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2:吾輩とご主人と首元の贈り物

「いいな、ミーナ。次からは、いくら俺を起こすためだったとしても、爪をたてたまま顔を殴っちゃ駄目だからな。わかったなっ」

 飛び起きて早々、ご主人は吾輩を捕まえるや否や、ご主人の顔の目の前で吾輩に諭すように言った。

 しかしな、ご主人。吾輩ばかりに非があるのではないということだけでもわかってもらいたい。寒くてどうにも凍えてしまいそうだったのである。わかってもらいたい。

 そんな吾輩をよそに、ご主人は吾輩をひんやりと冷たい床に下ろす。しかし、今はご主人が何かを操作し、何故か徐々に暖かくなっている途中であった。原理は良くわからぬが、あの壁の遥か高くでごうごう言っているあれのおかげなのであろうことは、いくら吾輩といえども見当はついた。

 徐々に暖かさを孕みだした部屋に満足しつつ、ご主人の方へ見やると、ご主人は「うわっ、まだ四時半じゃないか」と、寝床の上で呟き、ばりばりと頭を掻いていた。

 いくら温かくなってきたとはいえ、しかしまだ床は冷たく、吾輩はご主人の隣へ飛び乗る。ご主人は少し忌々しそうに「昨日は緊張して寝るのも遅かったのによ」と誰になく言っていた。

 その声に吾輩は不思議そうに首を傾げ、ご主人の方を見やった。なんとなく、いつもよりも雰囲気というか、立ち居振る舞いというか、とにかくご主人の様子が、いつもよりも固く、まるで強敵を前にしているかのような気がしたのである。

 そんな吾輩の視線に気がついたのか、ご主人は大きくため息をつくと、「ミーナ、聞いてくれよ」とまた吾輩の両前足の間に手を入れて、ご主人の顔の近くまで運ばれてしまう。

「今日はな、お前が家に来てから丁度三年目のクリスマスなんだよ」

 ふむ、もうそんなに経ったのか。いや、あるいはまだそれほどしか経っていいないのか。

 吾輩には時間というものがよくわからぬが、しかし、今日はご主人に拾われた日だということはよくわかった。

「あの時は仕事首になった直後で、気分も気力も何もかもが最悪でさ。なんで俺ばっかりこんな目に合うんだよ、って世界のすべてを呪ってさ。正直、もう俺なんか死んでやろうかと思ってたんだよ。俺にとっちゃクリスマスなんて、ただのうざったいものでしかなかった。色めく街とか、華やかな音楽とか、道行く他の人たちの笑顔が何よりも腹立たしくて、苛立たしくて、なんかもー色々と許せなくて。何もかもぶち壊してやりたかったもんだ。そんなことを歩きながら延々考えてた俺は、そんなちっぽけな俺自身が何よりも許せなかった」

 訥々(とつとつ)とご主人は、なんでもなかったかのように吾輩の目を見つめて吐露を続ける。

 しかし、そんなことを言われても吾輩にはどうでもよいことなので、思わず欠伸が出てしまう。

 するとそんな吾輩を見て、ご主人は「お前なぁ」と苦笑した。それから少し真剣な表情に戻る。

「まあいいや。でな。そんとき、路地裏を歩いていたら、ふらふらと今にも倒れそうな足取りでお前が歩いているのを見つけたんだよ。『あんなに小さいのに、あんなにふらふらで倒れそうなのに、自分が助かるなんて絶対に思ってもいないのに、それでもあんな小さな身体で、懸命に前だけを選んで進んでいるなんて』そう思ったもんだよ、あの時は。俺もまだ前に進めるかな、ってさ。そしたらちょっと希望みたいなのが持ててさ。でも、気付いたらお前は倒れて動かなくなってて。俺、まるで自分の希望がいきなり潰えたような気がして、それで慌ててお前を抱き抱えにいったんだぜ? 我ながら酷い奴だよな」

 また苦笑して、ご主人は「ごめんなー」と吾輩の身体をぶらぶらとさせ、顔をすりよせてきた。迷惑ではないが、少々めんどくさく感じる。

 やめろと鳴くと、ご主人は「ごめんごめん」とようやくやめてくれた。

「でな、話はここからなんだが、お前を抱きかかえた後、俺は焦りに焦って、とにもかくにも動物病院を探そうと走り出したわけなんだよ。お前、もうあの時、凍っちゃってるんじゃなかって疑いたくなるくらいに身体冷たくてさ。拾った理由はともかく、絶対に死なせないからな、なんてかっこつけてそこら辺を走り回ったもんだよ。そこで俺は、美咲(みさきさんに出会えたんだ。あれこそがまさに『運命』ってやつなのかもな。彼女は右往左往している俺に声を掛けてくれて、それからお前を助けるために動物病院を一緒に探してくれたんだぜ? 結局、動物病院は彼女が見つけてくれて、そこでようやくお前は治療してもらえて、そんで今にいたるわけよ」

