第2話『どうやって冷やすか聞いてるんだよ、エルダーくん!』
目覚めは……あんまり良いものでは無かった。
ガンガンと痛む頭は、むかし病気になった時のものによく似ている。
私はいつもよりも少し熱い息を吐きながら、潤んだ瞳で周囲を見渡した。
「……ここは」
知らない場所だ。
少し薄暗い……土の中?
いや、土の中という訳じゃないか。周りが土に囲まれているだけで……。
「ど、どどど、どうしよう。こまったよ、エルダーくん! アリーナの体が熱いんだよー!」
「そういう時はね。冷やせば良いんだよ」
「どうやって冷やすか聞いてるんだよ、エルダーくん!」
どこからか聞こえてくる声に、私は地面に手を付きながら体を起こして視線を彷徨わせた。
薄暗い空間の中、微かな灯りの下で、一人の少女が右手にボロボロのお人形さんを持ちながら話をしている。
お人形さんと、話をしているのだろうか?
「冷やすって言ったら、そのままの意味。冷やすのさ。まずは、水をだな。頭からかけて……あ」
「……水をかけられるのは、少々困ってしまいますね」
お人形さんと共に右手を振り上げながら楽しそうにお話していた子は、確か森で出会ったエルフリアさんだったなと思いだしながら、私は頑張って笑みを向ける。
私が起きている事でビックリとさせてしまったから、怖くないよ。というアピールだ。
「え、あ、うー。その! そのね!」
「……はい」
「私、アリーナが凄く熱くて、それで、何とかしたくて」
「何となく、お話は聞こえていました。あと、今の私の状態も、何となく分かります」
「そ、そうなんだ! アリーナは凄いんだね!」
無邪気に笑うエルフリアさんを見て、私も笑みを返していたのだが……いい加減限界になり、深く息を吐きながらその場に崩れ落ちた。
痛くない様にゆっくりと落ちたつもりであるが、それでも上手く衝撃を逃がす事が出来ておらず、体は地面にぶつかった痛みも訴えている。
頭も痛い。体も痛い。最悪の状態だ。
「アリーナ!」
「……」
「ど、どどどど、どうしよう! どうすれば!? どうしよう!?」
「……える、ふりあさん」
「はい! エルフリアです!」
「申し訳ございませんが、私は、今、病気になっているようです。出来れば、お医者さんの所へ行きたいのですが……」
「あ、アリーナは、病気なの!?」
「え、えぇ、そうですね。水に落ちて体を冷やしたからか、疲れか。原因は分かりませんが……体調が非常に良くない状態です」
「そうなんだ。病気。病気。知ってるよ。本で見た。すごく痛くて、大変な奴だ」
「はい。なので……」
「でも! 私、こんな時の為に、用意してたから大丈夫だよ!」
「えと、エルフリア、さん?」
「病気を治す魔法! これで、病気の子を治して、お友達になろうって思ったけど、アリーナはもうお友達だし、治して、もっとすごいお友達に……! ってアリーナ! アリーナ! だいじょうぶ!?」
「もうし、わけ……ございません。わたし、もうげんかいで」
「あ、あわわわ、あわわ、は、はやく魔法を使わなきゃ! でーい! 病気が治るまほー!」
どこか気の抜けた声と共に私の体が暖かい何かに包まれる。
お風呂に入っている時の様な心地よさと、お布団の中で眠っている時の様な安らぎを感じた。
そして、ゆっくりと体の奥から気怠さや痛みが消えてゆく。
それはまるで奇跡であった。
私はハッとなりながら飛び起きて、汗だくの両手を見て、驚きに目を見開いたままエルフリアさんへと視線を移した。
エルフリアさんは自分が何をしたのかよく理解出来ていない様で、笑顔のまま首を傾げていた。
「エルフリアさん。この魔法は……どこで覚えたのですか?」
「え? えっとね。本で覚えたんだよ」
「魔女の書……!」
間違いない。
転移の魔法も、病気を治す魔法も、魔女の書だ。
どれほど高名な聖女様だって、怪我は治せても病気は治せないのだ。
病気は治癒出来ない。
出来るとすれば、伝説に名を残した魔女様だけである。
そして、彼女が残した魔女の書には、彼女が使える魔法が全て記されているというが……。
「お願いです! エルフリアさん! その本を見せていただけないでしょうか!?」
「えぇ!?」
「無理は承知です。しかしどうか。私は魔女様の魔法で、世界を豊かにしたいのです! 平和を作りたい!」
私は深く頭を下げて、エルフリアさんにお願いをする。
これがどれほど無理なお願いか知っていてもだ。
生涯をかけて、一つずつ積み上げてきた魔法技術を容易く他人に渡す人はいない。
分かっている。分かってはいるのだけれど、それでも……私には魔女の書が必要なのだ。
「そ、そんなにお願いされたら、しょうがないなぁ」
「い、良いのですか?」
「うん。だって、アリーナは、その……お、お友達だもんね。くふふ」
