Ⅱ-3 ヴェルデフォル号と海賊たち
―――海賊!
海賊がなぜ凜の命を拾ったのか。
何が目的なのか。
凜は着の身着のまま、持っているのは何もなく身体くらいだ。
―――身体…
白髪の男によって凍らされ振りまわされた揚句に突き落とされた精神を立て直す前に再び戸が開いた。
見慣れた栗毛色の髪を無造作に肩に流し、短い顎髭をたくわえた大きな男。
目測で六尺五寸。
ガラの悪さが目につくが、広い額と太い眉毛の奥目は理知的であるように思える。
「あん? お客サマはもう目が覚めたってのか?」
その粗野な声に被せるように別の声がした。
「そうなんだよ。眠らせたんじゃねーの、先生?」
キャプテンと呼べ、と言っていた派手な装束の男だった。
よく見れば他の二人と比べて若干年若いような気がするが、ずかずかと室内に入り込んでどっかりと椅子に座り、机上の凜を面白そうに見上げた。
芝居がかった鷹揚な仕草で被り物を取ると丁寧に結えられている山吹色の長い髪に光が当たって煌めいた。
眉骨がぐっと張り出し、奥目で、鼻が高い。
そしてこの男も目が青い。
物珍しくつい見つめてしまいながらも、何をどう仕掛けてくるか分からない得体の知れない瞳の奥の光を見て取って、凜はそっと緊張の糸を張った。
「さて、何から話そうか、お嬢ちゃん」
「私は女ではありません!」
凜はすかさず叫んでいた。
女であることは圧倒的な不利であるように思えた。
それに忍であることは相手が誰であろうと隠さなければならないという掟がある。
普通の女は凜のように男と渡り合えるほどの異様とも言える運動能力を持たないから、それを誤魔化す必要もあった。
流れる沈黙が何を意味するものなのか、凜には判断しかねた。
三人の男たちの表情は三者三様だったが考えていることは大して変わらなかった。
確かに肉付きが薄くて女らしい曲線はないとはいえ、華奢な顔立ちや体からして女としか思えない。
だが、彼らがまだ名を知らない子供は真剣だった。
沈黙を破ったのはディーツだった。
「お前、名前は?」
「楠木 凜と申します」
「ほお、家名持ちか。だがリンなんて貧相な名前の家は聞いた事ねえな」
大笑いされた凜はむっとした表情を隠さなかった。
「凜は私の名です。家名は楠木。由緒正しき誇り高き家の名です」
命名したのは長であった祖父だ。
祖父はその名を与えるに実に相応しい超然とした人で、凜が最も尊敬する人物だ。
この名は頭領であった祖父がくれたもので、凜はそのように在りたいと誇りに思っている。
「常に威厳と気品に満ち、毅然として高潔でいられるように。透徹にして凛々しくあれと、祖父が名付けて下さったのです」
部屋の空気が少し変わった。
「ほぉ。こりゃとんだ幸運の女神が現れたもんだ」
ディーツが片眉を大きく持ちあげたのを見て、凜はよく動く眉だと思いながら訂正を忘れない。
「・・・これは二度目ですが、私は男です」
「この船の名はヴェルデフォル。威厳に満ちた者、凜として生きる者とかって意味だ」
「・・・・・」
凜は息を飲んだ。
これを素直に幸運だと思って受け止めてしまっていいものかは分からない。
海賊の船の名と同じ意味を持つなど嬉しいなどとは思わないが、ほとんど持ち駒のない凜にとって、この微かな縁は先に繋がる一縷の望みに思えた。
―――此方に着てから僥倖続き・・・
此方に来たばかりの時は混乱と動揺のままに周囲にいた彼らに身を任せてしまったが、あれも偶然の幸いだった。
あの船に不思議な婆様が乗っていたことも、船長が凜の状況にやたらと物分かりが良かったことも。
瑞穂国にも占いや予言をする巫女がいたが、めったやたらにいる存在ではなかった。
此方でもそれは変わらないだろうと推察できる。
だから、まずは彼らの無事を確かめて居場所を突き止めるか、あの婆様の所縁を訪ねるのが一番であるように思えた。
海賊であればきっと海を広く巡るに違いないから情報を集めるにはうってつけだろう。
相手が海賊であることが分かっている以上、凜はこれ以上ないほど慎重に行動する必要がある。
どんなに野蛮な行為をしていて、凜自身に危険のある船だとしても構わないと思った。
もしこの世界のお上に頼るべきであったとすれば、彼らを売り渡して恩を作るということもできなくはないだろう。
