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マジレス禁止令!  作者: ルト
第一章 施行に関する規定
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第一条:禁止令施行

 始業を前にした騒がしさに満ちる教室で、一人の少女が僕を指差した。


「真島くん」


 窓枠に詰まった桜の花弁を意味もなく眺めていた僕は、彼女を振り返る。

 短めの髪を跳ねさせて明るい印象を振り撒く彼女は、自信満々にブレザーの胸を張っている。


「キミに、『マジレス禁止令』を申し渡しますっ!」


 その朗々とした声は、教室のざわめきを打ち払った。

 教室の真ん中よりやや後ろの窓際席に、教室中の視線が集まる。

 僕は眼鏡を直して、眼前に仁王立ちする少女の顔を見上げた。

 ムフンと妙に嬉しそうに笑っている彼女は、知らない顔ではなく、去年に継続して同じクラスになった大森瑛美さんだ。


「あのさ。とりあえず」


 手に開きっぱなしだった本に栞を挟んで閉じる。脇に退けた。然るのちに、体ごと大森さんを振り返る。

 期待するように目を輝かせている大森さんと目を合わせた。


「レスっていうのは、基本的にレスポンスの略で、独自の用語として電子掲示板とかでよく使われているものであって会話には相応しく……」

「わーっ、わーっ!」


 突然耳を塞いで叫んでしまった。


「……なに?」

「そーゆーのがダメなのっ! 禁止! マジレス禁止です!」


 両手を掲げ、頭の上にクロスを作る。

 いきなりそんなことを言われても困る、というかわけが分からない。

 自然に目が泳いでしまうが、規則的に並べられた机に答えは広がっていないし、めいめい椅子や机に座っているクラスメイトたちは、三分の二が自分たちの会話に戻って三分の一が面白そうにこっちを窺っている。

 僕の無理解を悟ったのか、大森さんは僕の鼻先を指差した。


「真島くん! キミは真面目すぎます! 真面目一辺倒です!」


 返事に窮する。確かに彼女の言うことには一理ある、というより、正鵠を射ている。

 いじらない黒髪に銀縁眼鏡、優良の部類に入る成績に加えて八年勤続の学級委員という僕に、ついたあだ名が真面目神。というのも、僕の本名が真島仁(まじまじん)だからだが、しかし内面を端的に言い表してもいる。