何だか騙している様な気分がしてきたが、お友達になったのは嘘じゃないし。
いくつかの魔法だけ覚えたらエルフリアさんにお返しする予定だ。
……。
でも、やっぱりワガママはワガママだから、後でエルフリアさんのお願いを聞こう。
私は薄暗い空間の奥に積み上げられた物を漁っているエルフリアさんの背中を見ながらそう考えるのだった。
「あ! 見つけたー!」
「ありましたか」
「うん。あったよ。はい!」
ボロボロで、今にも表紙が取れそうなその本は、私の小さな手でも持てるくらい小さな本だった。
表紙には『聖女様の祈り』と書かれていた。
「えっと?」
「どうしたの?」
「いえ、その……魔女の書では、ないですね?」
「うん。そうだね」
「この本を読んで、病気を治す魔法を覚えた?」
「うん。そうだよ」
自信満々に頷くエルフリアさんを見て、私はどうしたものかと考えてしまった。
この本は、昔からある子供向けの本である。
聖女様が奇跡の力で不治の病を癒し、癒された子が聖女様に弟子入りをするという様なお話だ。
確か、聖教会が発行している本で、世界中に配られている本だったと記憶している。
「この本を見てね。私、気づいちゃったんだ。病気で苦しんでいる子を見つけて、治す事が出来たら、お友達になれるんじゃないかって」
「それで、作った?」
「うん」
「……転移の魔法は」
「転移の魔法? 森の中を歩くのが大変だから、ぴゅーんって移動出来たら便利だなって思って」
「……」
私は何でもない事の様に語るエルフリアさんを呆然と見上げてしまった。
エルフリアさんは自分で魔法を創造したと言った。
それは天才とか、そんな言葉では片づけられない。
魔法をこの世界に生み出した魔女様と同じ、超常の存在である。
しかし、それなら……そうであるならば。
「エルフリアさん。お願いがあります」
「え? な、何かな」
「私と一緒に、世界を巡っては下さいませんか?」
「せかい? どこ?」
「この森の外にある場所です! 多くの人が生きる場所です!」
「えぇー!? ムリムリムリムリムリ! ムリだよぉー!」
「そこをどうか! お願いします!」
「ムリムリ! ぜぇーったい無理! 人と話すなんで出来ないよぉ!」
「でも、私とは普通にお話出来てるじゃないですか」
「それは……ほら、アリーナは、お友達、だし……やさしいし」
「なら、世界中にお友達を作りに行きましょう! 大丈夫。私なんかより優しい人はいっぱい居ますよ!」
「……ムリ」
「どうしても、駄目ですか?」
「ウン。ムリ」
「そうですか」
両手でバッテンを作りながら全力で拒絶するエルフリアさんに、私は冷静さを取り戻して、仕方ないかと自分を慰めた。
嫌がっている人を無理に動かすべきではない。
そうだ。元々エルフリアさんにお願いする話では無かったのだ。
魔女の書を見つけ、私がその力で動く。そういう計画だった筈だ。
甘えてはいけない。
「分かりました。我儘を言って、申し訳ございませんでした」
「ううん。いいよ?」
「では、私はそろそろ行きますので、この辺りで失礼しますね。病気を治していただきありがとうございます。このお礼は後ほど、必ず行わせていただきます」
「え」
「失礼します」
私はひとまずエルフリアさんと別れ、元の目的を果たすべく、強い光が見える方へ歩き出そうとした。
おそらくは向こうが外なのだろう。
「ま、まま、まって!」
「え?」
しかし、エルフリアさんに手を掴まれてしまい、私は足を止める。
驚き、振り返るとエルフリアさんが何やら困ったような顔で私を見つめていた。
「えと?」
「アリーナは、私のお友達なんだよね!?」
「はい。そうですね」
「なのに、出ていくの?」
「そうですね。私も用事がありますので」
「お友達なんだよ?」
「え、えぇ。そうですね」
「お友達なのにぃ!?」
何だろう。
エルフリアさんの言いたいことが分からない。
何を求めている。
何を気にしているのか。
「えと。また遊びに来ますよ」
「また。っていつ?」
「えー、っと、そうですね。魔女の書を見つけて、世界を巡って……なので何年かしてからでしょうか?」
「何年、ってどれくらい?」
「えっと、エルフリアさんが夜に寝て、朝起きるのを、いっぱい行ったら……ですかね」
「いっぱい!?」
「はい」
「じゃ、じゃあ! 今からいっぱい寝て起きるから! 待ってて!」
「あ、いや、そういう話では無くてですね」
「じゃあ、どういう話なの!?」
「……夜がいっぱい来たら、です」
「わ……あぁー」
エルフリアさんは酷くショックを受けた様な顔で地面に膝を付いて、崩れ落ちた。
しくしくと泣いている様な声まで聞こえてくる。
しかし、それでも私の手は握ったままであるため、私はエルフリアさんが落ち着いてからにするかと、その場に座ってエルフリアさんが落ち着くまで体を撫でるのだった。