姉の声が突き刺さる。


「まあ、それはどうでもいい。今はそんなこと問題じゃないの」

「どういう意味?」


 体を起こした僕を、姉の真っ直ぐな視線に貫かれる。


「その子のこと、仁ちゃんはどう思ってるの?」

「どう、って」

「好きなのかどうか」


 誤解も言い訳も許さない、ハッキリした問いだった。

 狼狽する自分を自覚して、ため息をつくように本音を吐露する。


「そんなの……分からないよ」

「考えてみないと。でないと、その子をどう扱っていいのか分からなくて、怪我するよ。その子も、仁ちゃんも。それこそ二度と話せなくなるくらいに」


 姉の厳しい言葉に、萎縮する心が震える。

 なんとなく、想像がつく。

 どちらもなんとも思っていなければ、友人として慰めればいい。

 しかし、そうでない場合。

 好いている相手が適当な慰めをしてくれば、ひどく心をえぐるだろう。

 僕が大森さんを好きであれば、自覚しない言葉は的外れで、大森さんの態度によっては勝手に傷ついて壁を感じるかもしれない。

 もし、互いに思いあって、それでもすれ違っていたら……それこそ、二度と話したくないと思うような行き違いに発展しても、おかしくはない。

 何のために発せられる発する言葉なのか、その意味を自覚せずに振りかざす言葉ほど、たちの悪い話はないのだ。


「でも、好きかどうかなんて……分からない」


 僕は大森さんをどう思っているんだ?

