第4話『大丈夫、怖がらないで! 私はただの壁だから!』
二人の言葉がぶつかり合った後、しばしの沈黙が落ちて。
強い風が森を通り抜けてから、お義兄様が口を開いた。
「……どうやら調べなくてはいけない事が出来た様だな」
お義兄様はため息と共にどこか遠くを見ながら小さく呟く。
そのお姿はいつものお義兄様とは違い、迷い子の様に見えてしまうのだった。
「しかし、どちらにせよ……だ。お前が排除対象である事は何も変わらない」
「やるか?」
「あぁ、やろうか。色々と聞きたいことも出来たしな。我が家の牢でゆっくりとしていくがいい」
「へっ! 俺様を縛れるもんならやってみな!」
男性は右手を強く握りしめて右半身を後ろに引き、力強く構える。
お義兄様はレイピアを正面に向けて、静かに構える。
二人の間には静かな時が流れ……そして、近くの木から枝が落ちた瞬間、二人の立っていた地面が爆発し、二人の姿が消えた。
が、次の瞬間上空から強い風が吹き荒れて、私はエルフリアさんを抱きしめたままコロコロと地面を転がってしまった。
「あ、あり~な~?」
「ご、ごめんなさい。なにか凄い風が……!」
何が起きているんだろうと、少し上を見ると、お義兄様と男性の方が木々の枝を足場にして飛び回りながらぶつかり合っていた。
そして、二人がぶつかり合う度に、周囲に嵐の様な風が巻き起こり、私たちはそれで更にコロコロと転がされてしまう。
大事件。
大事件だ。
このままでは森が壊れてしまう。
が、私にはどうする事も出来ず、地面に座りこんでエルフリアさんを抱きしめたまま目を閉じて次の衝撃に備えようとした。
しかし、風が来ない。
終わったのだろうかと耳をすませてみれば、先ほどまでと変わらず音は響いている。
何が起きているのだろうかと目を開ければ……目の前に壁があった。
「……?」
私は何度もまばたきをして、目の前の景色を見つめた。
が、何も変わらず、私たちの目の前には巨大な一つの壁があるのだった。
「え……と?」
『無事!? アリーナたん! エルフリアたん!』
「しゃべった!?」
「っ! な、なに? どうしたの? ありーな」
「だ、大丈夫ですよ。怖い事は何も無いです」
目を閉じたまま私に強く抱きつくエルフリアさんに、問題ないと返しながらも、私は目の前で起きている異常事態にドクドクと鼓動の音を速めていた。
壁が喋っている。
しかも私やエルフリアさんの名前を呼んでいる。
こわい。
なに?
何故壁が喋っているの?
何故、私とエルフリアさんの名前を呼んでいるの!?
「え、ぁ……」
『大丈夫、怖がらないで! 私はただの壁だから!』
「しゃ、喋っているのに、ですか?」
『えぇ!』
自信満々に肯定されてしまった。
もしかして、森の中には喋る壁が生息しているのだろうか。
いや、でもさっきまでこの壁は無かった訳で。
なら、この壁は突然ここに生えてきたか、歩いて来たという事になる。
壁が歩く……?
理解出来ない状況だ。
訳が分からない状況に私の頭にはハテナが浮かぶばかりだ。
しかし、それでも確かめなくてはいけない事がある。
私は勇気を振り絞って壁に向かって話しかけた。
「か、壁さんは……私たちを、守って下さっているのですか……?」
『えぇ! そうよ!』
そ、そうなんだ……。
「それは、えと……なぜ?」
『尊い存在を見守る事こそ! 壁の存在意義だからよ!!』
「……。……?」
少しばかり考えてみたが、意味が分からなかった。
この人……いや、この壁さんは何を言っているのだろうか。
『はぁ……はぁ……み、見て! 幼女が幼女を守ろうと必死にっ! くっ! てぇてぇ!!』
「ひっ」
『この世界に転生させてくれてー!! ありがとー!! カミサマー!!』
「な、なに!? この声!?」
「大丈夫。大丈夫ですからね……! 大丈夫です」
『皆さん! ここに百合が咲いています! 大切にしましょう!!』
壁は変わらずそこに立ったまま、奇声を上げていたが。
少し上の空間から聞こえていた衝撃音が聞こえなくなった瞬間、壁が消えて、一人の綺麗なお姉さんが現れた。
お義兄様の物とは違う、どこか艶のある美しく腰まで伸びた長い黒髪を首元で結いでいる女性だ。
こんな森の中に居るとは思えない程に軽装であり、町の中で見かけるようなラフな格好で立っている。
転移魔法……? にしては何か様子がおかしいけれど。
「どうやら戦いは終わった様ね。もう大丈夫よ! アリーナたん! エルフリアたん!」
