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海としのび  作者: 鈴宮
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Ⅱ-1 ヴェルデフォル号と海賊たち

人魚の歌声が聞こえたと一人の男が言いだした。

馬鹿にしていた者達にすらも美しい音が聞こえるようになり、ヴェルデフォル号は騒然となった。

人魚に囚われて死ぬという噂は昔から信じられていて、いつもは鼻で笑いとばしているような者まで内心では信じていたりする。

高みから見ているとそんな男たちの様子が手に取るように分かる。

「アレじゃないの?」

不気味な緊張感が走っていた船に響いた傍観的な声を聞きつけて船員たちが甲板の左舷に走り出る。

船の残骸の上に黒い海藻のようなものが広がっているのが見えた。



***



『にん………か…』

『……より……しろ』

『………どこ…』

『…んだ………とけ…』

振り払ってから頭の奥で気が付いた。

今の自分は他人の手を警戒するだけの余裕を持っているのだろうか。

朦朧とする頭では助けを求めなければならないと思っているのに、身体が他人の体温を拒絶する。

霞む視界の向こうで白い光が煌めいた。



***



頭の奥がじんじんと痺れて目が覚めた。

人の声とともになにやら慌ただしい様子であるようだったが思うように身体が動かない。

目の上には濡れた手ぬぐいが置かれていたが温くなってはいない。

どうやらまた船の中に逆戻りしたようだ。

もしかしてあの船長ではないだろうかと、凜は詮無い期待をしてしまった。

助かっていてほしいという願望のせいかもしれない。

この部屋に来るまでの記憶はぼんやりとあった。

ガヤガヤと野太い声の主が多く、皆口々に何か言っていた。

触れられている他人の体温が気持ち悪くて身を捩っていたつもりだが、もしかしたら一寸たりとも動けていなかったような気がする。

やっと他人の体温から開放されたと思ったら、鼻をひどく刺激する臭いのした湿った布で口と鼻を封じられて…そこからぷっつりと記憶がない。

恐らくあの刺激臭は意識を奪うための薬かなにかだったのだろう。

そうでなければ一族の中でも人の気配に敏感な凜が気付かないはずかなかった。

意識を奪ったが何もされていない。

その状況にこの喧騒が関係あるのか、それとも何の拘束もなく戸が開け放たれている状況からして、単なる眠り薬か。

助けてもらった恩はあるが、薬を使われたことで凛の気は立っていた。

重い手を無理矢理動かして身体をまさぐり、武器を確認する。

両腕と太ももに仕込んだ隠し千本の存在を確かめて少し安心した。

そういえば此方に来てから最後に武器を確認したのはいつだったか。

あの船に乗り込む時には腰に下がっていたはずだから、嵐の海に落としてしまったのだろう。

クナイ、手裏剣、鉤縄、撒菱、石筆、火薬、薬…七つ道具が一つもないのは心許ないが諦めるしかない。

手甲などの忍具を着けたまま海に落ちてよく二度も助かったものだと思うべきだ。

揺れそうになる心を落ちつけようと必死に千本を撫でた。

刃物の鋭利なつやが凜に冷徹さを取り戻してくれるような気がした。

千本自体は潮のせいで錆びたかもしれないと思ったが今のところ問題ないようだった。

鼻をつく薬酒のようなにおいのする暗い船室で凜は浅い呼吸を繰り返しながらも注意深く辺りの様子を探る。

近くに人の気配はない。

凜の寝ている寝床、横には小さな椅子と台、文机、戸棚。

頑丈そうな戸棚には非常に透明度の高い硝子が嵌めこまれていて中にはこれまた硝子瓶が並べてあった。

どこか高貴な人の部屋だろうかと思ったが、装飾にしてはあまりに色気のない瓶だったし、周りにある文机や椅子は質素そのものだ。

身体が重だるく、熱もあるようで、ひどく喉が渇いた。

壁に縋りながら褥の上に起き上がると枕元の小さな棚の上に水があり、戸惑いながらも手に取った。

少し黴臭いような気もしたが、舐めて見た限り気になるような味はしない。

凜は覚悟を決めて一気に飲み干した。

干上がった喉はすぐに水を吸いこんでしまったが、渇望感が薄まって少し落ち着いた。

先ほどから聞こえている喧騒はどうやら階上から聞こえてくるようだった。

この部屋を出ようか迷っていると覚えのある、腹に響くような轟音と共に激しい横揺れが生じて凜は高さのある寝床の上から落ちた。

―――あの時と、同じ…

海賊が襲ってきた時と同じ。

凜はふらつく足を叱咤して壁に縋って歩き始めた。

戸に手をかけた途端、また横揺れがしてそのまま戸を突き破るようにして無様に廊下に放り出された。

音に耳を澄ませ、廊下を辿って甲板に出ると目の前を男たちが駆け回っていた。

ほんの少し離れた海の向こうには船がもう一艦。

柱に縋って目を凝らして様子を窺っていると、向こうの船が白い布を振った途端にこちらの船からは雄叫びに似た歓声が上がった。

「もう起きたのか」

近いところから声がして、気配に気付けなかったことにぞっとした。

野太い声がどんな色を持っていたのか判断がつかない。

覚悟を決めて振り返ると、紅の布に金の刺繍を施した衣を羽織り、頭にはとてつもなく大きな鳥の羽を飾った衣と同色の被り物をした、またしても六尺程の身丈の男がいた。

芸人かと思ったが、いかにも屈強な筋肉を全身に張り付け、磊落な笑顔を見せながらも眼光鋭い顔つきには歴戦の武士のような貫禄がある。

あの船長とは異なるがこの男にも長たる雰囲気があった。

「貴殿がこの船の長殿おさどのですか?」

「ディーツだ。キャプテンと呼べ。だが話は後だ。そうだな、そこの部屋で待ってな」

凜は一瞬迷ったが、潔く頷いて戸を開けようとした。

だが押しても戸はびくともしない。

躍起になって開けようと奮闘していると、後ろから手が伸びてきて、手前に戸が開いた。

押して開く側があれば、引いて開ける側があるに決まっている。

それだけのことに頭が回らなかったことが気恥ずかしく、顔も見ずにかたじけないとだけ言って部屋の中に飛び込んだ。

どこに居ればよいのかと部屋を見渡し、結局椅子の側の床に端座して待った。


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