Ⅱ-5 ヴェルデフォル号と海賊たち
話している最中も話し終えた今も、凜の瞳にはブレがない。
だが黒い瞳に映るフェンリルは渋面だ。
此方だの其方だのとあまりに突拍子もない話だ。
女は訳がわからんと言い捨てるような話ではない。
頭のおかしい小娘の戯言として突き放してしまえばいいような話だ。
螺子のぶっとんだキャプテンなら腹を抱えて笑い転げるかもしれないが。
しかし精神をやられた人間と切り捨てるにはこのリンという娘はあまりに透徹としていた。
―――キャプテンが俺に丸投げしてきたわけだしな
フェンリルはこの面倒事に乗ることにした。
別に彼女の身に何が起きたところで自分が取らなきゃならない責任などないのだ。
「はあ・・周りを誤魔化すにはもうちょい厚手の服か色のついたもんがいいだろうな」
「で、では、この船にいてもいいと・・? 私の話を信じてくださったのですか?」
「信じたっつうか、本当だろうと嘘だろうとこっちにゃ関係ねえ話だったしな」
それを聞いた凜は少しの間表情を消したが、すぐに喜色を浮かべた。
「その通りですよね。私、船に置かせて頂ける間はなんでもいたします!」
「そう喜ばれてもな。こっちからしたら追い出すわけにもいかねえし、売り飛ばすのは後味悪りぃってだけの話だ」
物言いたげにしたが凜が何も言わなかったのを見てすかさずフェンリルは口を開く。
「うちは海賊だからって人の売り買いはやってねえんだよ。そういう意外そうな顔すんな。ったく、もう寝ろ。その顔色じゃあ当分寝台暮らしは免れねえからな」
フェンリルは身体を起こそうとする凜を片腕で毛布の中に押し込んだ。
***
フェンリルが甲板に出ると船尾にいたディーツに手招きされた。
楽しげに表情を煌めかせるディーツの横でヴィントが興味なさげに舵を取って進行方向を確かめている。
「先生ー、あのガキどうした?」
「げろんげろんになって潰れてるよ。ゲロ吐く時でも品がよろしくて驚いたぞ」
「ぶははははっ!! だが貴族のボンボンっつうには肝が据わりすぎてるよなー」
「なんとかっつう貴族様の影武者兼小姓だとよ」
「小姓? あ、やっぱヤられてた? 軽く匂わせてもしれっとしてたから分かってねえのかと思ったぜ」
ディーツは下卑た笑いを浮かべながら手を卑猥に動かした。
「反応するのはそっちかよ。下の事情は知らねえよ」
呆れ顔でディーツの下世話な勘繰りをかわしながらも、自分の見た反応だけではどちらとも言えないと思っていた。
「影武者だってのは?」
「刃物は使ってたらしいが実力はお楽しみってとこだな」
「あの細っちい腕で何をしてくれるってんだろうなー。くっくっく」
ディーツはお愉しみを待ちきれない子供のようにはしゃいでいる。
最近はつまらねえつまらねえと呪詛のように呟いていただけに、その反動なのかなんなのか衝動を抑えきれないらしかった。
傍目には薄気味悪いが付き合いの長いヴィントからすると大したことではないらしく相手にもされていないのが少々哀れだ。
「あの調子じゃ3、4日は医務室暮らしだな」
「・・・3、4日でいいのかよ、先生? 次の港につくまで7日はかかるぜ」
ディーツは人の悪い笑みを隠さずギラリと目を光らせた。
「ただの雑用をいつまでも医務室に置いておくわけにゃいかねえだろ」
「そーだな、そーだな。早く回復することを聖母様にお祈りしなきゃいけねえなぁ。な、ヴィント!」
ついに辛抱堪らなくなったのかヴィントにまでちょっかいを出しはじめた。
「・・ラムも飲んでねえのに酔ってんじゃないよ」
「ったくつれねえなあ。海の男ならこういうアクシデントをもっと喜べよ」
「我・関・せ・ず」
ディーツを冷たくあしらいつつも確かめるような目でちらりと見られたことにフェンリルは気付いていた。
だがフェンリルは敢えて否定しない。
こうして楠木凜は漂流していた異国の少年としてヴェルデフォル号に迎え入れられることとなったのだった。