3:吾輩とマロンと大ちゃんと千代ばあと
身体中の毛が逆立つほど寒い中にも、お天道様の光により、ほんのりと辺りが温かくなってきた頃。
吾輩は、いつも仲間と集まる場所へ向け、とことこと歩いていた。その最中、絶えず響く鈴の音が、実に心地の良いこと。吾輩はいつにもまして上機嫌であった。
古びた家が立ち並ぶ狭い路地を左に曲がった突当たりにある家が、吾輩の目的地である。
木造建築の、ひどく古びた、しかしながら仰々しいまでの威圧感を持つ、その辺の家とは風格も風貌も一線を画す千代ばあの家。千代ばあとは、吾輩ら四匹がいつもたいへんお世話になっているとても年老いた人間である。あの皺くちゃながらも温かみのある手の平は、吾輩らが知る他の人間とは一味違うというのが、吾輩ら四匹の共通の考えである。
いつものように門を潜ると、吾輩はいつもの集合場所へ向かう。そこは千代ばあの少し大きな庭であり、また縁側の傍である。
吾輩がそこへ着くと、よく見知った顔が二つ、いつものようにそこにあった。先にずいぶんと図体の大きな猫が吾輩に気付いたようで、少し大げさに顔を引きつらせた。その様子を見てか、もう一匹の比べるにはなんとも小さく華奢な方が、吾輩の方へと優雅とも言える仕草で見やってきた。
「あら」
毛並みの先の先までよく手入れの行き届いた、吾輩の白とはまた別の、見惚れるほどに眩しい長い毛並みを持つペルシャネコである。彼女は、少しきつそうな声色ともとれる声で、言葉を続ける。
「御機嫌よう、ミーナさん。今日はいつにもまして遅かったですわね」
ふふん、と得意げに彼女は鼻を鳴らす。
「この血統書付きのわたくしよりも後から来るだなんて、誠に仰々しいことですこと」
「すまぬ、マロン。今日はいつにもまして寒くてな。中々家から出られなかったのだ」
「まあ、なんて情けない。その点、血統書付きのこのわたくしにとっては、こんな寒さ、全然大したことありませんわ。貴女とわたくしとでは心構えが違いますの」
いつにもまして顎が高くなりながらも、マロンは煌びやかに言う。不思議と不快な気持ちは抱かず、むしろ気持ちが良い。
直後、吾輩らを寒風が襲った。
「くちゅん」
マロンがくしゃみをした。とても小さな、本当に可愛らしいくしゃみである。
その直後、吾輩と、先ほどまでともにいたもう一匹のとてつもなく大きなドラネコの視線に気づいたマロンは、電光石火の勢いで顔が色鮮やかな朱色に染まる。
「い、今のはくしゃみではありませんわっ。さ、寒さに弱い貴女を鼻で笑っただけですの。ほら、くちゅん、くちゅん。ええ決してくしゃみではありませんことよ! いいですわね?」
「……」
「……」
「まっ、まあ、わたくしはそこいらの雑多なネコとは違って血統書付きですので、そんなだらしがないミーナさんを谷よりも海よりも深く寛大な心を持ってして許して差し上げましょう」
「……。……有難う」
「いいえいいえ。貴女が寒さに弱いといことぐらい、いい加減わかっておりますから。全然取るに足らぬ問題ですわ。ええ、そうですとも。ふっ、ふんですわ」
一気に捲し立てる様に言うだけ言うと、マロンは未だ真っ赤な顔を隠すかのように、吾輩らから顔を逸らす。
そんなマロンを見て、隣で今の今まで静観していた見るからに迫力のある巨大なドラネコが、先ほど吾輩を見て動揺していたのから立ち直ったのか、普段のように『にたぁ』と大きく笑った。
「はっ、なあーにが『血統書付きのこのわたくしにとっては、こんな寒さ、全然大したことありませんわ』だよ。思いっきりくしゃみしてんじゃねえかよ」
「うっ、煩いですわねっ」
「しかも、幼なじみのよしみで『寒いから今日は家に居りますわ』と駄々こねるお前を連れだしたのは他ならぬオレ様なんだがな」
「だから煩いと言っておりますのよっ、大ちゃん!? いい加減にその意地汚い汚らわしい口をお閉じになってくださらない!? その舌を今すぐ引っこ抜いて差し上げましょうかええ!?」
「おお、怖い怖い」
全身の毛を逆立て威嚇するマロンを、まるで気にも留めず大ちゃんは適当にあしらっていた。
そんな大ちゃんに不機嫌を隠すことなくマロンは鼻で笑った。
「ふん、まさに『大福の大ちゃん』の名に恥じぬ体格の通りの貴方なんて、ちゃっちゃと食べて仕舞われればよいのですわ」
確かに大きいが、それは体格だけではなく腹回りもであることは否定できぬ事柄である。
「あっ、ちょ、てめえネコが気にしていることを!」
