表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の都  作者: かの@
12/12

賽は投げられた2


「キース殿、それでどうしました?」


ルーを見送ってからアーシャは向き直った。目の前の男──キースは、今は不本意ながらもアーシャと仕事上のパートナーだ。全く信頼などできないが、気配を消すことにかけてはこの男は完璧で、その点においては舌を巻く。


「指令ですよ、アリシア──いえ、アーシャ殿」

「その名前では呼ばないでください。誰が聞いているかわかりませんから」


 アーシャは眉をひそめた。王宮の中では誰が耳をそばだてているかわからない。それが解らない男ではないはずなのに。あえて危険を冒して楽しむ、厄介な性癖が垣間見える。

 キースは狐のような目をいっそう細めて軽く嗤った。そしてまじまじとアーシャを上から下まで眺める。


「大丈夫ですよ…今の貴方は、本当に別人だ」


 確かに、とアーシャは思った。最初は鏡の中に映る自分の姿に驚いたものだ。

 目立ちすぎる銀色の髪を黒に染めると、やはり印象はだいぶ違ってみえる。それに、黒縁の眼鏡は彼女の強いまなざしを押し隠すことに成功していた。今のアーシャを見て、アーシャだと解る者は親しい者だけだろう。

 キースがすっと表情を消した。

                                                                                                     

「今度、国王陛下が宴を開きますね」

「ええ」

「そこで、頼みたいことがあります」


 キースは大司教からの任務を、手短かに説明した。アーシャは黙って頷く。ついに、動くべき時がきたのだ。屋敷を出たのは、まだ息も凍るような冬だった。季節は変わり、今は野に一面花が咲き乱れている。王宮にも慣れ、勝手も解ってきた。


「ところで。あの少年と、仲がいいようですね」

「…本来の目的は忘れていません」


 アーシャの声は頑なだった。ふ、とキースは口元を歪める。


「余計な情は、邪魔になるだけだと忠告しておきます」

「仕事の話はもう終わりですか。あまり話していても怪しまれるでしょう」

「おやおや。どうも私は貴方に嫌われているらしいですね」


アーシャは何も言わない。この男に何か言い返すだけ、無駄なのだと解っている。


「まだ、あります。どうやら、最近また『魂を売って』いるようです」

 掌に、紙を押し込まれる。アーシャは眉をひそめた。

──またか。

「制裁を。…セシル殿と一緒にお願いしますね」

「わかりました」

 低い声で返すと、キースは満足そうに頷いて去って行った。アーシャは掌の中の紙にさっと目を通すと、深い溜め息をついた。どっと、一気に疲れが押し寄せてくる気がした。


***


 ルーは王宮からの帰り道、いつものように東の通りを抜けた。西とは違って、ここは騒々しく、野蛮な活気に満ち溢れている。

 露店に並ぶ色とりどりの商品たち。運河を使ってやってくる商人たちが、遠い砂漠の向こうから運んで来た珍しいものばかりだ。砂埃にも負けない鮮烈な色使いに目を奪われる。

 土の匂い、馬の匂い、汗の匂い。おいしそうな肉の匂いや芋のふかしたものの匂いも混ざりあって、噎せ返るようだ。空っぽの胃には、よく沁みた。育ち盛りの身には、やはり一日一食は辛い。

 王宮でつとめるといいことは、相場より少し高い給金以外にもある。昼に賄いが出ることだ。固く黒いパンと野菜の切れ端が入ったスープだけだったが、それでもルーにはありがたい。だからたとえ下働きでも、宮仕えの人気は高いのだ。誰もが王宮に勤められるわけではなかった。王族や貴族が生活する以上、身元の確かな者でなければならない。町医者のグードが紹介を引き受けてくれなければ、まずルーも無理だっただろう。


「へい、そこのお兄ちゃん。おいしい揚げ菓子はいかが」


 お腹が空くばかりなので、あまり視界に入らないようにしていたが、ふと甘い香りにつられて見やると、細長いパンを揚げて砂糖をまぶしたものが目に入った。

 家で待っているだろう、幼い妹──ミルティの顔が思い浮かぶ。甘いものが大好物で、嫌いなものは苦い薬。でも彼女は、その苦い薬を毎日飲まなくてはいけないのだ。おそらく、一生。だから、その分大好きな甘いものを食べさせてやりたかった。

 最近仕事が忙しくてあまりかまってやれない。今日もミルティはちゃんと文句を言わずに薬を飲んだだろうか。


「おじさん、1本ちょうだい」


 ルーはポケットから大事に一枚の銅貨を取り出すと、声をかけた。



 今日は気分がいい。ルーは鼻歌歌いながら、船頭に礼を言い、小舟から飛び降りた。衝撃でがたん、と小舟が道の縁にあたって小気味良い音をたてる。手持ちの紙袋ががさがさ鳴った。揚げ菓子が2個、仲良く並んで入っている。露店の店主は、今日娘が生まれたらしく、上機嫌で1個おまけをつけてくれたのだ。

 ミルティは揚げ菓子が大好きだった。彼女が笑顔になるところを想像すると、それだけでルーの気分はふわふわしてくる。


 ルーの家は、雑多な裏の水路を更に奥に入り、橋の下をくぐり抜けたところにある。薄暗くて、日の光もささないところ。水路の行き止まり、背の高い建物に囲まれて、空が四角い。

 薄汚れた建物の間にはロープが橋渡しされて、ひらひらと洗濯物が風に靡いていた。ここは不気味なほど静かだ。けれど確かに、沢山並ぶ扉の向こうには人の気配が蠢いている。


「ただいま、ミルティ」


 ルーは声を弾ませながら、ぎしぎしと悲鳴をあげる扉を引っ張った。

 その瞬間、少し違和感を覚える。薄暗い。いつもなら、蝋燭の明かりがついているはずなのに。


「ミルティ?」


 開けっ放しになっている扉の中をのぞく。ルーはすうっと自分の身体から血の気が引いて行くのがわかった。床の上に、割れたガラスのコップの欠片が散らばっていた。そして、その傍には、ルーと同じ赤茶色の髪の毛が扇のように広がっている。


「ミルティ!!!」


 彼の血を分けたたった一人の妹が、青ざめた顔で倒れていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