乾いた唇
「ただいま」
何度言ってもどこからも返事がない。リビングダイニングにも書斎にも。トイレにもお風呂にもいない。寝室か? と思ったけど、やっぱりいない。残すところはキミの自室だけだけど……。
コンコン
ノックをしてみるが、返事はない。
「ユーコ、入るよ。って……」
ドアを開けて、えぇ~っとボクは肩を落とした。床に転がって、何故かお掃除ロボットを抱えたまま、キミは寝ていた。彼は、何だかもがいているように見える。ピットに帰りたいのに、帰れなくて困っているんだと思う。とりあえず、彼をキミから開放することにした。
「もう……」
キミの腕をそっと持ち上げて、さっと彼をキミから引きはがす。自由を得た彼は一目散にピットに向かって走って行った。
いくら無機物といえども、キミに抱きしめられているなんて、ちょっとうらやましいと思ってしまったボクは、もしかしたら、どうかしちゃっているのかもしれない。
「それにしても……」
一体いつから床の上で寝ているのだろう、とキミの横に座って、キミを見下ろす。
相変わらず、細かいもので散らかっているキミの部屋。よくキミが横になるスペースがあったな、なんて思って苦笑いしてしまう。だから、本当はお掃除ロボットはキミの部屋に入らないはずなんだけど。
顔にかかっている髪をそっとよけると、ボクのことなんてまったく気がついていないキミの寝顔があらわになる。
無意識のうちに、キミの髪を何度もなんども撫でていた。
そのうち、ボクの指がキミの髪に絡まってしまって、キミの髪をちょっと引っ張ってしまった。
「痛い……」
ボソッとキミはそう言って、寝返りを打った。
起きたわけじゃないんだ……、と一瞬安心してから、変なことが閃いた。
寝ているときのキミって、意外と鈍い……? もしかして、眠っているときのキミになら、多少のことをしても気付かれないんじゃない? って。
そう思ったら、普段の溜まっているものが、一気に噴出しそうになった。
キミの頬にボクの手を滑らせる。その手をキミの首筋に滑らせたあたりでキミの目が開いた。一瞬、マズイ!! とあせったボクとは裏腹に、キミは何事もないかのように「あぁ、お帰りアッ君」と眠たそうに言った。
ボクの手が首筋にあることに気がついて、キミが「大丈夫、死んでないから」と言って、体を起こした。
「だよね……」
ハハハ、とボクは乾いた笑いしか出なかった。
そんなボクを見て、キミは何かを察したようだった。ボクの顔をじっと見て、キミは首を右に左に傾けた。
そして、キミの手がボクの頬に触れる。そのまま、流れるようにボクの唇をキミの指がなぞる。たったそれだけのなのに、ボクはなんだかドキドキした。
「アッ君」
キミがボクを呼んだのと同時に、キミの手がボクから離れた。
「唇、切れてるよ」
そう言って、ゴソゴソとキミは自分の周りを探して、リップクリープを出す。
「はい」
「……、あ、ありがとう……」
状況を上手く把握できないボクは、キミから差し出されたリップクリームを取り合えず受け取った。
「そんな唇で、チューされたくない」
キミはニコッと笑って、ボクを見た。
ボクの妄想、キミに見えたのか……?