記憶は誰かを組織する
私は一年前の記憶がなかった。
いくら思い返しても暗闇の中で手を伸ばすような感覚だった。届くのに見ることができない記憶。大事な部分が隠されているような気もする。分からない。私には分からないことが多い。
ちょうど一年前だ。
たった一年前だ。されど一年。一年前の記憶というのは直近で私を形作る要素だったりする。記憶は人格の塊。
私には人格もないのだ。記憶が消えてしまえば、私が私であったはずの証拠もおぼつかなくかる。
一年前のその前の記憶はある。それなのにどこか手探りな感覚に近い。
私は明るい性格だった。果たして本当にそうだろうか。一年前の私は明るい性格だった。これならば示しが着く。しかし私は? 一年前の私はどんな性格であった?
思考を巡らしているとぐるり、と視界が回転した。思考が追いつかずに視線は天井に向かう。力を入れても天井との距離は縮まらなかった。その時、私は初めて理解した。
私は寝床から身を起こそうとしたのだ。体は自然に動いていたらしい。しかし、今私は起き上がることすらできずに空を仰いでいる。
私はこれほど弱い体の持ち主ではない。転んで起き上がれないほどの私は存在していないはずだ。勿論、私が起き上がれなかった理由もあるのかもしれない。そういえば私の腕はこれほど細かっただろうか。筋肉がない? 私が筋肉のない私になっただけかもしれない。分からない。私には分からないことが多すぎる。
しかしひとつだけ分かることがある。私は私ではない。直感がそう叫んでいるのだ。ただの直感。されど直感。本来の私が私でない、と勘づいている。本来の私ならば転ばない。そしてすぐに立ち上がる。本来の私であれば。きっと。分からない。断定はできない。私は私なのか? 私は私でないのか? この体は私のものでは無い気がする。違和感がある。ただの違和感。そう言ってしまえばおしまいだがそれにしても私の体はこうだっただろうか。何も体だけで私の存在意義を示すわけでは無い。
しかし。私の身体はもっと別の何かだった。そうもっと別の……。
視界に移る蛍光灯が点滅した。こんな蛍光灯を持っていただろうか。私は蛍光灯が嫌いだった。蛍光灯なんてそのうち売られなくなる。そんなものを私は買っただろうか? 本当に? 違和感が次から次へと身体の毛穴から這い出る。ここは本当に私の部屋なのか。そういえばもっと天井は高い気がする。ここにいる私は私なのか。私は私でないのか。分からない。
記憶は人格の頼りだ。私が私であるという証明も、私が私でないという証明も、記憶がなければ果たすことができない。過去のデータから私であるという事実を確認するのだ。人の記憶は人を創り上げる。私の記憶は私を組織する。
誰か教えてくれ。一年前の私はどんな私だった?
絶賛小林泰三先生にハマり散らかし、朝の通学時間に書き上げたホラー短編です。不明瞭すぎてホラーではないのではと思いつつわかりやすく修正しながらも「わからないこそがホラー」という概念に挑戦してみました。
お読みいただきありがとうございました。




