孤独な王子と、黄金色の約束
「更生計画」を始めると決意してから一週間。
私は父であるヴァン・アデール公爵に同行し、王宮で開かれる「親睦のお茶会」にやってきた。
名目はお茶会だが、実態は貴族たちが自分の子供を王族に売り込み、子供同士の序列を確認し合う、恐ろしい「社交の戦場」だ。
(……いたわ。私の、未来の殺害実行犯)
豪華なシャンデリアが輝く大広間。その喧騒から逃れるように、一人の少年がバルコニーの影に隠れていた。
第一王子、エリオット。
8歳の彼は、まだ私を処刑した時の冷酷な面影はない。むしろ、今にも消えてしまいそうなほど頼りなく、その背中は孤独に震えていた。
「……また、僕だけできなかった」
風に乗って届いた小さな呟き。
今日の昼間、武術の訓練で彼は剣を落とし、年下の弟王子が鮮やかに的を射抜く横で、大人たちの失笑を買ったのだ。
本来の「前世のリリアーナ」なら、ここで彼を「情けない王子様」と嘲笑い、自尊心をズタズタにしていただろう。その積み重ねが、彼を冷徹な「闇堕ち王子」へと変えてしまったのだ。
「殿下。そんなところで、夜風に当たって風邪でも引くおつもり?」
私はわざと重めの足音を立てて、彼の隣に歩み寄った。
エリオットはビクッと肩を揺らし、私を睨みつけた。その瞳は、すでに世界への諦めと、私のような「傲慢な公爵令嬢」への警戒心が混じっている。
「……リリアーナ・ヴァン・アデールか。また僕を笑いに来たのかい? 『無能な王子様、弟君の爪の垢でも煎じて飲みなさい』って。……好きに言えばいい、どうせ事実だからね」
自嘲気味に笑う彼の拳は、白くなるほど強く握りしめられていた。
私は何も言わず、彼の手をグイッと引き寄せた。
「な、何を……っ! 離せよ!」
「……いいえ、離しませんわ。見てください、殿下のこの手」
私は彼の小さな掌を、自分の両手で包み込んだ。
8歳。本来ならまだ、柔らかい子供の手であるはずだ。
けれど、彼の手のひらには、マメが潰れては固まり、また潰れた跡がいくつも残っていた。
「……剣を落としたのは、あなたが限界まで剣を振り続けた証拠ですわ。……弟君は器用かもしれませんが、殿下のように、誰にも見られない場所で血の滲むような努力を続けられる人は、この国にそうはいません。私は……」
私は一歩踏み込み、彼の目を見つめた。
「私は、あの中の誰よりも、殿下のその手を美しいと思います。……だから、そんなに悲しい顔をして、自分の価値を否定しないでください」
「……え」
エリオットは言葉を失い、呆然と私を見つめた。
今、この瞬間、彼の世界で「努力」を認めてくれたのは、私だけだったのだろう。
私はドレスの隠しポケットから、銀紙に包まれた特製の「金色のキャラメル」を取り出した。
「お口を開けてくださいませ。あーん、ですわ」
「えっ、あぐっ……」
驚いて開いた彼の口に、キャラメルを放り込む。
一瞬固まったエリオットだったが、やがてバターと砂糖の濃厚な甘みが広がったのか、表情がふわりと緩んだ。
「……甘い。……なんだか、胸が熱くなるような味がする」
「美味しいものを食べている時は、悪いことは考えられませんのよ。……殿下、約束してください。誰に何を言われても、私があなたの味方であることを忘れないと」
エリオットの瞳に、ポッと小さな、でも熱い光が灯った。
それは絶望の闇を払う光だったけれど、同時に、私への深い「執着」の始まりでもあった。
「……リリアーナ。君は、変な子だね。あんなに高飛車で、僕のことなんて見向きもしなかったのに。……どうして、そんなに優しく笑うんだ?」
「……。それは、あなたが、笑っている方が素敵だからですわ」
私は最高の笑顔を作った。
エリオットは顔を真っ赤に染め、俯きながらも、私の手をギュッと握り返した。
「……わかった。約束する。君が味方でいてくれるなら、僕は……世界中を敵に回してもいい。……いや、君だけがいれば、他には何もいらない」
(よし! 胃袋と心、両方掴んだわ!)
意気揚々とバルコニーを後にした私。
けれど、背後でエリオットが、私がキャラメルを渡した手を大切そうに胸に当て、私が去ったあとの空間を熱い視線で見つめ続けていることには、まだ気づいていなかった。
エリオットの心の中で、「リリアーナは僕だけのもの」という歪な苗木が、急速に根を張り始めていた⋯⋯⋯。