 姉はそこに至って、声を出して笑った。


「ホント仁ちゃんは真面目だから、こういうの苦手そうだね。難しく考えなくていいの。むしろ、難しく考えちゃダメ。気持ちに正解なんてないんだから」


 正解がないと言われても、何がなんだか分かりはしない。

 途方に暮れて床板に手を置く。答えが転がっているわけもなく、指先が冷たい感触に触れるだけだ。

 うーん、とうなって、姉は少し楽しそうに僕を見た。


「ずっと一緒にいられる、と思えるかどうか。それで決めちゃうのが目安じゃないかな」

「そうかな」

「そんなものよ。いっそ、恋なんて練習と思って手近に行っちゃうのもアリなんだけど」

「そんな適当な」

「分かってるって。仁ちゃんはそーいうことできないよね。真面目だから女の子傷つけないだろうし、なおさらアリなんだけど……ほーんと、素直でいい子だよねえ」


 嬉しそうな笑顔に、馬鹿にされたような気になって口を曲げる。


「それは褒めてるに入るのかなあ、いい年した野郎に向かって」

「んま。高校生のがきんちょが大人を騙ろうなんて、三年早いっつーの」

「そんなことないよ」

「あーるのー。ほんっと、二十前後で価値観ガラッと変わるんだから」

「そんなもん?」

「そんなもん」

「そっか」


 そうかもしれない、と思い直す。

 今の僕がとんでもなく未熟であることは、痛すぎるほどに痛感していた。

 ぼんやりと、天井の蛍光灯を眺めた。埃が染み付いて、薄汚れている。


「恋か。考えたこともなかった」


 いつかはあるのだろう、そう思って高校生まで生きてきた。もしかしたら縁がないのかもしれない、とも思っていた。

 正直、我が身に降りかかるものとは、思っていなかった節がある。

 好きなのだろうか。

 好きか嫌いか、の二択であれば、好きに決まっている。

 焦がれるような何かはない。

 しかし、落ち込んだのを放っては置けないし、なにかしてあげたいと思う。


「まあ一晩じっくり考えて、それから結論を出せばいいんじゃない」


 姉はそう言って、並べた皿を抱えてレンジに向かった。

 その背中を横目で見送って、慣れない思考をひねっていく。

 一緒にいられるか、どうか。

 いまひとつ、ピンと来なかった。

 なんだか気分が塞ぎ込んでいくようだった。

 励ます言葉を取りとめもなく思い浮かべては消しながら、ゆっくりと動いていく時計の針に目をやった。

 夜は更けて、やがて明けていく。




 朝の教室には、すでに生徒の三割ほどが集まってきている。その一角、窓際二列目の一番後ろに並んで、大森さんとともちゃんさんが談笑していた。

 ともちゃんさんは僕に気づくと、軽く手を振ってくれる。


「おはよー」

「おはようございます」

「おはよう。今日も過ごしやすい曇天で何よりだね」


 晴れやかな笑顔で言い放った。大森さんをちらりと見る。


「あはは……」


 愛想笑い。しかも乾いている。

 叫びながら逃げ出したくなった足をこらえて、辛うじて踏みとどまる。

 ともちゃんさんは苦笑しながらも声を掛けてきてくれた。


「なにその冗談、用意してきたの」

「盛大に滑ったけどね」

「そりゃあ、曇天じゃちょっとね……」

「ダメか……」

「ネタとして弱かったね」


 弱いらしい。

 穴があったら埋葬されたい。

 大森さんはなにか言おうとして、諦めたように口を閉ざした。何を言おうとしたのか問おうと口を開いて、しかし気が咎めて何も言わずに口を閉じる。

 僕と大森さんを見比べて、ともちゃんさんが気難しい顔をした。


「どうしたのあんたたち、なんかぎこちないけど」


 動揺する僕と違って、困ったように笑う大森さんは、よどみなく答えを返した。


「いや、昨日珍しくゲームにハマっちゃって、徹夜疲れが」

「あんたゲームなんて持ってたっけ」

「失敬な、最新機種ばっちり持ってるもん。ソフトはカートレースだけだけど」

「それにハマったの?」


 疑わしそうな視線に、大森さんは握りこぶしを返した。


「タイムアタックでスタッフゴーストに挑戦」

「極めてるわねぇ……」


 ともちゃんさんが呆れたため息をついた。

 僕は無理やり口を開けて、明るい声を絞る。


「でも、ゴーストってなんかレースゲームらしいよね」

「ん? なんで?」

「ゴー! ストァート、みたいな」

「……はは」


 失笑。

 よし、今日はもう帰ろう。

 きびすを返して、露骨に嫌そうな顔をした学級委員と目が合った。


「……真島、お前イメチェンとかやめとけよ。つーか寒いよ」


 端的な指摘が胸に突き刺さる。

 彼は顔をしかめて唾棄するように言い連ねる。


「見てるこっちが鬱になるから、マジやめとけ。お前がキャラ変えても無駄だし」


 視界を何かが過ぎって、学級委員の頭に吸い込まれていった。

 がつっ、と嫌な音を立てて頭の上を跳ねて床に落ちる。がたんと音を立てるそれは、後ろの黒板に添えられた黒板拭きだ。

 衝撃に頭を押さえる彼は床に落ちた黒板拭きを見て、やっと痛みを自覚したかのように体をよじった。黒板拭きに付いたチョークの粉が、彼の頭に虹色に降りかかっている。


「い……ってェ! はぁっ!? なにすんだよ! 親切で言ってんだろうが!」


 僕はようやく振り返る。

 黒板の前に立っているのは大森さんで、ともちゃんさんも大森さんを見ていた。どうやら投げつけたのは大森さんだったらしい。

 しかし、ともちゃんさんは素早く振り返り、きつく目をつり上げて刺々しい声を張る。


「それが親切のつもりなら、あんたの良心は海外旅行にでも行ってんのかしらね」

「あぁ!?」


 苛立たしげに声を荒げた彼は、クラスの注目を集めていることに気づいて、毒づいた。


「ざけんな、くそ。一生滑って笑いものになってろ!」


 髪についたチョークの粉を気にしながら教室を出て行く。落としに行ったのだろう。

 彼の背中が見えなくなった途端、ともちゃんさんは勢いよく大森さんを振り返った。


「馬鹿、いきなりモノ投げつけるなんて、どうしちゃったの!」


 大森さんは顔を伏せて押し黙っている。

 その情景を改めて眺めて、なぜだか、急に胸に寂寥感があふれ出した。

 寒い、見てるこっちが鬱になる、無駄。

 まったくその通りだ、と思った。

 笑いがこみ上げてくる。ひどく乾いた、虚しくなるような、馬鹿げた笑いだ。

 もっと、僕の身の丈にあったやり方があったはずなのに。

 しびれた頭は、何がしたかったのか、分からなくなってしまっていた。


「はは。無理するんじゃ、なかった……」


 息の尻にくっついたつぶやきが、こぼれた。

 こぼしてしまった。

 途端、うつむいて縮こまっていた大森さんが、弾かれたように僕を見る。

 目が合って驚き、足がすくんだ。


「ごめ、ごめんなさ」


 凍りついたような大森さんの表情が、重さに耐えかねたように崩れてしまう。


「わた、勝手に、押し付けて、」


 青ざめた顔で言葉を詰まらせる大森さんは、唇を震わせている。

 抱えたものを取り落としてぶちまけてしまったかのように、言えば言うほど顔を青くしていく。


「ごめんなさい、もう話しかけないから、やめるから、ごめんなさい、ごめん」


 言葉を切った。

 泣きそうな顔を隠すように背中を丸めて、大森さんは走り出した。昨日と同じように。


「ちょっと、瑛美!」


 ともちゃんさんが伸ばした手を置き去りに、大森さんは教室を飛び出して廊下を駆け抜けていく。小さな足音はあっという間に聞こえなくなった。

 ごす、という音を顎で聞いた。

 呆然としていた僕の足はしびれて動かず、もつれさせて体勢を崩した。

 耳の奥が寒くなるほど姿勢を崩して倒れこみ、背中に机の角が突き刺さる。骨の隙間に閃いた激痛で視界が赤黒く明滅した。

 机や椅子を押しのけながらゴロリと倒れる。

 あれだけゆっくりと倒れたなら堪えられそうなものだが、呆気なく倒れたことに自分で驚く。肩と背中と、なぜか太ももがひどく痛い。クラスメイトの驚きと怯えの混じった声が残響のように耳を突いて、恥ずかしくなる。

 情けなくひっくり返った僕を、ともちゃんさんが見下すように見つめていた。


「あんた、最低ね」


 吐き捨てて、大森さんを追いかけて走っていく。机の影で見えなくなった。

 教室の床にひっくり返ったまま、視界を腕で隠す。

 起き上がる気力は、どうやら机にぶつけた拍子に折れてしまったようだ。


「……最低だ、ほんと」


 教室の扉が殴られた音に天井が揺れる。

 廊下を走る足音は、一瞬で遠ざかっていく。

 クラスメイトの視線が腹立たしく、それ以上に自分の情けなさが苛立たしかった。

 ブレザーの臭いが鼻を突く。


 真面目なんて呼び名は、嫌いだった。

 僕は高潔なわけでも、強い意志があるわけでもない。

 面倒なだけだったのだ。

 わざわざ歯向かうのも、逆らうのも、余計に気を使うだけ。苦労を背負い込むだけだ。だから、いちいち規律に文句をつけることもなく、唯々諾々と従った。

 結局のところ、僕は父親によく似ている。

 最低で、最悪で、肝心なところばかり腐っている。

 布目模様の闇のなかで、独語した。


「やるんじゃなかった」


 最初から。

 僕はなにか、勘違いしていたのだろう。


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