Ⅰ-2 異世界へ来た忍者
鬼のような男は凜を子供だと思い込んでいて、凜のことを坊主と呼ばわった。
訂正しようかと思ったが説明すると伊通との関係まで話さなければならなくなるのでやめた。
船はがっしりとした木の造りで、瑞穂国にある船とはまず木が違うようであった。
戸は引き戸ではなく押したり引いたりして開けるもののようで、物珍しく見た。
船長と言うのはこの船で一番偉い人物だというから、頭領のことだと分かった。
開けられた部屋には、紙のようなものや皮かなにかで綴じた綴りのようなものが散乱していた。
本当に紙なのだろうか。
このような船といい、紙といい、当然のように存在しているのが信じがたかった。
軽い畏怖を覚えながらもこの船の頭領に見えることになったのだが、これまた六尺ありそうな男だった。
いや、見ないように考えないようにしていたのだが、この部屋に来るまでにこちらを興味深そうに見ている者達がたくさんいて、目測ではその者達の中にも六尺を超えていそうな者がたくさんいて、凜は自分の目が本当にどうかしてしまったのだろうかと思った。
***
どこに行きたいんだといきなり用件を切り出した男に祖国の名を告げると、首を傾げられた。
「みずほのくに?」
「ええ、ですから都に」
暖かい飲み物と着替えの代わりに大判で厚手の布に包まり、待遇の良さにほっとしたのも束の間、一向に話が噛み合わない。
瑞穂国など聞いたこともないというのだ。
一方、凜も船長が次々に挙げる聞きなれない響きの土地の名前に閉口していた。
この船は商船で世界中の海を回っているが瑞穂国という名を聞いたことも凜のような姿形の者には会ったことも一度もないというのだ。
凜は訳の分からない状況に、忍としてはあるまじきことだが狂乱して取り乱しそうだった。
そこに突如何かが押し寄せる気配がした。
「災いの相じゃぁああああ!!!!」
凜は驚いて開け放たれた戸を振り向き見た。
しわくちゃの婆様が凜に急接近してきて、老人を突き飛ばすわけにもいかず、婆様と目を合わせる形になる。
「またアンタか」
頭上で船長の呆れたような声がした。
「この婆さんはうちの乗組員の祖母なんだが、この航海に出る時に勝手に乗り込んでた変り者でな。悪さをする訳じゃないが変なことばかり口にする。しかもあながち嘘ばかりじゃないから困るんだな」
言い訳するように言ったが婆様の口を止めようとしている訳ではないようだった。
「お前、この世の者ではないな」
凜ははっとした。
「やはり……私は死んだのですか」
しかし婆は、確信を持って問いただした凜を鼻で笑った。
「阿呆が。死んだ者が此の世におるわけあるまい。彼の世と此の世ではない。そうさな、言うなれば、此方と其方とでも」
「こちらと・・そちら・・・」
婆様は憐れむように凜を見た。
「海を越えたところで戻れる場所ではない」
***
「戯けたことを!」
凜は激高した。
この時、凜は常識では考えられないような自分の状況を処理できずに混乱していて常の平静さを失していた。
老人は敬うべきであるのに、それを忘れて掴みかかろうとしたのだ。
だがその手にかける半瞬前に我に返る。
―――これでは八つ当たりだ
怒りは急速に引いた代わりに身の置き所のないようないたたまれなさと暗澹とした不安を残していった。
凜を睨みつけていた老婆に深々と頭を下げて非礼を詫びる。
「婆様、無礼をお許しください」
小さくなった凜をどう見たのか船長は椅子から立ち上がった。
「落ち着けって言ったところで落ち着けるかは分からないが、今日のところは飯でも食って早く寝て、疲れを取れ。まともな考えも出てこないだろ」
船長は凜の目の前に立ち両肩に手を置いて見下ろした。
「来たのに帰れないっていうのも無体な話だ。帰れるまでいくらでも俺の船に置いてやるから、泣くな」
凜の頬には一筋の水が伝っていた。