「は、はい。ありがとうございます」
お姉さんから聞こえてきた声が、壁さんから聞こえてきた声と同じである事に衝撃を覚えながら、私はひとまず頷き、エルフリアさんと一緒に立ち上がった。
そして、地面に片膝を付いて悔しそうな顔をしている男性と、やや粗い呼吸を繰り返しながらも男性にレイピアを突きつけているお義兄様を見据える。
どれほど強大で、危険な魔物であっても、服装の乱れ一つなく解決してしまうお兄様が、髪を乱しながら肩で呼吸している姿を見るのは初めてだ。
それほど凄い人だったのだろう。
「さて。戦いはこれで終わりだ。大人しく投降して貰おうか」
「チッ」
「あ、兄貴ィ」
「まさか兄貴が負けるだなんて……!」
「一応選ぶ権利をやろう。ここで土に還るか。大人しく口を開くか」
「どっちも、ごめんだね!!」
「っ! コイツ、無駄な抵抗を!」
お義兄様と言葉を交わしていた男性が、不意に地面へ右手を叩きつけた。
瞬間、その場所から土煙が立ち上がり、お兄様の視界を塞ぐ。
「妹がガラ空きだぜ! お兄ちゃんよぉー!」
「アリーナを狙うつもりか!」
土煙の中から聞こえた声にお義兄様は一瞬で私たちの前に現れるとレイピアを構えて周囲を見渡していた。
しかし、男性は私たちから遠く離れた場所に生えていた巨木の枝に飛び移ると、笑いながら言葉を投げつけるのだった。
「へっ、隙だらけだぜ」
「……」
「だがまぁ、今回は俺の負けだ。お前みたいなのが居るんなら、計画を作りなおさなきゃならんからな」
「……退くか」
「今回は、な。俺様の野望は変わらねぇ。次こそ手に入れるぜ。アリーナ。エルフリア」
私たちの名前を呼んだあと、男性は一緒に居た方たちと共にどこかへ消えていった。
それを確認して、お義兄様はとても深いため息を吐くのだった。
「さて、向こうは片付いたが……そちらの方は、知り合いかい? アリーナ」
「あ、いえ……知り合いかと言われると困ってしまうのですが」
私は壁さんと同じ声をした女性についてどう答えたら良いか分からず、あわあわとしてしまう。
しかし、そんな私をそのままに、壁さんと思われる女性は私たちに柔らかく微笑むと、お義兄様に向き直った。
「私は敵じゃないわ」
「その言葉を素直に受け取ると思うか? 先ほどのアレを見た後で」
「難しいでしょうね」
「なら素直に色々と話して貰いたいんだが」
「その前に!」
「……」
「一つだけ確認したいわ! 貴方の推しカップリングは何!?」
「……は?」
女性がピッとお義兄様を指さしながら放った言葉に、お義兄様は戸惑ったような声を上げ、困惑の表情で女性を見つめる。
「誤魔化したって駄目よ! 私には全て分かっているんだから……アリ×エル推しなんでしょ? そうなんでしょ!?」
「君が何を言っているのか、理解出来ないんだが」
「この状況で誤魔化せると思っているのかしら! 貴方が転生者である事は既に聞いてるのよ! あの男との会話でね!」
「……あぁ、そして、君も転生者であると」
「えぇ! その通りよ! 私は転生者! 推しに貢ぐ為! 睡眠時間を削りに削って金を稼ぎ続けた結果! 過労死したバカな女! しかーし! 神は私を見捨ててはいなかったァ! 愛するゆりパラの世界に転生した私は、神より与えられた能力により! 壁になる事が出来るッ! 前世では百合を見る度に、壁になりたい。静かに見守りたい。清浄な空気だけを吸って生きてゆきたいと考えていた私の願いを!! 神が叶えてくれた……! アリガトー神様。フォーエバーラブ」
「……待て。ゆりパラの世界に転生した?」
「そう。ゆりパラ。って、あれ? 知らない? この略称って公式も使ってた気がするんだけど。正式名称は【ゆりゆりパラダイス~あの子もこの子もみんな百合~】って言うんだけど」
「知らん」
「は~!? じゃあゲームやった事ないってコトぉ!?」
「いや、ゲームはやったことがある」
「どっちやねん!」
「いや、ゲームはあるんだが。俺がやっていたのは……いや、正確には俺の妹なんだが。まぁ、良い。やっていたゲームは【白に染まる乙女の花】というゲームでな。君の言うゲームとは違う様だ」
「え? マジ?」
「あぁ。マジだ」
お義兄様と壁だったと思われる女性は静かに見つめ合った後、二人一緒に私とエルフリアさんを見た。
私はその視線に思わずビクッと震えてしまったが、二人はそれ以上何もいう事はなく、静かに私たちを見つめ続けていたのである。
こわい!