第一章(五)
応えは最初からわかっていた。ティンは必ず来る。だからこそ、母親を駆け引きに出した。是が非でも、手に入れたいと思った。
妻と息子の命を握られているからではない。何に惹かれているのかもわからない。この行為に自分は罪悪感を持ってはいない。それだけはわかる。
けれども、ティンの健気な様子を聞くと、腹いっぱい食わせてやりたいと思った。
「ペテルギウス様」
窓から外を見ていたシネマーがこちらを向いた。私は頷く。思ったより早かった。日はまだ高い。
ティンの足音と荒い息遣いが聞こえてくる。勢いよく扉が開き、肩で息をしたティンが現れた。
「僕を連れて行ってください」
「よく来たね」
私は彼を招き入れた。
明朝、チェンは夢の中で馬の蹄の音を聞いたような気がした。目覚めた彼女は胸騒ぎを覚え、ティンの家へ駆け込んだ。
中はもぬけの殻だったが、食卓に置かれた紙に気が付いた。チェンはそれに目を通すと走り出した。
都への道が見下ろせる切り立った崖に出た。馬車の姿は見えない。
「ティ――――ン!!」
チェンの声は虚しく木霊するだけだった。東の果てから日が昇っている。
握り締めていた手紙に涙が落ちた。チェンは人知れず涙を流した。
『チェンへ
僕はわけあって都へ行くことになりました。おそらく二度と帰れないでしょう。あなたがこれを読む頃には、僕は旅立った後だと思いますが、黙って出て行く僕を許してください。
あなたが最後にくれた芋は焼いておきましたから、道中食べます。いつもありがとう。いつまでもお元気で。
ティン』
ティンは馬車の中ではたと振り返った。
「どうした?」
「いいえ。なんでもありません」
チェンの声が聞こえたような気がしたが、馬車は都の開け放たれた門に差し掛かろうとしていた。
「今は王国建国一〇〇〇年の記念式典の真っ最中でね。普段は一部の官僚しか入れないが、解放されているんだよ」
「そうですか」
ティンはペテルギウスの説明を聞きながら、最後に残った芋を食べていた。味を噛み締め、涙ぐみ、呟いた。
「さよなら、チェン」