 はあ、とそこで一息つくかのようにご主人が深く息を吐き出した。

「ほんと、お前は俺たちにとって、いや、俺にとって、お前は本当に幸運の招き猫だよ」

 黒猫のくせにな、とご主人は言い、それともその尻尾の先だけが異様に白いせいか、と快活に笑った。

 相変わらず吾輩は、ご主人に捕まえりぶらぶらと宙をさまよっていた。

 ご主人は吾輩に言うではなく、自分自身に言い聞かせるように続ける。

「今では新たな就職場所も見つかったし、それもようやく波に乗り出した。まだまだ荒い波だけど、俺はきっと乗り切って見せる。もう落ちやしない」

 そう語るご主人の瞳の奥は、確かに紅蓮の炎が激しく燃え上がっていた。

 と思うと、今度は恥ずかしそうに、それでも躊躇わずご主人は破顔して見せた。

「で、それがきっかけで俺はあの時知り合った美咲さんとは、今では交際させてもらっているんだぜ。ほんと、運命ってもんは厄介極りないものだよな」

 快活に笑う。憑きものがどこか落ちたような表情で、ご主人は笑う。

 ぐいっと身体をご主人の、まさに目と鼻先に移動させられる。ばっちりと黄金と漆黒の瞳が一本の線で結ばれる。

「何から何までお前のおかげだよ、ミーナ。お前のあの前にひた向きに進む姿が、これまで俺をここ、今日この日この場所まで導いてくれたんだ」

 そこで、より一層ご主人は真剣な面持ちで吾輩の瞳を射抜いた。

 今の今までぶらぶらと吾輩の身体で遊んでいたご主人は、そっとご主人の隣へ吾輩を下す。そして、身体をひねり、ごそごそとどこかからか黒い小さな箱を取り出し吾輩の目の前に掲げる。

「見てくれ。これが俺の覚悟だ」

 そう言ってご主人は箱を開く。中には光り輝く小さなわっかが、しかしその小さな物には不釣り合いなほどに高貴で、周りを圧倒するかのような存在感を醸し出していた。

 いつかご主人と見た、夜空を穿つ満月を思い出した。夜空にひときわ眩く、そして何よりも圧倒的な存在感を持つ、まだ輪郭だけしか持たぬ金色の満月。

 ご主人はその中身がまだぽっかりと空っぽなままの満月を愛おしそうに箱から取り出すと、真剣な面持ちで見つめた。

「三年前、お前と、美咲さんに出会った今日にこそ、俺は決めてやろうと思う。俺のすべてが変わった今日このクリスマスこそ、俺は言おうと思う。大丈夫。俺はあの頃のような腑抜けじゃ、もうねえんだ。ああ、俺はやってやる、やってやるさ」

 そして、ひときわ強く、掴んだ満月を離さぬようにご主人は手を握りしめる。

 そんな切羽詰まるご主人の顔を見ていると、なんだか辛くなり、吾輩はご主人の膝の上に飛び乗る。

 そして一声。

 ご主人はそんな吾輩を、「ありがとう」と目を細くして、あの大きくて優しい手で吾輩の頭をなで繰りまわしてきた。

 なすがまま、吾輩はご主人の手の中でもう一度鳴いた。

「おっといけねぇ、忘れないうちに渡さなきゃな」

 今思い出したようにご主人は吾輩の頭から手をどけると、また身体をひねりごそごそし始めた。

「あれ、どこいったんだ? ……おっ、あったあった。ほらミーナ。じゃーん」

 言ってご主人は、小さな赤色のリボンがあしらわれている小袋を取り出し、大きく身体を使いながら吾輩の目の前で得意げに掲げた。

 意味もわからず吾輩は首をひねる。とご主人は袋をゆっくりと慎重に開く。

「ミーナ、これが俺からのお前へのクリスマスプレゼントだぞー」

 しゃりん、と涼しげで清廉で、なおかつ控え目でありがらもしっかりとした『個』を示すかのように、その黄金色の小さな鈴の音が吾輩の目の前で転がる。灰色の首輪に取り付けられた鈴の音が広く貫くように響く。自然と、ご主人が左右に振るそれに合わせて、知らず吾輩の尻尾の白が揺れ動いてしまう。

「どうだ、気に入ってくれたか?」

 ご主人は得意げに鼻を鳴らす。

「ほら、付けてやるよ」

 ご主人の膝の上で吾輩は一度持ちあげられ、首輪をしやすい位置に移動させなれる。これまで吾輩とともにあった、すでにかつてとなってしまった首輪が外される。その鈴が付いた灰色の首輪が近づいてくる。吾輩は自ら、自身の首をご主人に差し出すと、なされるがまま大人しくそれが付けられるのを待った。

「よし、出来たぞ」

 鈴の音が鳴る。吾輩の動きに合わせて、楽しそうにあたりいっぱいに転がる。

「似合うぞミーナ」

 またご主人に持ちあげられる。顔をすりすり。くすぐったくて、吾輩はまた鳴いた。

 しばらくすると、いつものように食事が用意され、いつものようにご主人と並んで一緒にそれを食し、そして、いつものようにご主人は「行って来る」と優しく吾輩の頭を撫でると、どんよりとした曇天の寒空の中、外へと出ていってしまった。

 上から重ねるように厚着をして。

 輪郭しか持たぬ満月を、包み込むように持って。

 吾輩の首元で、ご主人がちりんと鳴った。



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