 要するに、僕は真面目腐っているのだ。


「なので、今日からマジレス禁止です!」


 どーんと腕を組んで言い張られてしまう。

 しかし、唐突にそんなことを言い張られても困るわけで。


「なんで、その、真面目な返事の禁止につながるんだ?」


 ふふん、とものすごく嬉しそうに笑った大森さんは、人差し指をピッと立てて左右に振る。


「トゥレィニンですよ、トゥレィニン」


 もしかして上手い発音のつもりだろうか。

 大森さんは片手を腰に当てて、右手で僕を指差して上下に指を振る。


「真島くんは、至って真面目な優等生ですが、会話が少々おカタい! 鰹節トーク! それじゃあユルい場におけるトークに支障が出てしまうでしょう」

「はあ」

「いいですか? 今の時代、スペシャリストなだけでも、ジェネラリストなだけでも生き残れません。厳しい時代です。そう、だから今、求められているのは……」


 くわっと丸っこい目を見開いた。


「ずばり、ジェネラリックスペシャリスト!」


 聞きなれない言葉に脳が詰まる。


「じぇ、じぇね……りっく?」

「んふ、それは後発医薬品ですよぅ」


 肩を軽く小突いてきて、なぜか腰をくねらせる。


「そうか、つまり」


 しかし、その大森さんの姿を見て、僕は閃いたものがあった。


「いきなりわけの分からないことを言い出すボケキャラでありながら、いざとなればツッコミに回る多芸さを持ち合わせる、ということだね?」

「いえーっす! さすがは真島くん、頭のめぐりはさすがですね!」


 ぐいっと握りこぶしを突き上げて歓喜を示した大森さんは、その拳を振り下ろした。


「誰がわけの分からないことを言い出しますかっ!」

「ボケキャラは否定しないんだ」


 殴られた頭をさすって大森さんを見上げる。あれだけ体を伸ばして殴っておきながら、全然痛くない。すごい技術の持ち主だ。無駄に。

 大森さんは両手を腰に当てて、むっと凄むように腰を折る。


「とにかく、真島くんは今日よりマジレスを捨て、殻を破って一回り成長したニューエイジ真島くんになるべきなのです!」

「いやニューエイジってなんだよ。必然性がまったく分からないんだけど」

「だって、真島くんコエーっすよぅ! 先生に叱られるみたいで変にビビッちゃいます! その眼鏡の眼光チョーヤベーっすよぅ!」


 自分の体を抱くように体をひねる大森さんは、小柄なおかげで周りの机にぶつからない。しかし、思いがけない評価を告げられて内心落ち込んだ。

 別に僕は、事あるごとに説教をかますような、なまはげ的なサムシングではないのだけれど。

 落ち込む僕の内心に気づいたのかそうでもないのか、大森さんはひらりと顔に笑顔を戻して、僕の鼻先をピッと指差す。


「それは冗談としても、ウィットでユーモラスな会話は、習得して損じゃありませんよ」

「そりゃ、そうだけど」

「ただ心掛けるだけじゃ、ずるずると続くだけでちぃとも上手くいきません! やるなら最初にズバッと極端! それゆえのマジレス禁止令です。お分かりいただけました?」

「……理屈は、いちおう」


 言いたいことは分かるし、結果的に僕のためになるのだろうことは分かったのだけど、……いや、何故?

 答えを知るのかどうなのか、大森さんは満足げにうなずいて微笑む。


「それでは、マジレス禁止です! 破ったら牛乳プリンですよっ!」


 言い置いて大森さんはトットコと僕の前から退散する。


「な、なんだそれ理不尽だろっ!」


 牛乳プリンとは、大山田高校購買部随一の人気スイーツ、特選まろやか牛乳プリンのことだ。甘く柔らかい口どけと牛乳の優しい香りが評判の、低カロリーで美味しくカルシウムもたっぷりと三拍子揃った究極の一個二四八円である。

 一番後ろの窓際二列目に戻っていく大森さんは、きゅるりと上靴を鳴らしてターンし、スカートの端をちょとつまんだ。


「守れたら、ご・褒・美♪ あげちゃいますよっ」

「い、いるかっ!」


 思わず立ち上がって怒鳴ってしまう。

 にゃはー、と嬉しそうに悲鳴を上げて、無駄にぶっ飛ばされたリアクションを取りながら大森さんは席に戻っていく。見計らったように始業のチャイムが鳴り響いた。

 椅子に座り直した途端、口から勝手にため息が漏れる。


「……なんだったんだ」


 目の前の椅子が引かれ、友人が横座りに腰掛ける。


「マジレス禁止? 面白そうじゃん」

「他人事だと思って」


 はは、と無責任な笑顔を浮かべている友人、由良川義裕は僕の机に頬杖を突く。


「真面目一辺倒なのは自覚あるんだろ? 試しに付き合ってみたらいいんじゃねーの」

「またいい加減な」


 そのとき、教室の扉を開けて一時間目の担当教師が入ってきた。教科書とノートを引っ張って、シャーペンの尻をノックする。迅速に授業の体勢に入るあたり、やっぱり根が真面目なのだろうと思う。

 教科書を開きながら、まあ付き合うくらいはいいか、と思い始めていた。


 人がその性格になっていく過程というのは、環境や感じ方によってそれぞれ変わって、一概には言えないものだけれど、こと僕の場合は分かりやすいほうだと思っている。

 小学生のころに、僕の両親が離婚しているのだ。

 それで僕の苗字が母方の旧姓になり、真島仁という冗談のような韻を踏んでしまった。

 母は関係が決裂した後にその事実に気づき、なんと見切りをつけたはずの父と復縁を試みた。だが、三行半を突きつけられてへそを曲げていた父はそれを突っぱね、あえなく離婚が成立した。

 両親はいわゆる出来ちゃった婚というやつで、父はもともとろくな人間ではなかった。酒・煙草・賭博の三本柱が揃っており、仕事の収入は大半が彼の私事に消えていた。

 それでも母の金に手を出さなかったのは、最低限の節度は守りきれた彼の一抹の良心と、責任感の強い母の自己管理能力による。そんな母だから彼と結婚し、二子を育て、あまつさえ断絶した結婚生活を延長しようとしたのだ。

 母は姓を変えなくていいと言ってくれたが、その状況を目の当たりにして、僕はむしろ一種の覚悟が決まっていた。

 僕のためだけに、愛想を尽かしたはずの父との関係をさらに我慢しようとしてくれたのだから、その恩に報いなければならないと思ったのだ。父という反面教師がいたことも大いにある。

 そういう事情で、僕は手堅く理性的たらんとして、立派な真面目堅物へと成長したのだ。

 この性根に後悔もないし変える気もないが、しかし、やはり一抹の退屈は感じていた。

 もう少し、筋道を守った範囲で、どうにかなるんじゃないか、と。

 そういう内在的な欲求が、大森さんの提案に対する前向きな態度に表れていたのだろう。

 そんなことを頭の片隅で分析しながら、お昼休みになった途端。


 大森さんが再び来襲した。


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