「あら、なんのことかさっぱりわかりませんわ。ちゃんとネコ語でお話になって」
「こんの野郎っ!」
「あら、嫌だ。こんなにも美しいメスを捉まえといて『野郎』だなんて。そんな野蛮でガサツな連中と一緒にしないでくださらない? あんな連中、わたくし大嫌いですの。ほら、さっさと早急にどっか行っちゃいないさい」
「うぬぬぬ。言わせておけば……!」
大ちゃんのその巨漢から怒気が溢れ出て来る様は、圧巻したものがあったが、マロンはどこ吹く風でそっぽを向いていた。
「……相変わらずだな」
吾輩は少し呆れ混じりに言う。この二匹は、本当に仲が良いこと。呆れつつも、微笑ましい限りである。この二匹を見ていると、こちらまでむず痒くなるものである。
吾輩の気持を汲んだのか、もう一匹の吾輩も首もとで楽しそうに転がった。
「あら? ミーナさん、それは……」
するとその音が聞こえ来たのか、大変楽しげに吾輩を他所に言い合っていたマロンが、もう一匹の吾輩の音色に気がついたのか、不思議そうな面持ちで吾輩へと視線を移してきた。
気がついたのか、マロンは目を少し大きく見開いた。吾輩の首元でまた涼やかに鳴る。
「まあ、なんと綺麗な鈴の音ですこと! どうなされたの?」
「うむ。実は今朝方ご主人に戴いたのだ」
つい吾輩は胸を張ってそう答えてしまった。胸が一杯になって、口から弾けて外へと飛び出して来ようとする。どこからともなく溢れ、そして今にも零れ、はじけ飛びそうなそれは、しかしどこかこのまま外へ出してしまうのはとても勿体ないような気さえした。
「お、おおっ!」
視線を大ちゃんに戻すと、大ちゃんは遅れて気付いたのか、目を大きくしていた。
「な、なんてぇか、その、」
息が詰まったかのように、大ちゃんはどこか苦しそうになんどか深呼吸をふいに繰り返し始める。それから、しかしまだ少し苦しいのか、どこかぎこちないながらも口を開く。
「へ、へっ。か、かわいいじゃあねえかっ、にっ、似合ってるぜっ」
しかし、何故か大ちゃんは終始焦ったように視線を縦横無尽に巡らせ彷徨っていたせいで、結局視線を合わせることは叶わなかった。まだ苦しいのか、全身の毛が先のマロンの一件とはまた違った感じに逆立っていた。ひょっとしたら、今日はこの寒さのせいで少し体調が優れないのかも知れない。
「うむ。有難う」
だから、そんな状態にあるにも関わらず吾輩への気配りを忘れてくれなかった大ちゃんに対して、吾輩は素直に礼を述べ、頭を下げた。首元で、もう一匹の吾輩も、合わせて鳴く。大ちゃんの隣では、マロンが「しゃきっとしなさい!」と小さく一喝していた。それほどまでに今日は体調が優れないのだろうか。
心配のあまり声を掛けようかとした矢先、無為に縁側から控え目な音が聞こえ、続いて吾輩らがよく知る声が上から降ってきた。吾輩ら三匹とも、こぞって声がした方へ顔を向ける。少し曲がった腰に、ひどく暖かそうな出立ちの老いた人物がひとり、とても愛想の良さそうな笑みを浮かべていた。吾輩らは口々に鳴いた。千代ばあである。
「おや、まあいらっしゃい。今日はまた寒いねえ」
言いつつ、柔らかな笑みを崩さず草履を履くと、千代ばあはえっちらおっちら、ゆっくりとした動作で、慎重に庭に降り立った。その両手には大きな皿があり、溢さないようにまた、今度はさらに慎重にゆっくりと千代ばあは吾輩らの前にしゃがみ込んできた。
「はい。温かいミルクだよ。これで温まりなさいね」
それを置くと、千代ばあは優しげな面持ちのまま吾輩ら三匹を見つめ、ほほ笑んだ。
「今日はクリスマスだからね。今日だけは特別にこのミルクを、このしがいないおばあちゃんからの、いっつも家に遊びに来てくれるあなた達へのプレゼントとさせておくれ」
言いつつ、千代ばあは吾輩の頭を撫でてくれた。皺くちゃな手。ひどく懐かしい温かみに、吾輩は目を細める。手が離れる瞬間が、とても寂しい気がした。
吾輩らは、千代ばあの好意を無下にするまいと、仲良く三匹並んでお皿へ首を突っ込む。
美味い。舌を巻くとはことか。熱いのが苦手な吾輩らを考慮してくれたのか、決して熱すぎることはなく、それでも十分に身体が温まる温度である。吾輩ら三匹はしばし無言で、舌鼓を打っていた。
やがて皿の中身は空となり、名残惜しげに皿を舐めまわすのを諦めて顔を上げると、そこでは千代ばあが縁側に腰掛け、日溜まりを思わせるように緩やかに目を細めているのが目に入った。
吾輩はそんな千代ばあを見てまた鳴いた。
御馳走様でした。