瑞穂国、伊通の元に戻ることができるならばどんな非道なことでもしてみせると覚悟を決め、凜は挑むようにディーツを見つめた。
「私は人を探しています。もし貴殿の船が海を巡ると言うのなら人を見つけるまで、この船に置いていただきたいのです。言いつけて頂ければなんでもいたします」
この瞳は本当に瞳の役割を果たしているのだろうかと奇妙な疑問を抱きながら、凜はこの船の長の目からけして視線を外さなかった。
凜は青く冷たい瞳を燃やせると思えるほど見つめ続けた。
大きな瞳を一瞬細め、男はくふりと笑った。
「ガキ、じいさんに助けられたな。当分は医務室で安静状態だろうが慣れたらこき使ってやるから覚悟しとけよ」
「ご厚情感謝いたします!」
ところが今まで横で黙っていた白髪の男が難色を示した。
「ちょっと、ディーツ、俺は反対。独房に閉じ込めて次の港で降ろすべきだね」
「なんで? ちょっとおもしろそうだし、こいつは何もできねえお嬢ちゃんじゃねーんだぜ?」
白髪の男は冷え冷えとした視線でディーツを睨み、そのまま凜を見た。
「歳は?」
「15になります」
「は?」
「そりゃないだろう!」
凜が大真面目に言った途端、否定された。
「おっ前、いくらなんでもその背格好で15はないだろ!」
実際のところ、凜は17だ。
男の身体を騙るには華奢すぎるかもしれないが、2歳もサバを読んでいるのにまだ否定されるのは心外だ。
「そんなことありません。ただ、貴殿方は私の知るどの人物と比べても体躯が豊かでいらっしゃいます。そもそも生まれ持った体の造りが違うと申し上げても過言ではありません。きっと、私が貴殿方の知る15の者と比べて華奢なのはそのせいなのだと思います」
男たちから見れば、凜は15歳というには女にしても華奢だった。
15歳の少女と言えば社交界デビューの年頃でもう少し肉付きもよく背も高いはずだが、彼女は150cm程度しかなく、身体つきだけでなく顔立ちも丸みがあって幼く見える。
実際11、12歳だと思っていた。
―――百歩譲って15歳の少女だとしても、男だって主張は信じられるわけないでしょーが
白髪の男はディーツにその視線を刺したが、届かなかったのか撥ねつけたのか、船長は能天気な声で笑った。
「そーかそーか、そりゃ悪かった。細こくて色白美人なんて図星刺されたら怒るのも無理ないよなぁ。だが、その形じゃ男だろうと危険はあるが大丈夫か?」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべるディーツを二人の男は白けた目で見た。
「男子たる者、そのような脅しに怯むはずがありません」
毅然と顔を上げる姿は紅顔の美少年と言っても通るように見えた。
「へええ、一端の男みてえな顔もできるのな。見たか、ヴィント? じゃ、取り敢えず、先生こいつのこと頼むわ」
***
二人が出て行き、船尾楼に残った二人はあまり良い雰囲気ではなかった。
正確には白髪の男が。
「怒ってんのかよ、ヴィント」
いたずらっぽい笑みを浮かべて椅子から見上げるディーツを冷徹に見下ろすヴィントは実に対照的だ。
「どういうつもりよ? 面倒は願い下げ。お前の退屈しのぎには付き合ってられないね」
「そう言うなよ。男か女かってのは置いといてもなかなか気骨があっておもしろそうな奴じゃん」
「男でも女でも関係ない。あんなお綺麗でお上品な子供、絶対に何かの火種になるに決まってるね。しかも先生が何も言わないからって押し付けてんなよ」
ヴィントの冷ややかな声を受け流すようにディーツはのんきに笑った。
「お前それ本気で言ってるのかよ? そりゃあ俺に何言ってもしょーがないって分かってたからだろ。つうかヴィントだって結局は先手打って先生に押し付けてるじゃねえ? 片棒担いどいて性悪はどっちだよ」
「・・・あんなにすんなり面倒見るとは思わなかったけどな」
「面倒見の良い男ってのはいーよな。絶対手駒の一つにしとくべきだぜ」
ゲラゲラ笑うディーツはヴィントの苦言を100%聞き流すことにしたようだ。
ヴィントはこれから起こるだろう大なり小なりのいざこざを想像しないことに決めて船長室を出た。